Yak-7 (航空機)

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Yak-7(Jak-7;ヤク7;ロシア語:Як-7ヤーク・スィェーミ)は、第二次世界大戦時、ヤコヴレフ設計局が開発したソ連空軍の主力戦闘機練習機のひとつ。

概要

Yak-7は当初、Yak-1を改修したUTI-26(УТИ-26)練習機として開発されていた。これはYak-7UTI(Як-7УТИ)として完成し1941年に初飛行したが、構造を簡素化した結果、欠陥の多かったYak-1やLaGG-3MiG-3など当時の戦闘機よりもこの新しい練習機の方が扱いやすく優れているということになり、急遽、後部座席を廃して単座にしたYak-7戦闘機が製作された。Yak-7UTI及びYak-7とその改良型は多くが生産され、直系の後継機Yak-9は空軍の主力戦闘機となった。その一方で、Yak-1の後継機と目されていたYak-3の方は開発が棚上げにされ、終戦間際まで登場できなかった。Yak-7はより高性能の戦闘機が登場した後も運用され続け、練習戦闘機として戦後も使用されていた。

派生型

Yak-7 / Як-7
戦闘機。M-105Pエンジンを装備する。1941年に初飛行。
Yak-7-37 / Як-7-37
戦闘機。M-105PAエンジンを装備する。37 mm機関砲MPSh-37 1門をプロペラ軸に搭載。1942年に初飛行。
Yak-7A / Як-7А
戦闘機。M-105PAエンジンを搭載する改良型。1941年に初飛行。
Yak-7B / Як-7Б
戦闘機。M-105PFエンジンを搭載する改良型。1942年に初飛行。
Yak-7B AFA-IM / Як-7Б АФА-ИМ
前線偵察機。M-105PAエンジンを搭載する。初飛行は1941年
Yak-7V / Як-7В
複座練習戦闘機。当初はM-105PAエンジン、後期にはYak-9と同じM-105PFエンジンを搭載した。1942年に初飛行。Yak-9の練習機として、戦後まで多数が使用された。
Yak-7D / Як-7Д
複座長距離戦闘機。M-105PAエンジンを搭載。1942年に初飛行。
Yak-7DI / Як-7ДИ
長距離戦闘機。それまでの複座型からの応急処置的な形状のコクピットの設計をYak-1Mのような形状に改めた。M-105PFエンジンを搭載し、565 km/hの最高速度を出した。のちに改良されYak-9と改名された。
Yak-7M / Як-7М
戦闘機。M-105PAエンジンを搭載した改良型。Yak-7UTIを戦闘用に改修した。1941年に初飛行した。
Yak-7 s M-82 / Як-7 с М-82
戦闘機。空冷式のM-82Aエンジンを搭載した試作型。1941年に初飛行。LaGG-3に同じエンジンを搭載したLaG-5の方が優れるとされ、量産はされなかった。
Yak-7P / Як-7П
戦闘機。20 mm機関砲ShVAK 1門と20 mm機関砲ShVAK 2門を搭載したYak-7Bの改修型。機体形状はYak-7DIに似る。1943年に初飛行。
Yak-7PD / Як-7ПД
迎撃戦闘機。1942年に初飛行。M-105PDエンジンを搭載し、武装は20 mm機関砲ShVAK 1門(弾数120発)のみであった。
Yak-7R / Як-7Р
戦闘機。1944年に初飛行。Yak-7Bの改修型で、DM-4Sロケットエンジン各1基を主翼下面に装備した。最高速度は580 km/hであった。
Yak-7UTI / Як-7УТИ
複座練習戦闘機。M-105PAエンジンを装備。1941年に初飛行した。

スペック(Yak-7A)

関連項目

姉妹機

テンプレート:第二次世界大戦期のソビエト連邦の航空機