還暦土俵入り

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還暦土俵入り(かんれきどひょういり)は、現役時代の最高位が横綱の元力士が還暦(60歳)を迎えた際に、長寿祝いとして行われる土俵入りのことである。開催場所は、還暦を迎えた時点で日本相撲協会に親方として在籍していれば国技館で行われ、退職した者は都内のホテルなどといった別の場所で行う(例外も有り)。

通常の横綱土俵入りでは白い綱を使用するが、還暦土俵入りでは特別に赤い綱を用いる。その綱を「赤綱」と呼ぶこともあるが、これは俗称であって正式なものではない。

2013年現在までに、以下の横綱が還暦土俵入りを実現している。露払い・太刀持ちを行う横綱経験者は、自らも綱を締めて土俵に上がる。

国技館で行った横綱

年月日 四股名 テンプレート:Nowrap 露払い 太刀持ち 開催地 備考
テンプレート:Nowrap テンプレート:Nowrap 春日野 藤嶋康博 テンプレート:Nowrap テンプレート:Nowrap 羽黒山は現役横綱
1956年6月10日 常ノ花寛市 出羽海 テンプレート:Nowrap 時津風定次 蔵前国技館 理事長在任中。千代の山は現役横綱
1985年5月7日 栃錦清隆 春日野 出羽海智敬 二子山勝治 両国国技館 理事長在任中
1988年4月24日 若乃花幹士 二子山 鳴戸俊英 間垣勝晴 理事長在任中。太刀持ち・露払い共かつての弟子で元横綱
2000年6月8日 大鵬幸喜 大鵬 九重貢 北の湖敏満 大鵬は脳梗塞の後遺症によって四股踏みが不可能な為、一部所作[1]のみ。大鵬・北の湖は一代年寄[2]
2013年6月9日 北の湖敏満 北の湖 貴乃花光司 九重貢 理事長在任中。北の湖・貴乃花は一代年寄[2]


国技館以外で行った横綱

年月日 四股名 年寄名跡 露払い 太刀持ち 開催地 備考
1937年2月6日 テンプレート:Nowrap テンプレート:Nowrap テンプレート:Nowrap テンプレート:Nowrap 上野精養軒 史上初の還暦土俵入り
テンプレート:Nowrap 北の富士勝昭 八角信芳 九重貢 ホテルイースト21東京 太刀持ち・露払い共かつての弟子で元横綱
2007年6月16日 三重ノ海剛司 武蔵川 雅山哲士 出島武春 テンプレート:Nowrap 部屋創立25周年記念パーティーで行った[3]。雅山・出島は現役力士

還暦土俵入りをしなかった横綱

赤い綱を所持

四股名 テンプレート:Nowrap 生年月日 テンプレート:Nowrap 没年月日 備考
鏡里喜代治 立田川 1923年4月30日 1983年4月30日 2004年2月29日 脳梗塞の後遺症により還暦土俵入りは行わず
朝潮太郎 高砂 テンプレート:Nowrap (還暦前死去) テンプレート:Nowrap 赤い綱は作ったものの、土俵入りを行う直前の58歳で死去
栃ノ海晃嘉 春日野 1938年3月13日 1998年3月13日 (存命) 現役時代、右上腕の筋肉を断裂した後遺症により断念
テンプレート:Nowrap 境川 1938年2月18日 1998年2月18日 生年月日は佐田の山が先だが、横綱昇進は栃ノ海が先。理事長時代の騒動の責任を取る形で辞退
琴櫻傑將 佐渡ヶ嶽 1940年11月26日 テンプレート:Nowrap 2007年8月14日 体調不良の理由等により辞退

赤い綱の有無不明

脚注

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関連項目

テンプレート:相撲
  1. せり上がりの構えと、立った状態での柏手程度。
  2. 2.0 2.1 九重貢(元千代の富士)も相撲協会が満場一致で一代年寄「千代の富士」の授与を決定したものの本人が辞退したという経緯があるため、このケースでは事実上一代年寄と同格の扱いとなっている。
  3. この時は還暦7ヶ月前だったが、特例として実施が許可された。