西之島

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西之島(にしのしま)は、小笠原諸島無人島)。海底火山の活動により生じた火山島であり、付近では2014年6月現在も頻発に噴火活動がみられる。時には海面近くの噴火口からの火山噴出物により「新しい陸地」が生じることもある。1973年2013年に近傍で噴火し、それぞれ陸地を形成した。

英語でもNishinoshimaと表記するが、Rosario Islandとも呼ばれる[1]。これは1702年にこの島を発見したスペイン帆船「ロザリオ号」による命名である。行政区画は、東京都小笠原村

地理

東京の南約1,000キロメートル父島の西約130キロメートルに位置する。火山列島(硫黄列島)と同一火山脈に属し、付近は海底火山活動が活発である。西之島火山体は海底から計測すると比高4,000メートル、直径30キロメートルにもなる大火山であり、火山体の山頂部は直径約1キロメートルの火口地形で、海面に出ている西之島はその火口地形の頂点にすぎない。周囲の海は、島の北方沖合い数百メートルまで水深10メートル未満の浅瀬で、1~2キロメートル沖まで水深30メートル程度の浅い海だが、その先は火山体の急峻な斜面となり、数千メートルの深海に至る。島の北の沖合いにある岩礁も火口縁の一部である。

生態系

西之島は海洋島であり、噴火後まだ時間が経過していないため植物相は貧弱で、スベリヒユオヒシバイヌビエグンバイヒルガオハマゴウ及びツルナの6種しか確認されていない[2]。これらの多くは、種子の海流散布を行う植物である。

動物では、アカオネッタイチョウアオツラカツオドリオオアジサシオーストンウミツバメカツオドリオナガミズナギドリセグロアジサシなどの12種類の鳥類の生息、そのうち9種類の繁殖が確認されている[2]。その他にはアリやクモ、カニの生息が確認されている[2]1975年には新属新種のニシノシマホウキガニが発見された(同種は他の島にも生息が確認されたが、西之島では噴火活動によりその後の生息が確認されていない)。かつてはアホウドリも生息していたとされる。

2008年8月1日に国指定西之島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている(面積29ヘクタール)。島全域が特別保護地区である。島に人は居住していない。

海底火山の活動に伴う「新島」現象と地形の変化

西之島は4000メートル級の山体をもつ海底火山の火口縁がわずかに海面上に現れた部分にあたる。かつての西之島(旧島)は面積0.07平方キロメートル、南北650メートル、東西200メートルの細長い島だった。この海底火山は噴火の記録はなかったが、1973年に「有史以来初めて[3]」噴火し、大量の溶岩流や噴出物が海面上まで堆積して西之島付近に新しい陸地を形成した。この陸地は「西之島新島」と命名され、当時は「新島ブーム」とマスコミに報道され、大きな話題となった。西之島の東側の火山体の火口は、1911年の測量では深さ107メートルあったが、この噴火により50メートル未満まで浅くなった。

1年に及ぶ噴火が収束すると、新島は南側からの波で強い侵食を受け、最初の数年は年間 60~80メートルの速さで海岸が後退した。新島は波で削られて失われ、火孔や標高52メートルの丘も消失したが、削られた土砂が波で運ばれて湾内に堆積した。堆積の速さが侵食を上回ったため、侵食されながらも面積が増加した。1982年には湾の一部が海から切り離されて湖になり、1980年代を通して堆積を続け、1990年頃には湾口は無くなり完全に一体化、旧島北端を頂点とした、釣り鐘のような四角形状の島になった。形状が安定すると面積は減少に転じ、1999年時点での新島部分の面積は0.25平方キロメートル、最高標高は15.2メートルである。また、旧島部分を含めた西之島全体の面積は0.29平方キロメートル、最高標高は25メートルであった。2003年時点で島の大きさは、東西約760メートル、南北約600メートル程で、安山岩を主体としていた。

島の付近では数年おきに海水の変色や蒸気の吹き上げが観測されていたが、2013年には40年ぶりに噴火を観測し、新しい陸地を形成した。1973年と2013年のどちらも、当初は西之島から海面を隔てた「別の島」であったが、溶岩の噴出や堆積が進んで西之島と一体化している。2013年の噴火は1973年の噴火と比較して溶岩流出量が非常に多く、また1973年の噴火による堆積で水深10メートル未満の浅瀬が広がっていたことにより、島の急激な成長に繋がった。一連の活動はなおも継続しており、陸地の規模は変化するとみられる。なお、西之島から噴出しているマグマについて、伊豆諸島の島である三宅島八丈島青ヶ島鳥島などは玄武岩マグマを噴出するが、西之島では大陸地殻に似た安山岩マグマを噴出しているため、大陸形成過程の謎を解明する手がかりになるのではと研究者が注目している[4]

1973年の噴火に伴う経過

ファイル:Nishinoshima mlit1978.jpg
航空写真(1978年当時)
写真上方が西北。湾を挟んで上の部分が旧島、下の部分が1973年の噴火により形成された新島。後に湾になっている部分が堆積作用により土砂で埋まり、2013年の噴火直前は台形状の海岸線になっていた。

1973年5月30日、西之島の東方600メートルで海底火山の噴火があり、同年9月11日に新しい島が出現した。同年12月21日には海上保安庁により「西之島新島」と命名された。この時点で新島の大きさは、東西550メートル、南北200~400メートル、面積0.121平方キロメートル、標高52メートルに達していた。その後も火孔の増加、噴石の堆積やマグマの流出により新島は成長を続け、翌年には西之島と陸続きとなり[5][6]、上が開いた「コ」の字形(馬蹄型)の地形の内側に湾をもつ島となった。

