西村幸祐

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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox 作家 西村 幸祐(にしむら こうゆう、1952年(昭和27年) - )は、日本作家評論家批評家ジャーナリスト戦略情報研究所客員研究員。一般社団法人アジア自由民主連帯協議会副会長。日本文化チャンネル桜の「桜プロジェクト」、「報道ワイド日本 Weekend」のキャスター。

来歴

テンプレート:出典の明記 東京都出身。慶應義塾大学文学部哲学科中退。大学在学中から第6次『三田文学』の編集に携わる[1]西尾幹二によれば、当時学生だった西村が企画した「三田文学」の三島由紀夫の特集「三島死後5年と戦後30年」で、西尾と桶谷秀昭の対談を企画・実現している[2]

その後、『ニュー・ミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』)、編集、レコーディング・ディレクター、コピーライターを経て、1980年代後半からスポーツをテーマに作家、ジャーナリストとして活動を開始[1]1990年代前半はほぼF1をテーマとした取材、執筆活動に専念していたが、1993年(平成5年)のワールドカップ予選からサッカー取材を開始。1994年(平成6年)、取材対象をサッカーへ移行した。1996年(平成8年)、日本初のサッカーオンラインマガジン『2002JAPAN』(後の『2002CLUB』[3])の編集長。2000年(平成12年)にはサッカー雑誌『サッカー・ウィナーズ』(新潮社)をプロデュース。

2002年(平成14年)の日韓ワールドカップ北朝鮮による日本人拉致問題を契機に、歴史認識問題やメディア批判、安全保障問題などに執筆分野を変更[1]。『諸君!』や『正論』、『WiLL』、『Voice』など論壇誌や、『SAPIO』、『リベラルタイム』など時事雑誌への執筆活動を開始。主に"特定アジア"における反日や、朝日新聞など既存メディアへの批判も展開。

このほか、三島由紀夫の評伝や『週刊少年ジャンプ』でF1を題材にした漫画原作、ゴルフをテーマにした海外ミステリー翻訳などを手掛けている。

サブカル音楽文学)からスポーツF1サッカー)、政治北朝鮮による日本人拉致問題反日人権擁護法案など)・マスコミインターネット言論(2ちゃんねるブログ)・チベット問題ウイグル問題と幅広いジャンルを扱い、2ちゃんねるやブロガーの活動を肯定的に評価している。また、Chinaのことをシナと呼び、渡辺昇一呉智英高山正之のように「支那」あるいは「シナ」と表記しているが、固有名詞の「中国共産党」を使用する場合はChina中国と表記している。

2006年(平成18年)からはオークラ出版#撃論ムック」シリーズ(2010年12月休刊)を創刊して責任編集者となる。2008年(平成20年)7月には「チベット自由人権日本100人委員会」のメンバーとなり、7月30日に開催された発足記念シンポジウムに参加した。2011年(平成23年)には『ジャパニズム』の創刊に関わり、第3号まで責任編集者を務めた。

