道後温泉本館

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テンプレート:建築物 テンプレート:座標一覧 道後温泉本館(どうごおんせんほんかん)は、愛媛県松山市道後温泉の中心にある温泉共同浴場。別名・愛称は坊っちゃん湯

戦前に建築された歴史ある建物(近代和風建築)で、街のシンボル的存在であり、1994年に国の重要文化財(文化施設)として指定された。共同浴場番付において、東の湯田中温泉大湯と並び西の横綱に番付けされているほか、2009年3月、ミシュランガイド観光地)日本編において2つ星に選定された。2009年、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定。

構造

ファイル:Dogo Onsen 1894.jpg
1894年明治27年)に撮影された道後温泉本館。
道後温泉本館の建造物[1][2]
指定 名称 位置 竣工 建築面積
重文 神の湯本館 [[[:テンプレート:座標URL]]33_51_7.6_N_132_47_11.1_E_region:JP-38&title=1894%E5%B9%B4%E7%AB%A3%E5%B7%A5+%EF%BC%9A+%E7%A5%9E%E3%81%AE%E6%B9%AF%E6%9C%AC%E9%A4%A8 地図] 1894年明治27年) 193.31 m2
重文 又新殿・霊の湯棟 [[[:テンプレート:座標URL]]33_51_7.4_N_132_47_11.6_E_region:JP-38&title=1899%E5%B9%B4%E7%AB%A3%E5%B7%A5+%EF%BC%9A+%E5%8F%88%E6%96%B0%E6%AE%BF%E3%83%BB%E9%9C%8A%E3%81%AE%E6%B9%AF%E6%A3%9F 地図] 1899年(明治32年) 152.60 m2
重文 南棟 [[[:テンプレート:座標URL]]33_51_7_N_132_47_11.1_E_region:JP-38&title=1924%E5%B9%B4%E7%AB%A3%E5%B7%A5+%EF%BC%9A+%E5%8D%97%E6%A3%9F 地図] 1924年大正13年) 187.71 m2
重文 玄関棟 [[[:テンプレート:座標URL]]33_51_7.1_N_132_47_10.4_E_region:JP-38&title=1924%E5%B9%B4%E7%AB%A3%E5%B7%A5+%EF%BC%9A+%E7%8E%84%E9%96%A2%E6%A3%9F 地図] 15.56 m2
事務棟 1935年昭和10年)
玄関附属入母屋棟 不明

浴室

1階に「神の湯」、2階に「霊の湯(たまのゆ)」がある。神の湯男性浴室のみ2か所浴室があるが、女性客の増加に伴い神の湯女性浴室にも2つ目の浴室が設けられる予定。神の湯と霊の湯の違いは使っている石の程度だが、霊の湯の方が人が少ないためゆったり入れる。また、霊の湯には石鹸が備え付けられている。

かつては源泉そのままだったが、現在は愛媛県の条例2003年10月施行)による指導もあり塩素が加えられている。

その他の設備

ファイル:Dogo onsen.JPG
冠山から見た本館
  • 振鷺閣(しんろかく)
太鼓(刻太鼓)を鳴らす場所。朝6時の開館時および正午、午後6時に鳴らされる。1996年環境庁日本の音風景百選に指定された。
  • 又新殿(ゆうしんでん)
日本で唯一の皇室専用浴室。御影石の最高級品・庵治石を使った浴槽の他、控え室、トイレ等が見学可。これまでのべ10人の皇族が入浴したが、各宿泊施設に引き湯が行われたことなどから、1952年を最後に60年近く使用されていない。見学料250円。最近、霊の湯の切符を買うと無料で見学できるようになった。ガイドの説明つき。
3階一番奥の個室に夏目漱石ゆかりの資料の置かれた部屋があり、開放されている。神の湯階下の利用者も見学可。

運営

ファイル:Dougo Onsen, Matsuyama.jpg
又新殿専用入口のある東側(通常閉鎖)

料金システム

入口右手の窓口で以下の4種類の切符を販売(以下の料金は大人1人)。さらに、履物を脱いで上に上がり、入り口で券を渡す仕組み。

  • 「神の湯階下」(400円)
神の湯に入る。一般的な銭湯と同じ。

これより高い切符は全て浴衣、茶菓のサービスがある。霊の湯は貸タオルつき。

  • 「神の湯2階」(800円)
神の湯に入浴し、2階の大広間で休憩。菓子はせんべい
  • 「霊の湯2階」(1200円)
霊の湯、神の湯に入浴、又新殿を見学し、2階の広間(神の湯とは別でこじんまりとしている)で休憩。菓子はせんべいのデザイン違い。
  • 「霊の湯3階個室」(1,500円)
霊の湯、神の湯に入浴、又新殿を見学し、3階の個室で休憩。休日等は満室のことが多い。菓子は坊っちゃん団子

