鹿沼藩

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鹿沼藩(かぬまはん)は、下野国都賀郡鹿沼(現在の栃木県鹿沼市坂田山)に存在した

藩史

正保4年(1647年)、小姓組番頭であった朽木稙綱は、鹿沼において5000石を加増され、2万5000石の大名として鹿沼藩を立藩した。しかし慶安2年(1649年)に稙綱は常陸国土浦藩に移され、代わって相模国下総国・常陸国などで1万石を領していた内田正信が5000石加増の1万5000石で入った。正信は慶安4年(1651年)の徳川家光の死去に伴って殉死したが、後を内田正衆が継いだ。正衆が元禄12年(1699年)2月4日に死去した後は内田正偏が継いだ。正偏は享保9年(1724年)10月29日、狂気により妻女を傷つけた罪を咎められて蟄居処分となった(江戸で見初めた町人の妻を正偏が鹿沼に連れて帰り、それを追って尋ねてきた父子を無礼と下の者に斬り捨てさせ、それから狂気に走るようになったという伝承がある)。家督は長男の内田正親が継ぎ、1万石に減封の上で下総国小見川藩に移され、鹿沼藩は廃藩となった。

歴代藩主

朽木家

譜代。2万5000石。

  1. 朽木稙綱(たねつな)

内田家

譜代。1万5000石。

  1. 内田正信(まさのぶ)
  2. 内田正衆(まさもろ)
  3. 内田正偏(まさゆき)
  4. 内田正親(まさちか)

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