長野電鉄0系・10系電車

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長野電鉄0系電車(ながのでんてつ0けいでんしゃ)、および10系電車(10けいでんしゃ)は、長野電鉄に在籍した一般列車用電車である。

企画当時は逼迫していた朝ラッシュ時間帯の通勤通学輸送を意識して製造された経緯からOfficemen & Students Carの頭文字を取り、OSカーと呼ばれている。

本項では、1966年(昭和41年)に製造された0系1980年(昭和55年)に長野線長野 - 善光寺下間が地下化された際に製造された10系の両系列について記述する。

0系

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営業運転時の0系 (1988年5月 須坂駅)
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営業運転時の0系 (1995年10月14日 小布施駅)

テンプレート:ローレル賞 0系は、単線区間が介在することによって車両編成や運転本数に制限のあるラッシュ輸送に対応する目的で、20m級車体と片側4箇所の乗降扉を採用した車両として1966年に2両編成2本の計4両が日本車輌製造で製造された。

系列名には、木造旧型車の淘汰が進んだことで空き番となっていた100未満の数字が用いられ、制御電動車がモハ0形、制御車がクハ50形とされた[1]

日本で初めてFRPを車両正面の全面に採用した車両[2]であり、地方私鉄として積極的なラッシュ対策を施したことが合わせて評価され、1967年(昭和42年)度鉄道友の会ローレル賞を受賞した。

車体は、長さが19,500mm(連結器間20,000mm)、幅が2,740mm。客用扉は、1,300mmの両開扉を片側につき4か所備えるが、運転台直後にも側窓と座席を配置している。これは運転室直後の換気を良くすることをねらったものであり、[1]、他社では相模鉄道旧6000系近畿日本鉄道南海電気鉄道の通勤車などにもみられ、側面の窓配置は相鉄旧6000系に類似している。座席はロングシートを採用し、定員は160名。うち座席定員は54名であり、ドア脇いっぱいまで座席を配置することで通勤通学利用客以外への着席サービス向上も図っている[1]

赤色2号クリーム4号による塗り分けは本系列にあわせてデザインされ、在来車にもおよんでいく[1]。FRP製の前面は、踏切破損の防止のため前照灯尾灯方向幕を上部にまとめている。方向幕は種別表示と行き先表示を上下二段で表示する。ここには当時としては珍しい「各駅停車」表示もされたが、これは同社の1100形の登場時、特急と勘違いする旅客が存在した事例を受けて用意されたものである[1]。行先には分割運転を見越して「湯田中・木島」の表示を第一編成登場時から備えていたたほか、側面にも電動で操作できる行先・種別幕を装備する。これは当時まだ他に国鉄481系電車くらいしか類例のない先進的な設備であった[1]

台車は、枕バネオイルダンパ併用のインダイレクトマウント式コイルばね、軸箱支持はペデスタル式であり、密封ころ軸受けを採用した。台車形式はNA-18形およびNA-18A形(モハ0)、NA-18T形およびNA-18AT形(クハ50、いずれも日本車輌製造における形式)であり、前者が車輪径910mmであるのに対し、後者は車輪径860mmであった。電動車(モハ)の動輪径が大きいのは、当時狭軌最大級であった135kWの主電動機を装架するためである。

朝ラッシュ時には2編成を併結した4両編成での運用を行うため、先頭部には回り子式密着連結器を装備していたが、2500系導入後は密着式自動連結器に交換された[3]。4両編成運用自体についても2500系導入後は同系に置き換えられている[3]

20m4扉構造が採用された背景として、長野電鉄沿線には各種の学校が立地し、長野側都心エリアだけでなく途中駅での乗降が錯綜することがあった。観光輸送も考慮した座席数の多い2扉車では、19m級車体を備えるモハ1100形・クハ1150形の3両編成をもってしても乗降時間の延びによる遅延が多発し、特に冬季の乗降遅延は緊急の改善が必要とされたためである。さらに、2両編成で在来車3両編成の収容力を持たせる事で、全体の車両数削減を狙った[4]。大型4扉車であるため、冬季車内保温のための中央2扉の締め切り装置と、一部ホーム延長の短い駅でのドアカットに対応するための最後部扉締め切り装置を備えている[1]

主目的の通勤通学対応もさることながら、山の内線の急勾配区間の走行を配慮した大出力主電動機を採用していたことから、長野電鉄全線で幅広く運用された。特に、朝ラッシュ時間帯は2本を連結した4両編成とし、線内最大輸送力列車として運行された。構想として数年のうちに5編成を導入し、乗務員を含めた運用効率の向上を図る事としていたが、以後の増備は利用客の減少に伴い中止された。

