足高の制

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足高の制(たしだかのせい、足高制)は、徳川吉宗享保8年(1723年)6月に施行した法令。

江戸幕府の各役職には各々禄高の基準を設けられていた(例:大番頭5000石)。そこで、それ以下の禄高の者が就任する際に在職中のみ不足している役料石高)を補う制度である。

能力や素質があるが家柄が低いために要職に就けないといった旧来の不都合を解消し、良質の人材を登用することをその目的としている。ただし実際にはそれ以前にも、特に有能な者は加増をしてでも高位に取り立てることは行われており、それが幕府財政窮乏の一因ともなっていた。足高の制によって、役職を退任すれば石高は旧来の額に戻るため、幕府の財政的な負担が軽減できるというのが最大の利点であった(ただし、遠国奉行は出費の機会が他の役職よりも多いことを考慮されて足高の有無を問わずに役料が別個に支給された)。しかし現実には完全施行は難しかったようで、家格以上の役職に就任した者が退任するにあたって世襲家禄を加増される例が多かった。

この制度の提言は、吉宗政権で政治顧問的待遇を受けた酒井忠挙が、京都所司代松平信庸が自らの領地からの収入だけでは任務に支障が生じていることを見て、吉宗に「重職役料下賜」を提言したことによる。儒学者室鳩巣の建事により実施された。この政策により要職に登用された人物として、大岡忠相田中丘隅などがいる。

翌享保9年7月及び、元文4年(1739年)3月に足高などの修正を行って制度の充実が図られた。

主な基準石高(導入時)

  • 御側役・留守居・大番頭 : 5千石
  • 書院番頭・小姓組番頭 : 4千石
  • 大目付・町奉行・勘定奉行・百人組頭・小普請組支配 : 3千石
  • 旗奉行・槍奉行・西城留守居・新番頭・作事奉行・普請奉行・小普請奉行 : 2千石
  • 持弓持筒頭・先手弓筒頭 : 1.5千石
  • 留守居番・目付・使番・書院番組頭・小姓組組頭・小十人頭・徒頭 : 1千石

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