MORAL

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MORAL』(モラル)は、日本ロックバンドであるBOØWYのファーストアルバム。

背景

1979年、ヤマハ主催のアマチュアロックバンドコンテスト「EAST WEST」にて、氷室狂介松井恒松、諸星アツシ等と結成したバンド「デスペナルティ」が関東・甲信越大会にて優勝し、中野サンプラザで開催される全国大会に出場するため上京する。同時期に、楽器店主催のコンテスト「A・ROCK」にて、布袋寅泰が後にBOØWYのマネージャーとなる土屋浩等と結成したバンド「BLUE FILM」で優勝し、日本青年館で開催される全国大会に出場するため上京する[1]。この当時、氷室と布袋はお互いに面識はあったものの、直接の交流はない状態であった。

その後、全国大会にて入賞を果たした氷室は、音楽事務所ビーイングと契約することとなる。しかし、バンドとしての活動は中止となり、事務所の意向により既に活動していたバンド「スピニッヂ・パワー」のボーカリストとして参加することになり、シングル「BOROBOROBORO」(1979年)にコーラスとして参加し、実質的なプロミュージシャンとしてのデビューを飾ることとなる[1]。その後のシングル「HOT SUMMER RAIN」(1980年)においてはメインボーカルとなり、テレビ出演を果たすなどプロとしての活動を行っていたが、ポップスを中心としていた同バンドに対し、氷室はロックバンドでの活動を望んでいたこともあり、音楽性の違いにより同バンドからの脱退を決意する。

事務所からロックバンド結成の許可を得たが、メンバーを自分で選定するよう要求された氷室は、それまで交流のなかった布袋に連絡をし、バンド結成の話を持ちかける。地元である群馬で有名であった氷室からのオファーを断る事が出来ず、布袋はバンド結成に同意する。その後、オーディションを行うもメンバーとして相応しい人材がおらず、かつてのバンド仲間である松井恒松からのバンド参加への連絡を機に、氷室、布袋それぞれの人脈からの選定へと変更し、ギターとして諸星アツシ、サックスとして深沢和明の参加が決定する。ドラムスには「スピニッヂ・パワー」から木村マモルが参加し、バンド名を「暴威」と名付け活動を開始した。

バンドとしてのリハーサルを何度も行い、デモテープを作成しては事務所に対し交渉を行い、ついにはアルバムのレコーディングが決定、暴威として初のレコーディング作業が開始することとなった。

しかし、レコーディングの終盤になり、ドラムスの木村マモルからプレイヤーではなくプロデューサーとして活動したいとの申し出があり、バンドを脱退する意向を示される。そのため、知人を介して、高橋まことが新たなドラマーとして参加することとなる。

録音

プロデュースは当時「マライア」というグループで活動していた渡辺モリオが担当した。マライアとはビーイング所属のスタジオ・ミュージシャンによって結成されたグループであり、他に清水靖晃笹路正徳山木秀夫らが参加していた。渡辺はマライアメンバーとして、『YEN TRICKS』でデビューを果たし、様々なアルバムに参加していたが、当時パンク・ロックに傾倒していたため暴威のアルバムプロデュースを任される事となった[2]

レコーディング作業は1981年にスターシップスタジオとスタジオバードマンにて行われた。

音楽に関する技術的な事を暴威メンバーが認識できていなかったため、レコーディングは困難を極めた[2]。当時陣内孝則率いる「ザ・ロッカーズ」が寺院で一発録りでレコーディングした事が話題となるなど一発録りが流行していたこともあり、本作も楽曲はほとんどが一発録りで行われ、歌入れも同時に行われている。レコーディングを繰り返し、レコード会社へ音源を持ち込むも、理解されずにリリースが決定するまでに時間がかかっている[2]

布袋は後に「アマチュアのミュージシャンがスタジオで練習しているのをそのまま録ったようなアルバム」と評し、「俺もとりあえず初めから最後まで間違えなきゃいいというノリでプレイしていた」と語っている[3]

また、本アルバムの大半の曲のドラムは初代ドラマーの木村マモルが叩いており、高橋まことが演奏しているのは「MASS AGE」と「WATCH YOUR BOY」の2曲のみとなっている。2曲目に収録されている「IMAGE DOWN」のイントロ等もライブではサックスによるもので、深沢は全曲で演奏しているが、レコーディングでは「MASS AGE」しか演奏していない(コーラスでは多数の曲に参加している)。