貸しタオル:60円(道後温泉の刻印のあるミニ石鹸付)

独特の赤色をしているオリジナルデザイン。210円で販売もしており、記念や土産用に買い求める客もいる。

かつて最も安価な神の湯階下は300円であったが、2005年7月に利用料金が値上げされ、上記の料金となった。料金の一部は、重要文化財である道後温泉本館の保存修復に充てられることになっており、入湯券の半券にもその旨記載されている。

営業

道後温泉の権利は、旧道後湯之町から戦時合併により受け継いだ松山市が有しており、各ホテル旅館への配湯はもちろん、本館と椿の湯の経営も行っている。年末の大掃除の日を除いて年中無休。年末大掃除の模様は、師走の格好の季節の話題となっており、地元放送局や新聞によく取り上げられる。

歴史

1890年、道後湯之町の初代町長として伊佐庭如矢(いさにわゆきや)が就任した。この頃、町の最大の懸案は、老朽化していた道後温泉の改築であった。

伊佐庭は町長就任に際して、自らは無給とし、その給料分を温泉の改築費用に充てることとした。総工費は13万5千円。当時の小学校教員の初任給が8円といわれた時代で、あまりに膨大な予算に町民は驚き、町の財政が傾きかねない無謀な投資だと非難が渦巻いた。反対運動は激しさを増し、伊佐庭が命の危険を感じるほどであったが、伊佐庭は決定を貫き通した。

棟梁は城大工の坂本又八郎を起用し、姿を現した木造三層楼は、当時でも大変珍しがられた。伊佐庭はさらに道後への鉄道の引き込みも企図し、道後鉄道株式会社を設立。一番町~道後、道後~三津口間に軽便鉄道を走らせ、客を温泉へ運んだ。関西からの航路が開かれるなど、道後温泉が発展していった時期であった。

現在、伊佐庭は道後の温泉街を見下ろす鷺谷(さぎたに)墓地に葬られている。

1994年12月、神の湯本館、又新殿(ゆうしんでん)・霊の湯棟、南棟、玄関棟の4棟が国の重要文化財に指定された。

1996年7月、 振鷺閣から打ち鳴らされる刻太鼓(ときだいこ)が、「残したい日本の音風景100選」に選ばれる。

2007年3月美しい日本の歴史的風土100選松山城と共に選定された。

2009年2月、経済産業省において「近代化産業遺産」に認定された。

改修工事をめぐって

松山市は2002年度から2005年度まで「道後温泉本館保存修復計画検討委員会」を設置し、本館修復方法等を検討した。100年以上もの間公衆浴場として使われ、長年に渡る劣化のため、基礎部分の大規模修復が必要となっていることが、芸予地震後の調査で明らかになった。他に替えがたい道後温泉のシンボル施設であるため、たとえ長期的な観点から大規模改修が必要とはいえ、改修期間中は共同浴場としては使用できず、また、期間も長期化することが予想されたことから、観光産業関係者は修復期間中に観光客の足が遠のくことを懸念した。その後、修復期間中は全面的に浴室として利用を中止するのではなく、一部を利用しながら順次修復していくことに落ち着いたテンプレート:要出典。検討委員会は2006年3月に最終報告を提出している。この中では工事を三期に分け、総工費は約20億円と試算された[3]

2012年1月、松山市長の野志克仁は本館の改修工事について、ドラマ『坂の上の雲』や本館創建120年の集客効果を考慮し、2013年末まで着手しないことを明らかにした[4]。2012年5月に松山市は「道後温泉活性化計画審議会」を発足させ、改修計画について具体的な検討に入った。2013年1月、審議会は工事中の代替施設として、市営のもう一つの外湯である「椿の湯」を改築することを盛り込んだ第一次答申を市に提出した[5]。地元である道後地区からは「第三の外湯」を設置する意見が出されていたが、答申では採用されず、審議会に参加した道後地区の委員も答申には「市の提案に地元の意見が網羅されている」として反対しなかった[6]