活動

  • 2004年(平成16年)8月15日に開局した日本文化チャンネル桜のベルト番組、「報道ワイド日本」の金曜日「クリティーク」のキャスターを務める。一時期、キャスターから退いたが、2007年に交代制でキャスター復帰、討論会にも出演している。
  • 2006年(平成18年)からオークラ出版で「#撃論ムック」シリーズの編集長を務める傍ら、文芸言論誌『表現者』において「幻の黄金時代――オンリー・イエスタデイ'80」の連載を開始。また。6月に開催されたワールドカップドイツ大会では、日刊スポーツWEBでコラムを連載した。
  • 2007年(平成19年)8月、自らが連載をする文芸言論誌『表現者』の編集委員となった。
  • 2008年(平成20年)7月、「チベット自由人権日本100人委員会」発足シンポジウムにパネリストとして出席、同委員会の主要メンバーに就任。
  • 2010年(平成22年)2月28日、すぎやまこういち三橋貴明と共に、「日本人の日本人による日本人のためのメディア」として、ブログを集積し、既存メディア監視を主な目的とする情報サイト「メディア・パトロール・ジャパン」を開設し、編集長に就任した[4]。その後、テンプレート:要出典範囲、休止している。
  • 2009年(平成21年)7月13日、海外特派員協会で記者会見を行い、「中国によるウイグル弾圧への緊急声明」を発表した。この声明はウイグル自由人権アジア委員会の名で発表され、ウイグル人のイリハム・マハムティ、チベット人のペマ・ギャルポ、モンゴル人のリーガー・スチェント、元中国人で日本に帰化した石平が出席した[5]
  • 2011年(平成23年)11月26日、「一般社団法人アジア自由民主連帯協議会」副会長に就任。
  • 2012年(平成24年)7月16日、同日から翌17日にかけて陸上自衛隊第1師団が東京直下型地震を想定した訓練を実施する際、東京都の特別区23区のうち16区が自衛隊による区施設等の利用を拒否したとのツイートをおこなう[6]。7月18日には日本文化チャンネル桜『ニュースの読み方』にて、自身の「スクープ」として発表した[7]。産経新聞が7月23日付で報じたほぼ同内容(協力を拒否したのは11区としている)の記事については、自身のスクープを後追い報道したものであると述べた[7][8]。名指しされた11区は産経新聞に対し「報道内容は事実無根」との抗議をおこない、7月25日に産経新聞は記事内容が誤報であったことを認めて謝罪・訂正をおこなった[7]。西村本人は、誤報でないという立場を取っている[9]
  • 2013年(平成25年)11月19日、衆議院国家安全保障特別委員会に参考人として招致され、「特定秘密の保護に関する法律案(185国会閣9)・行政機関の保有する情報の公開に関する法律等の一部を改正する法律案(185国会衆1­)」(通称・特定秘密保護法案)について意見陳述を行った[10]。西村を参考人の意見陳述で招致したのは日本維新の会であった[11]。評論家の石平は西村との共著『「反日」の敗北』の中で、「特定秘密保護法をめぐる攻防が、それこそ戦後体制を守ろうとする左翼のマスコミが総力を結集してきたことをあらわしています。例えば、朝日新聞は掻き集めることのできるすべてを総動員して安倍政権と戦ったわけです」[12]と述べ、西村は「朝日新聞の誤算は昔と同じやり方が通用しなかったことです」」[13]と応じた。

歴史認識問題について

  • 2004年(平成16年)12月刊行の『「反日」の構造』(PHP研究所)に於いて、「大東亜戦争を客体化する試みこそ歴史認識の最初のステップであるはずなのだが、戦前の皇国史観の裏返しとしてのマルクス主義史観が戦後日本の歴史研究の潮流になり、大東亜戦争を客観的に歴史の文脈の中で相対化する精緻な研究が疎かにされてきた」[14]と述べている。また、大東亜戦争という言葉について、「日本人の歴史学者が〈大東亜戦争〉という言葉を使わないことが全てを物語っている。結局、彼らは「閉された言語空間」から自由になれないまま〈閉ざされた思考空間〉での認識に終始している。占領下六年八ヵ月の位相転換と、それによってもたらされる戦後に対する視座の変革のためには、まず〈大東亜戦争〉という言葉を使うことで、閉ざされたドームの膜を切り裂かなければならない。占領期にアメリカに奪われた言葉としてまず挙げられるのが、〈大東亜戦争〉という言葉であり、戦争スローガンにもなっていた〈八紘一宇〉という言葉も抹殺された。いずれにしても、日本人が主体的に過去を引き受けるためには、どうしても〈大東亜戦争〉という言葉を使わなければばらないのだ」」[15]と述べている。
  • 2007年(平成19年)7月の久間章生の防衛大臣辞任に関して、自身のブログにて朝日新聞を批判する文脈の中で、「広島の原爆慰霊碑の主語が不明確な問題の碑文、「過ちは繰り返しませぬから」を書き換える意思のない者は、久間大臣の「しょうがない」発言を批判する資格は無い。」と批判した[16]
  • 2007年(平成19年)6月14日の米国紙ワシントン・ポストに「従軍慰安婦問題」の日本軍の強制連行を否定し、アメリカ合衆国下院121号決議の完全撤回を求める意見広告THE FACTS」を出稿した歴史事実委員会のメンバーとなった。
  • 2012年(平成24年)11月6日、米国ニュージャージー州の地方紙「スター・レッジャー」に歴史事実委員会のメンバーとして、米紙「ニューヨークタイムズ」に出された韓国人による意見広告とニューヨーク市タイムズスクエアに掲出された広告ボードに反論する慰安婦の強制連行はないとする意見広告を掲載した。この年の「歴史事実委員会」は、青山繁晴櫻井よしこすぎやまこういち藤岡信勝、西村の5名で構成されている。
  • テンプレート:要出典範囲