スタッフの月光恵亮は歌詞に関して、「メッセージ性が強いのは、当時のムーブメントの影響もあるけれど、スピニッヂ・パワーやってた時の氷室の不満が積もり積もって言葉に出てきてるんだと思う。彼の書く言葉は群馬弁とかも入ったままなんだけど、リアリティーがあってそれも面白いんじゃないかって、ほとんど手直しをしなかった」と述べている[3]

プロモーション

パンク・ロック色が強く、歌詞のイメージが汚いとレコード会社側がリリースをためらっていたため、1981年の夏に全てのレコーディングが終了しているにも関わらず、同年に本作はリリースされなかった[4]。 当初は、日本フォノグラム(現:ユニバーサルミュージック)よりデビューアルバムは発売予定だったが、1982年3月にビクターよりようやくリリースされる事となった。 その直前にバンド名を「暴威」から「BOØWY」に変更した。アルバムの帯には「エアロスミスアナーキーサザンを足して3で割ったバンド」「ラスト・パンク・ヒーロー」というキャッチコピーが付けられた。レコード会社側はBOØWYを当時流行していたパンク・ロックバンドの一つとして売り出そうとしていたが、メンバーは本格的なパンクを目指しているわけではなく、またアルバムがリリースされるまでの半年間で音楽性が変化していたこともあり、精神的に落胆することとなった[5]

氷室は後に「俺らとレコード会社とのコンタクトの取り方も下手だったと思う。全然コミュニケーションうまくいかなかったから」と語り、「"ラスト・パンク・ヒーロー"っていうコピーが付いたことによって、誤解して集まってくる客に対して責任取らなきゃいけないわけじゃない。その頃、俺はウルトラ・ヴォックスとかの物憂いマイナー・メロディアスっていうのをやりたくてしょうがなかった。布袋もそうだった」と述懐している[3]

アートワーク

当時は6人編成であり、アルバムジャケットは6人で写ったものになっている。

ボーカルの氷室は改名前の為、クレジットされている名前は「氷室狂介」となっている。

批評

音楽評論家市川哲史は「『NO N.Y.』の下世話だけどロマンティックな世界観、がなりや調子っ外れとは無縁の、氷室の『日本独自の正統派』ボーカルの艶っぽさ、布袋の英国ニューウェイヴへの『真摯な愛情』に満ちたスマートなアレンジ。そのどれもが日本パンク・ロック史上初であり、決して粗野なだけじゃない『文系』感を持っていたからこそ、スタイリッシュな香りが漂っている」と述べている[6]

リリース履歴

No. 日付 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
1 1982年3月21日 ビクターInvitation LP VIH-28076 -
2 1985年9月5日 ビクター/Invitation LP VIH-6077 -
3 1986年2月5日 ビクター/Invitation CD VDR-1149 -
4 1989年2月21日 ビクター/Invitation CD
CT
VDR-528
VCF-1617
2位
5 1990年4月21日 ビクター/Invitation CD VICL-2011 88位
6 1991年12月24日 東芝EMI/イーストワールド CD TOCT-6390 2位 CD-BOXBOØWY COMPLETE LIMITED EDITION』収録
7 1993年3月3日 東芝EMI/イーストワールド CD TOCT-6390 3位 CD-BOX『BOØWY COMPLETE REQUIRED EDITION』収録
8 2002年3月29日 東芝EMI/イーストワールド CD TOCT-24790 14位 CD-BOX『BOØWY COMPLETE 21st CENTURY 20th ANNIVERSARY EDITION』収録
デジタルリマスター
9 2004年9月22日 ビクター/Invitation CD VICL-41147 - デジタルリマスター盤
10 2007年12月24日 ビクター/Invitation CD VICL-62670 - デジタルリマスター盤[注釈 1]紙ジャケット仕様、LP盤のレーベルを再現
11 2012年12月24日 ビクター/Invitation SHM-CD VICL-70099 92位

