麻布十番

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テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox Settlement 麻布十番(あざぶじゅうばん)は、東京都港区町名。現行行政町名で麻布十番一丁目から麻布十番四丁目までがある。

概要

町域の大部分は古川に続く低地であり、高級住宅地が多い麻布にあって下町の風情をたたえる。町域には大規模なビルや商業施設は少なく、雑居ビルや商店に庶民的な住宅地が混在する地域となっている。

「麻布十番」の町名は1962年昭和37年)に成立したもので、それまでの麻布新綱町、麻布綱代町、麻布坂下町、麻布永坂町、麻布日ヶ窪町、麻布宮下町、麻布宮村町、麻布一本松町、麻布山元町、麻布新広尾町の各一部が統合された[1]。「十番」の名称は、十番組屋敷、十番橋など、江戸時代の町名だった里俗称を復活したものである[1]

一の橋から仙台坂にかけては商店街となっており、かつて商店街の西端には1949年昭和24年)に開湯した温泉銭湯・麻布十番温泉があった。麻布十番付近にはながく鉄道の駅がなく、1km以上離れたところにある最寄り駅・六本木駅からも高低差があるために「陸の孤島」とも呼ばれていた。ただし鉄道では極めて不便であったが、広い道路に面しバスの便は良く多くのバス路線がここをと通っていた。一方、1984年昭和59年)12月には鳥居坂下にディスコ、マハラジャが開店、タクシー自動車で訪れる必要がある立地がバブル期には逆に人気となった。

2000年平成12年)になると麻布十番駅が完成して地下鉄・南北線大江戸線が相次いで開通、さらに2003年平成15年)には隣接する六本木6丁目に複合施設 『六本木ヒルズ』が開業するなど、麻布十番を取り巻く環境は一変した。

歴史

古くは、麻布村に属する低湿地帯であった。江戸時代、仙台藩の江戸屋敷は今の韓国大使館から二の橋にかかての広大な土地を持っていたが、低地側の湿気の多さがどうにも出来ずに困り果て、高台側はそのまま藩邸として使い、低地側半分を幕府に返上したほどである。幕府はその土地には低給の役人に住まわせたが彼らも苦労が多かったようである。しかし河川改修などによって干拓、開拓が進み、明治時代には、神楽坂と並ぶ繁華街に発展した。地名は、早くから通称として定着していた。

1962年(昭和37年)、麻布地区の町名が再編され、それまでの麻布網代町、麻布坂下町の各全域と、麻布宮下町、麻布新網町、麻布南日ヶ窪町、麻布宮村町、麻布一本松町、麻布山元町、麻布新広尾町の各一部をもって、正式の町名として「麻布十番一丁目から三丁目」が成立した。この時点では、住居表示に関する法律に基づく住居表示は未実施である。

その後1978年(昭和53年)、当地区に住居表示を実施した。東京都道415号高輪麻布線以東の狭小な区域に四丁目が設定され、麻布十番一丁目から四丁目となった。この住居表示実施により、それまで一部が存続していた麻布宮下町は麻布十番一丁目5番となり、麻布南日ヶ窪町は六本木六丁目17番となった。

地名の由来

地名の由来は、河川改修の工区番号とも、開拓地の番号とも言われ、はっきりしていない。

沿革

町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ、各町名ともその一部)
麻布十番一丁目 1978年昭和53年)
9月1日
麻布宮下町(全域)、麻布十番一丁目(全域)
麻布十番二丁目 麻布十番二丁目
麻布十番三丁目 麻布十番三丁目
麻布十番四丁目 麻布十番二丁目、麻布十番三丁目

施設・名所

麻布十番一丁目

麻布十番二丁目

麻布十番三丁目

交通

鉄道

路線バス

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

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外部リンク

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  1. 1.0 1.1 特集・東京の地名 町それぞれの物語 『東京人』(都市出版株式会社) 第20巻第5号 平成17年5月3日発行
  2. 同年10月6日、自治省告示第177号「住居表示が実施された件」