阿蘇惟光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

阿蘇 惟光(あそ これみつ、天正10年(1582年) - 文禄2年8月18日1593年9月13日))は、阿蘇氏22代当主(阿蘇神社宮司)。阿蘇惟種の子。

1584年、父・惟種の死を受け当主となった。しかし幼年のうえ、翌1585年には宿老・甲斐宗運が死去してしまう。同年島津義久の侵攻を受け、降伏。まもなく母親に連れられて弟の惟善とともに目丸山に逃亡した。

豊臣秀吉の九州征伐が始まると保護を求め、惟光は佐々成政、次いで加藤清正にその身柄を預けられた。わずかながら領地も与えられるが1593年梅北一揆が起こると、島津歳久梅北国兼らとの結託を疑われ、花岡山にて斬首された。

参考文献

テンプレート:Asbox