韓国について

  • 『WiLL』2014年4月号への寄稿の中で、「古来、朝鮮が歴史的にそうであったように、韓国は日韓条約で国交樹立後は日本に事大し続け、九〇年代の金永三政権からその軸足を移行し始め、盧武鉉政権の混乱後は完全に支那へ足を向け、朴槿恵政権で支那への事大が明確になった。つまり、一八九五年の日清戦争後に日本が華夷秩序を破壊して朝鮮を支那の冊封から逃れさせ、独立させたにもかかわらず、現在の韓国は二十一世紀になって新たな中国共産党が支配する支那による冊封を受けようと決断したのである」と述べている[17]

日米関係について

  • 『WiLL』2014年7月号への寄稿の中で、「第二次安倍政権発足後の一年五カ月を振り返ると、日米関係の百六十年間の歴史上でかつてなかった新しい局面に両国が立入ったことがよく分かる。奇しくも今年は、嘉永七年(一八五四)にペリーが黒船による砲艦外交で日本を開国させ、日米和親条約が締結されてからちょうど百六十年目にあたる。日米関係はこのように、わが国と西洋の関係を象徴するように最初の一歩が武力による威嚇から始まった。そんな日米関係が、いよいよ新しいフェイズに入ったと思わざるを得ない出来事が立て続けに起きている。」とし、「現在の日米関係の新しいフェイズとは、具体的には、いい悪いを別にしてはっきり現象面に表れているのが、日本の米国離れである。それは、スポーツを除く文化、芸能、サブカルチャーに関する、日本人のここ十年の傾向になった米国離れだけでなく、政治的な親和性もこの数年で急速に失われたことも含めてである。現在の課題である河野談話問題にどう決着をつけるのかというポイントも、実はそこにある。もちろん、靖国参拝への米国からの雑音もそれに含まれている。ペリー来航による日本の開国後、米国は幕末の日本の国力や日本人の民度に驚嘆し、露骨に侵略的な態度を見せることはなかった。明治維新後も、米国はハワイ侵略や米西戦争という厄介な難題を抱えていた事情もあり、日露戦争終了後までは日本と協調路線を取った。日米関係の転機は日露戦争後に訪れるが、大きく事態が変わるのは十年後の第一次大戦後だった。」と述べた[18]

家族・親族

祖父は歴史学者西村眞次。また、叔父文化人類学者の西村朝日太郎、従兄弟に沖縄県知事を務めた稲嶺惠一がいる。

著書

F1・サッカー関連

評論関連

責任編集

撃論ムック

2006年(平成18年)12月に「コミックオピニオン誌」としてオークラ出版から1号のみ(これは山野車輪が担当)、以後は2010年(平成22年)12月まで別冊ムックだけが30冊刊行された『撃論』シリーズで責任編集を担当した。2010年(平成22年)12月27日発売の「反日マスコミの真実2011」の編集後記で休刊を宣言した。以後「―ムック」は本誌に集約される。

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ジャパニズム

2011年(平成23年)より青林堂で、『撃論ムック』を継承する雑誌『ジャパニズム』(題字は「JAPANISM」)の創刊に関わり、4月26日発売の創刊号より8月26日発売の03号まで責任編集者を務めた。なお、出版社が異なるにもかかわらず“継承”出来た理由は不明。テンプレート:See also

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漫画原作

翻訳

受賞

  • 1982年、朝日広告賞部門賞(コピーライター)受賞。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

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  1. 1.0 1.1 1.2 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「amazon」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 西尾幹二著『三島由紀夫の死と私』 テンプレート:要ページ番号
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  7. 7.0 7.1 7.2 テンプレート:Cite news
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  10. 第185回国会 国家安全保障に関する特別委員会 第15号(平成25年11月19日(火曜日))
  11. テンプレート:Twitter status
  12. 『「反日」の敗北』 p.132
  13. 『「反日」の敗北』 p.133
  14. 『「反日」の構造』(2012年発行の文庫版) p.28
  15. 『「反日」の構造』(2012年発行の文庫版) p.30
  16. 原爆慰霊碑の碑文改定を目指さない者に、久間発言批判の資格はない
  17. 『WiLL』2014年4月号「韓国化する支那 今こそ21世紀の脱亜論を」 テンプレート:要ページ番号
  18. 『WiLL』2014年7月号「米国の悪意を見抜いた日本国民」 テンプレート:要ページ番号