「菅源太郎」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
(人物)
 
(相違点なし)

2013年6月28日 (金) 02:28時点における最新版

菅 源太郎(かん げんたろう、1972年10月30日 - )は日本の社会運動家政治運動家、第一総合研究所研究員

父親は民主党衆議院議員で第94代内閣総理大臣菅直人。母親はエッセイスト菅伸子

人物

東京都生まれ。本籍地は岡山県御津郡建部町(現:岡山市北区)。 源太郎という名は、父・直人が好きな歴史上の人物である児玉源太郎陸軍大将に由来する。弟が一人いる。

武蔵野市立第六中学校では生徒会長になるも生徒会でリコールされる。そのまま不登校になり、1988年に卒業。佼成学園高等学校に進学したが、翌年5月に中退する。後に大学入学資格検定に合格した。

1990年5月、「子どもの権利条約の批准を求める10代の会」を結成し市民活動を開始する。

1991年1月3日、福岡県内で開催された人権集会「子どものティーチ・イン」でディスカッションの司会を務め、参加していた外山恒一と論争した。[1]

1998年から1999年まで肥田美代子衆議院議員の秘書を務める。2000年5月には選挙権年齢の引き下げを通じた若者の政治参加を目指して「Rights」を結成(2001年9月に特定非営利活動法人化)。

2003年第43回衆議院議員総選挙2005年第44回衆議院議員総選挙に居住経験がなかった[2]岡山1区から民主党公認で立候補したが、いずれも自由民主党逢沢一郎に破れ落選した。テンプレート:要出典範囲。このとき直人は「私が政治家なので、一般的には2代目とみられるのは避けられないが(中略)、私が選挙区を譲ったとかではない」と世襲には当たらないという見解を示し[3]、。テンプレート:要出典範囲2009年第45回衆議院議員総選挙には立候補せず、岡山1区からは比例で復活当選した高井崇志が立候補した。なお、この選挙に向けての『衆議院全300小選挙区データブック 2009年夏版』の編著者となった。

2006年には京都精華大学人文学部に入学、2010年3月に卒業した。また、卒業を前に結婚式、新婚旅行、結婚披露宴を行った。

2010年4月、元岡山県議で民主党の関連団体に所属していた橘民義[4]が代表を務める[5][6]株式会社第一総合研究所に就職。研究員として第一総合研究所に勤めながらNPO法人Rights代表理事として選挙権・被選挙権年齢引き下げや政治教育の充実に向けた活動を行っている。

脚注

テンプレート:Reflist

著書

  • 『衆議院全300小選挙区データブック 2009年夏版』(東恭弘との編著、第一総合研究所監修)、第一書林、2009年7月、ISBN 978-4-88646-203-9
  • 民主党10年史 (橘 民義 著、第七章に寄稿している)、第一書林、2008年7月、ISBN 978-4886461964

外部リンク

テンプレート:Japan-politician-stub
  1. 1991年3月発売別冊宝島129「ザ・中学教師 子どもが変だ! 」中の外山の寄稿文「子ども自身による反「管理教育」運動なるものは、ほとんどゲロゲロである」より
  2. 「うねり起こせなかった」 菅源太郎氏、敗北が決定 -47News 2003/11/09 13:33
  3. 「世襲ではない」と菅氏 長男出馬で認識 -47News 2003/06/24 11:31
  4. 橘が主宰する自然エネルギー研究会は直人が顧問を務め(「自然エネルギー研究会(リニューアボー)」)、2012年に橘と直人の対談を収録した「菅直人の自然エネルギー論」を出版している。
  5. 会社概要|第一総合研究所
  6. 「橘民義公式サイト」