路上の霊魂

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テンプレート:Infobox Film路上の霊魂』(ろじょうのれいこん)は1921年製作・公開の日本映画で、小山内薫が主宰した松竹キネマ研究所の第1回作品である。

概要

当時、新派などの演劇の実写化に過ぎなかった日本映画界に起きた、日本映画の芸術的革新運動である純映画劇運動の提唱者の一人である小山内薫は、1920年に設立された松竹キネマ俳優学校の校長となり、同年6月創立の松竹キネマ合名社の理事となった。小山内は『奉仕の薔薇』と『光に立つ女』を製作して映画界の革新を図ったが、彼の芸術的志向と会社の商業的志向とが対立、同年10月に小山内派[1]は松竹から離れ、松竹キネマ研究所を設立。その第1回作品となったのがこの作品である。

ヴィルヘルム・シュミットボンの『街の子』(森鴎外訳)とマクシム・ゴーリキーの『夜の宿(どん底)』(小山内訳)を元に、牛原虚彦が脚本を執筆した。小山内は製作総指揮だけでなく、俳優として出演もしている。ほか、監督の村田実や茂原熊彦名義で牛原も出演しており、光線(照明)担当の島津保次郎もエキストラとして出演している。また鈴木伝明澤村春子英百合子の映画デビュー作でもある。

1921年4月8日に赤坂第一松竹館で封切られ、徳川夢声の説明でも知られた。しかし、西洋かぶれであると批判され、興業的にも不評で終わった。しかし、当時の日本映画界では画期的であった撮影技法が使われ、構成や演出的には後の日本映画界に少なからず大きな影響を与えた。

現在、作品は完全な形で現存しており、東京国立近代美術館フィルムセンターが所蔵している。そのため松竹映画の中で現存するもっとも古い作品となっている。2005年ポルデノーネ無声映画祭で上映された。

あらすじ

山奥で伐材所を経営している旧家の老人には、ヴァイオリニストになることを夢見て、許婚を置いて家出した息子(浩一郎)がいた。東京に出た浩一郎は、演奏を批判した評論家相手に暴力事件を起こし、音楽界を追われる。結婚し、一女を授かるが、生活に困り、妻・娘を連れて故郷に戻ろうとする。

その途中で、出獄したばかりの二人組の男に出会い、パンを恵んでもらう。浩一郎らは二人組と別れた後、父の元をたずねるが、許してもらえない。浩一郎らは寒い中、納屋に泊まることにする。一方、二人組はクリスマスパーティーの準備が整った別荘に忍び込み、パンを盗もうとするが、別荘番に見つかってしまう。しかし、肺病を病んでいる姿を憐れんだ別荘番は令嬢の許しを得て二人をパーティーに招待する。

その令嬢は伐材所の少年(太郎)がパーティーに来るのを待っていた。その頃、浩一郎は父が許してくれないため、1人で納屋を離れる。太郎が老人の姪(浩一郎の元許嫁)と納屋に行ってみると、娘は凍死していた。翌朝、改心した二人の男と別荘番は、凍死した浩一郎を発見する。令嬢は太郎にプレゼントを渡しに行った。令嬢と太郎は「憐み」の心があれば浩一郎らも救われたのではないか、と考える。

キャスト

スタッフ

脚注

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  1. 小山内派とは小山内の師事を受けた村田実島津保次郎牛原虚彦伊藤大輔や、松竹キネマ俳優学校の出身者である鈴木伝明澤村春子らのことをいう。