収録曲

A面

  1. INTRODUCTION(イントロダクション) (0:35)
    インストゥルメンタル曲。布袋の意向により、最後に作られた曲[7]
  2. IMAGE DOWN(イメージ・ダウン) (3:03)
    詳細は「IMAGE DOWN」の項を参照。
  3. SCHOOL OUT(スクール・アウト) (2:31)
    • 作詞・作曲:氷室狂介 / 編曲:布袋寅泰
    タイトル通り、退学を示唆する楽曲。当時、ライブハウスなどで実際に退学を報告に来た若者がおり、疑問を感じた氷室が一時期ライブでの演奏を封印していた事もある。中期にも、出来のいいライブの最後に特別に演奏される事があった。アリス・クーパーから拝借したタイトルが付いている。
  4. ÉLITE(エリート) (2:19)
    • 作詞・作曲:氷室狂介 / 編曲:布袋寅泰
  5. GIVE IT TO ME(ギヴ・イット・トゥー・ミー) (2:44)
    • 作詞・作曲:氷室狂介 / 編曲:布袋寅泰
    原題は「PLEASE TELL ME」。アマチュア時代に演奏していた「男の言い草」がモチーフ。ライブでの氷室による曲前のMCは「かわいい女の子に贈ります」。また、初期のライブでは早急とも言えるテンポの8ビートにアレンジされ、アルバムのように演奏される事は少なかった。8ビートですらなくなった最終アレンジ版は、3rdシングル「わがままジュリエット」のB面に収録されている。1986年頃までセットリストに残った。
  6. NO N.Y.(ノー・ニューヨーク) (3:32)
    • 作詞:深沢和明 / 作曲・編曲:布袋寅泰
    詳細は「NO.NEW YORK」の項を参照。

B面

  1. MASS AGE(マス・エージ) (3:11)
    • 作詞:氷室狂介 / 作曲・編曲:布袋寅泰
    タイトルは「メッセージ」ではなく「マスターベーション・エイジ」の意味[8]
  2. WATCH YOUR BOY(ワッチ・ユア・ボーイ) (2:38)
    • 作詞:深沢和明 / 作曲・編曲:布袋寅泰
    当時起きた金属バットによる両親殺害事件をテーマにした曲。
  3. RATS(ラッツ) (2:42)
    • 作詞・作曲:氷室狂介 / 編曲:布袋寅泰
    洋楽のバンド、ブームタウン・ラッツの影響を受けて作られた曲。中期まではセットリストに残った。
  4. MORAL(モラル) (2:20)
    • 作詞・作曲:氷室狂介 / 編曲:布袋寅泰
    人間の二面性をテーマにした曲。氷室の同級生であった山田かまちの事故死を元に作られた歌詞であると言われる。
  5. GUERRILLA(ゲリラ) (2:24)
    • 作詞:BOØWY / 作曲・編曲:布袋寅泰
    サラリーマンに対するアンチテーゼを表した曲。途中に挿入されている布袋のMC「僕、今けっこう幸せだな」が皮肉である。もう一つのMC「夕べ、徹マンでまだ眠いんだよね」は松井によるもの。1986年頃までセットリストに残った。
  6. ON MY BEAT(オン・マイ・ビート) (2:19)
    • 作詞:氷室狂介 / 作曲・編曲:布袋寅泰
    BOØWYの信条を表した曲。ライブにおいても「BOØWYの歴史に欠かせない曲」とMCで言われている。2010年に、コブクロがアルバム『ALL COVERS BEST』でカバーしている。
  7. ENDLESS(エンドレス) (1:29)
    • 作詞:MOONLIGHT / 作曲・編曲:布袋寅泰
    作詞にクレジットされている「MOONLIGHT」とは、当時のスタッフであった月光恵亮のこと。氷室からの依頼で、歌詞の内容を英語に訳詞した[8]。英詞の意味は、「いくつの列車を乗り継いで、旅を続けなければいけないのだろう」という意味。なお、月光はヘヴィメタルバンド「BLIZARD」の作詞を手がけている。

スタッフ・クレジット

BOØWY

スタッフ

  • 録音
    • 渡辺モリオ(マライア) - サウンド・プロデュース
    • 星加哲 - ディレクター
    • 小野誠彦 - レコーディング、リミックス・エンジニア
    • 月光恵亮 - イメージング・コーディネーター
    • 東元晃 - エグゼクティブ・プロデューサー
  • アートワーク
    • 月光恵亮 & MOONSHINE PROJECT - アートディレクション
    • 月光恵亮 - デザイン
    • KAZUNORI ISAKA - 撮影
    • TAMA CHAN - メイクアップ
  • 長戸大幸(ビーイング) - エグゼクティブ・プロデューサー

脚注

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注釈

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出典

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テンプレート:BOØWY

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  1. 1.0 1.1 紺待人「ライナーノーツ」『BOØWY COMPLETE』、東芝EMI、1991年。
  2. 2.0 2.1 2.2 テンプレート:Cite book
  3. 3.0 3.1 3.2 テンプレート:Cite book
  4. テンプレート:Cite book
  5. テンプレート:Cite book
  6. テンプレート:Cite book
  7. テンプレート:Cite book
  8. 8.0 8.1 テンプレート:Cite book


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