最終的には主に長野 - 湯田中須坂信州中野)間で運用されたが、ワンマン運転対応改造が難しく、発電ブレーキを装備していないなどの運転上の制約もあり、長野オリンピックを目前に控えた1997年(平成9年)、3500系に置き換えられる形で廃車された。

廃車後、しばらくはモハ1 - クハ51の編成が静態保存を前提として須坂駅構内に留置されていたが、のちに解体処分されたため現存しない。 テンプレート:-

10系

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モハ11 (2003年3月 須坂駅)
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クハ61 (1988年5月 小布施駅)

長野線長野 - 善光寺下間が地下化された際にA-A基準に適合する車両が必要になったため、2両編成1本が1980年(昭和55年)に日本車輌製造で製造された。当初は地下化に伴い前述の0系、2000系モハ1500形以外の適合しない全車両を当系列で置き換える構想もあったが、製造コストの点から東急5000系の譲受車である2500系の導入になった。

0系から設計変更された箇所が多く、こちらは新OSカーまたはOS10(テン)と呼ばれている。

0系との主な相違点

  • 前面のFRP構造をやめ、一般的な鋼板製の三面折妻の三窓式形状への変更
  • 正面貫通扉からの隙間風による冬季の運転環境悪化を防止するため、非貫通化
  • 冬季の車内保温を目的に、4扉から3扉へ変更(扉・窓配置が戸袋窓の有無を除いて西武3000系などと同一)
  • 主電動機出力を150kWにアップし、抑速発電ブレーキを採用

定員160名は0系と同一だが、客用ドア数が減ったため、座席定員は62名へ増加した。

台車は、軸箱支持は0系同様のペデスタル式ではあるものの、枕バネ周りは、オイルダンパ併用の単列二重コイルばねと組み合わされた、やや旧式のスイングハンガー式(揺れ枕+揺れ枕吊り)が採用されており、台車形式はNA-36形(モハ10)、NA-36T形(クハ60、いずれも日本車輌形式)と称した。鉄道史資料保存会刊『日車の車両史』によると、この台車枠のプレスは、1977年から製造が始まっていた国鉄キハ40系のDT44・TR227形と共通であるという。

10系は一般運用型とされていたが、900mm間隔の固定/回転・転換クロスシート設置を意識した窓配置[5]と、優等列車での運用を意識した高出力電動機を採用したとも言われている。先頭部の連結器は当初から密着式自動連結器を装備していた。

木島線信州中野 - 木島間と屋代線屋代 - 須坂間の全列車ワンマン化が実施された後は、長野線長野 - 湯田中間専用となった。

その後、同区間も普通列車のワンマン化を実施したが、本系列にはその対応工事が行われず、平日ラッシュ時に車掌乗務で長野 - 須坂間を1往復する運用のみとなった。しかし木島線の廃線で3500系が余剰となり、これを転用することで車種統一によるコストダウンが可能になったことから、製造から20年程度にもかかわらず、2003年(平成15年)3月2日イベント運用を最後に廃車となった[6]

廃車後は須坂駅構内に留置されているが、車内は物置になっている。

編成

0系

  • OS1 モハ1 - クハ51
  • OS2 モハ2 - クハ52

10系

  • OS11 モハ11 - クハ61

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • 日本車両鉄道同好部・鉄道史資料保存会『日車の車輌史 図面集-戦後私鉄編』(鉄道史資料保存会)1998年、pp.162-163
  • 日本車両鉄道同好部・鉄道史資料保存会『日車の車輌史 写真・図面集-台車編』(鉄道史資料保存会)2000年、p.309,p.311
  • 寺田裕一『ローカル私鉄車輌20年 東日本編』(JTB)2001年、p.186

テンプレート:Sister テンプレート:Sister

テンプレート:長野電鉄の車両

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 小林宇一郎「新車インタビュー 信濃路のイキな通勤型新車 長野電鉄 OSカー『鉄道ファン』1966年4月号(NO.58)、鉄道友の会、1966年4月1日、 35頁。
  2. 1962年から製造されている京王3000系電車は、前面上半部のみがFRP製であった。
  3. 3.0 3.1 『鉄道ピクトリアル』1984年4月臨時増刊号(NO.431)「甲信越・東海地方の私鉄特集」
  4. 小林宇一郎「長野電鉄の輸送改善と車両の活用」『鉄道ジャーナル』1978年11月号 (No.141)
  5. 1981年2月号の『鉄道ジャーナル』記載記事に言及あり。
  6. テンプレート:Cite journal