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2014年1月4日 (土) 12:48時点における最新版

テンプレート:Infobox baseball player 山内 孝徳(やまうち たかのり、1956年8月5日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

鎮西高校電電九州を経て、1979年のドラフト会議で南海ホークスの3位指名を受け、翌シーズン終了後に入団。入団時に躊躇なく背番号19をつける。南海の功労者である野村克也元監督が1977年に解任されて以来、空き番となっていたが、これは球団が18番の山内和宏(実質同期入団)、20番の山内新一(当時のエース格)と番号を揃えることで「山内トリオ」として売り出すためと[1]、2位指名の事前約束を反故にする形での3位指名だったことで拒否を考えていた山内自身も「南海といえば19番だから」という理由で入団条件として要求したこともあり、つけることになった。

スライダーシュートを武器にする強気なスタイルと制球力を持ち味とし[2]、山内和宏らとともに弱小期南海のエース格として7年連続2桁勝利を上げる活躍をした。ただチームが低迷期ゆえ[3]、9年連続2桁敗戦も記録。先発登板の際は、香川伸行がスタメン捕手を務める事が多かった。1992年に通算100勝をマークし現役引退、RKB毎日放送東京メトロポリタンテレビジョン野球解説者、また福岡でタレント、パーソナリティーとして活躍し、その傍らNPO法人ホークスジュニアアカデミーで野球教室のコーチを務めている[2]1997年から2003年までスポーツニッポン評論家も務めた。2014年からは福岡ソフトバンクホークスのファーム投手チーフコーチに就任した[4]。背番号は「91」[5]。現役時代からの口ひげは今も健在。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 南海
ダイエー
25 24 10 2 5 7 13 0 -- .350 680 162.2 188 13 24 1 3 50 0 0 77 63 3.48 1.30
テンプレート:By2 30 30 14 2 5 13 12 0 -- .520 879 216.0 212 26 25 1 4 79 2 0 88 73 3.04 1.10
テンプレート:By2 31 31 16 2 3 10 14 0 -- .417 1002 242.0 264 30 35 3 11 88 1 0 120 110 4.09 1.24
テンプレート:By2 31 31 13 2 1 16 11 0 -- .593 880 204.2 248 32 34 1 6 89 1 0 125 111 4.88 1.38
テンプレート:By2 32 31 14 2 4 10 12 0 -- .455 862 202.1 228 31 37 1 4 85 1 0 123 107 4.76 1.31
テンプレート:By2 33 29 13 1 4 11 18 0 -- .379 901 211.1 251 39 32 6 5 117 0 1 112 105 4.47 1.34
テンプレート:By2 30 28 10 2 4 10 14 0 -- .417 836 195.2 240 20 33 5 0 75 0 4 99 91 4.19 1.40
テンプレート:By2 26 25 10 1 1 11 11 0 -- .500 796 186.1 208 22 43 8 4 68 1 0 95 87 4.20 1.35
テンプレート:By2 21 18 6 0 1 3 13 0 -- .188 501 110.0 154 21 21 1 7 39 2 0 85 82 6.71 1.59
テンプレート:By2 39 6 0 0 0 7 7 5 -- .500 318 70.2 89 15 23 4 2 39 0 0 51 48 6.11 1.58
テンプレート:By2 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 42 9.2 11 2 3 0 0 3 0 0 8 8 7.45 1.45
テンプレート:By2 16 1 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 137 31.0 40 7 6 1 2 17 0 0 22 22 6.39 1.48
通算:12年 319 254 106 14 28 100 125 5 -- .444 7834 1842.1 2133 258 316 32 48 749 8 5 1005 907 4.43 1.33
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

記録

初記録
  • 初登板・初先発:1981年4月8日、対近鉄バファローズ前期2回戦(日生球場)、2回0/3を5失点で敗戦投手
  • 初奪三振:1981年4月21日、対西武ライオンズ前期1回戦(大阪球場)、9回表に山村善則から
  • 初完投:1981年4月26日、対ロッテオリオンズ前期5回戦(宮城球場)、8回2/3を4失点で敗戦投手
  • 初勝利・初完投勝利・初完封勝利:1981年5月14日、対西武ライオンズ前期8回戦(大阪球場)
  • 初セーブ:1990年6月3日、対ロッテオリオンズ9回戦(石川県立野球場)、8回裏に4番手で救援登板・完了、2回2失点
節目の記録
  • 1000投球回数:1985年9月15日、対日本ハムファイターズ19回戦(後楽園球場)、3回裏3死目に達成
  • 1500投球回数:1988年6月15日、対日本ハムファイターズ10回戦(大阪球場)、1回表3死目に達成
  • 100勝:1992年6月28日、対日本ハムファイターズ12回戦(平和台球場)、先発登板で7回1/3を3失点 ※史上104人目

背番号

  • 19 (1981年 - 1992年)
  • 91 (2014年 - )

関連情報

出演

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:福岡ソフトバンクホークス テンプレート:福岡ソフトバンクホークス開幕投手

テンプレート:南海ホークス1979年ドラフト指名選手
  1. テンプレート:Cite book
  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
  3. ホークス75年史―南海、ダイエー、ソフトバンクー継承される栄光の歴史、ベースボール・マガジン社、2013年、P74
  4. 新入団コーチのお知らせ福岡ソフトバンクホークス公式サイト2013年10月17日配信
  5. 新入団の山内コーチが会見「先発完投型を育てたい」福岡ソフトバンクホークス公式サイト2013年10月21日配信