金沢港

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テンプレート:Infobox 港 金沢港(かなざわこう)は、石川県金沢市大野川の河口に所在する港湾である。港湾管理者は石川県港湾法上の重要港湾港則法上の特定港に指定されている。

概要

1970年(昭和45年)に開港(関税法上の開港年)。釜山上海などを結ぶ外貿定期コンテナ航路が就航するほか、小松製作所の建機輸出用に北米向け多目的船が不定期寄港する。係留施設総延長 5,188m(2000年)。

2011年度(平成23年度)の貨物取扱量は、輸入524,048トン、輸出424,290トン[1]。輸入国・輸出国の割合はともに中国および韓国が5割以上を占めている。また、小松製作所の金沢工場が隣接している関係からホイールローダーダンプトラックなどの建設機械や産業機械の輸出が多いのが特徴となっている。

2008年6月16日から金沢・釜山間の国際フェリーが就航していたが、同年10月29日で休止となった[1]

歴史

古代においては、「大野湊」として『白山禅頂私記』の伝説に登場する。その後戦国時代から江戸時代初期にかけて近接する犀川河口の宮腰の繁栄に押されていたが、北前航路の隆盛にともない享保の頃には金沢の外港としての地位を築いた。北前船全盛時代は明治時代後期まで続くが鉄道の普及と共に衰退する。

大正時代に入り、大野港を漁港として発展させようとする動きが起こるが、1923年(大正12年)石川郡大野町長の光谷次郎松により、金沢港を貿易港として発展させる構想を発表。帝国港湾協会の後援もあり、1933年(昭和8年)には金沢港築港が閣議決定される。1935年(昭和10年)には大野町が金沢市に編入され着工が期待されたが、第二次世界大戦により棚上げされた。

戦後も長い間棚上げされてきたが、1963年(昭和38年)の三八豪雪により北陸地方の陸上交通がほぼ完全に途絶えたことから急速に建設の気運が高まり翌年には、重要港湾として12か年計画で建設が進められた。当時としては珍しい掘り込み式港湾であり浚渫された土砂は河北潟の干拓工事に使用された。

定期航路

運行航路は2011年現在。

中国コンテナ航路(神原汽船
  • 青島 - 大連 - 舞鶴 - 新潟 - 伏木富山 - 金沢 - 青島
  • 上海 - 境港 - 金沢 - 新潟 - 伏木富山 - 小樽 - 伏木富山 - 金沢 - 上海
韓国コンテナ航路(興亜海運高麗海運
  • 釜山 - 舞鶴 - 金沢 - 敦賀 - 釜山
  • 釜山 - 境港 - 金沢 - 釜山
  • 釜山 - 金沢 - 伏木富山 - 新潟 - 秋田 - 釜山
  • 釜山 - 秋田 - 酒田 - 金沢 - 境港 - 釜山
韓国・中国コンテナ航路(高麗海運)
  • 天津新港 - 大連 - 釜山 - 酒田 - 伏木富山 - 金沢 - 境港 - 釜山 - 蔚山 - 光陽 - 天津新港 - 大連
韓国RORO航路(パンスターライン)
  • 釜山 - 金沢 - 敦賀 - 馬山 - 釜山
東南アジアRORO航路(イースタン・カーライナー
  • 金沢 - ジャカルタ

施設

岸壁

港周辺

停泊船

第九管区海上保安本部金沢海上保安部
石川県警察

交通

近隣港湾

脚注

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関連項目

外部リンク

  • 平成23年 貨物取扱構成 - 金沢港振興協会