周辺

ファイル:Dougoonsen.jpg
商店街のアーケードからみた本館(2006年8月)
  • 周辺道路
かつて本館の四周に車両用道路があり、特に西側は現在の本館入り口に当たるものの、行き交う自動車で危ないこともあったが、現在は、南と東側道路の拡幅が完了し、西側と北側道路は石畳の歩行者用広場に変貌した。近代和風建築の情緒を安全に楽しむことができるようになり、道後温泉の魅力が一段と増すことになった。
地層から、約3,000年前の縄文中期の土器・石鏃(せきぞく)が発見され、当時、縄文人が沐浴していたと考えられるため、日本最古の温泉の根拠となっている。
  • ホテル・旅館街
本館からさらに北にかけてのゆるやかな坂道の沿道には、道後温泉を代表するホテルや旅館が建ち並んでいる。
  • 椿の湯
本館と同じ源泉を使用した共同浴場。本館向かいの商店街に入って2分ほど歩いたところにあり、地元住民がよく利用している。本館のような特別な休憩室はないが、比較的空いている。

漱石と本館

文豪・夏目漱石松山中学の英語教師として赴任したのは、本館の完成した翌年のこと。漱石はその建築に感嘆し、手紙や、後の小説『坊つちやん』の中で「温泉だけは立派なものだ」と絶賛している。実際に、頻繁に通ったという。手紙によれば、8銭の入浴料で「湯に入れば頭まで石鹸で洗って」もらうことができ、また3階に上れば「茶を飲み、菓子を食」うことができたようである。小説には「住田」の温泉として登場する。

これにあやかり、本館は「坊っちゃん湯」とも呼ばれる。1階の男湯浴室内には、『坊つちやん』の主人公が湯船で泳いで注意の張り紙をされたことにちなんだ「坊っちゃん泳ぐべからず」の札が掲げられている。

エピソード

テンプレート:出典の明記

「油屋」のモデル

本館は宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』に登場する「油屋」のモデルのひとつとされる[7]。木造による重厚な重層構造の共同湯である油屋について特定のモデルは無く複数の施設を参考にしたとされているが、実際に製作スタッフが道後温泉に逗留し、近代和風建築である本館のスケッチを行った記録もある。製作元も道後温泉本館がモデルであると明言しており[8]、公式サイト上にも大いに参考にした場所として紹介されている。

温泉名の額

本館正面玄関には「道後温泉」と書かれた額が掲示されている。これは新築当時からあったものではなく、1950年に道後温泉を舞台とした松竹映画てんやわんや』が撮影された時に、道後温泉と一目で分かるように撮影スタッフが掲げたベニヤ板製のものがはじまりである。これは撮影終了時に撤去されるはずだったが、利用客からも好評で存続することになった。文字は松山出身の画家村田英鳳による。戦後生まれの額である証拠に、文字が戦前主流だった右横書きではない。映画の大道具をそのまま使っていたため老朽化が激しく、1986年に現在の額に交換されている。

朝湯

通年、朝6時から太鼓の音とともに入浴できるのも名物となっており、地元客はもとより、朝湯を楽しむ観光客も多い。一番風呂の開始を告げるのが、本館の振鷺閣から鳴り響く「刻太鼓」。朝をはじめ、正午、夕方、ドーンドーンと迫力ある音がこだまする。

ミニチュア

近代和風建築の代表例として、東武ワールドスクウェアに1/25のミニチュアがある。

交通

テンプレート:Mapplot 伊予鉄道市内電車 城南線道後温泉駅から徒歩5分。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

出典

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参考文献

  • 『道後温泉』 道後温泉編集委員会編 発行:松山市観光協会(絶版)

関連項目

外部リンク

テンプレート:Asbox
  1. 文化遺産オンライン文化庁
  2. 道後温泉本館 4棟(松山市)
  3. 松山市平成20年度包括外部監査報告書「平成13年度のフォローアップ」(PDF文書) pp.86 - 88を参照。
  4. 道後温泉本館、「坂雲」効果を考慮し改修延期 インターネットミュージアム2012年1月16日(毎日新聞記事の転載)
  5. 道後温泉本館代替に「椿の湯」建て替え答申 愛媛新聞 2013年1月30日
  6. 道後温泉本館:改修問題 代替施設、「椿の湯」建て替え 松山市審議会、答申へ /愛媛 毎日新聞2012年12月22日
  7. いつものジブリ日誌 - スタジオジブリ(2003年1月9日付、同年4月6日閲覧)
  8. 千と千尋の神隠しロマンアルバム(美術監督の武重洋二インタビュー)