1973年(昭和48年)
  • 4月12日 - 変色水が確認される。
  • 5月30日 - 西之島の東方600mで海底火山の噴火による白煙を観測。
  • 6月27日 - 噴煙、噴石、水柱を観測。
  • 9月11日 - 直径30~50メートルの新島を発見。
  • 9月14日 - 西之島南端から東南東に600メートル地点に、直径120~150メートルの新島を確認。中央に直径約70メートルの円形噴火口、高さ北側で約40メートル、南側で約20メートル。
  • 9月29日 - 新島主火口より溶岩流出。その西約40メートルに第2新島を発見。
  • 10月9日 - 第2新島の西に3つ目の新島が確認される。
  • 10月10日 - 第1~3新島が陸続きになる。
  • 10月30日 - 第3新島のみを残し2つが消滅した。
  • 11月20日 - 火孔が東に約400m移動して噴火が続く。
  • 12月21日 - 海上保安庁により「西之島新島」と命名される[5][7]
1974年(昭和49年)
  • 3月2日 - 新島の東北方に第3、第4、第5火孔ができ、第5火孔によって新々島が形成され孫島とも呼ばれる。
  • 3月14日 - 新々島が新島とつながった事を確認。東京水産大学等の調査隊が上陸、3月には東海大学の調査隊、東京大学東京工業大学の調査隊がそれぞれ調査を行った[8]
  • 5月 - 火山活動が収束する。火山活動収束時の溶岩堆積量は2400万平方メートル。
  • 6月10日 - 漂砂などにより新島と旧島が接続した事を確認。馬蹄形の形状となる[5]

2013年の噴火に伴う経過

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2013年(平成25年)
  • 11月20日 - 西之島の南南東500メートルで噴火があり、新しい陸地が出現した。10時20分ごろ、海上自衛隊が西之島付近で噴煙を確認[9]。16時17分、海上保安庁航空機が西之島南南東の500メートル付近に、直径200メートル程度の噴石の島が出現した事を確認した[10]
  • 11月21日 - 菅義偉官房長官は新島の命名について「島が消滅した例があるために現時点で命名の予定はない」と述べる[11]
  • 11月22日 - 海上保安庁、島に2つの火口を確認[12]
  • 12月26日 - 海上保安庁観測、9時23分には溶岩流が西之島の南岸に到達し、2ヶ所で接続して一体化していた[13]。12月24日に入り江だった部分が池になる。
2014年(平成26年)
  • 2月4日 - 海上保安庁観測、西之島全体の面積が今回の噴火以前の3倍となる[14]。入り江が池になった部分が完全に埋まり、島の形は紡錘形になった。
  • 3月22日 - 国土地理院が無人機で観測、海面上で確認できる噴出溶岩量は約1130万立方メートルに成長、海面上の標高は71メートルに達していた(4月14日報道発表)。海面上の部分で1日あたり10万立方メートルの溶岩が噴出しているとみられる[15][16]
  • 3月24日 - 海上保安庁観測、これまで知られていた新しい陸地の南側・北側の2つの火口に加え、北側の火口の西側に新たな火口を確認[17]
  • 東大地震研究所の分析により、噴火開始から4月上旬までに噴出したマグマの総量が、1973年の噴火の規模を上回っていることが確認された。なお、海上保安庁の見解では、周辺海域の水深が深いため、今後は「面積の増え方は減ってくるのでは」としている[18]
  • 6月13日 - 海上保安庁観測、北側の火口の東約150メートル付近に新たに4つめの火口を確認[19]東京工業大学の野上健治は観測機に同乗し「溶岩の供給は安定的」「極めて活発な活動状態」と述べた。
  • 6月27日 - だいち2号が撮影した最初の画像の1つとして西之島の高分解能モード画像が公開された[20]
  • 7月23日 - 海上保安庁観測、島の面積が噴火前の6倍に拡大。噴煙の高さも先月までより数倍規模に達していた[21]。東京工業大学の野上は「これまでよりも爆発規模が大きくなっている」「活動はここ数ヶ月よりも上向き」とコメント[22]

形状の推移

西之島の形状変化を時系列順に示す。右上に「※」が付いているものは、新しい陸地(新島)部分の単体の数値。

形状の推移
時系列 事象 面積
(km2)
最高点標高
(m)
長さ/東西
(m)
幅/南北
(m)
溶岩堆積量
(m3)
観測者
1973年以前 0.07 平坦 650 200 - 国土地理院
1973年9月11日 噴火により、島の東南東沖600mに新しい島(1973年新島)を確認。 1-5 30-50 30-50 - 海上保安庁
1973年9月14日 新島中央に直径70メートルの噴火口を確認。 40 120-150 120-150 - 海上保安庁
1973年12月21日 海上保安庁が「西之島新島」と命名。 0.121 52 550 200-400 - 海上保安庁
1974年8月3日 新島が西之島と一体化した後、航空測量を実施。 0.316
(0.238
- - - - 海上保安庁
1999年 波による侵食で島は徐々に縮小していた。 0.29
(0.25
25
(15.2
- - - 気象庁
2003年 海上保安庁水路部測量[23] 0.29 25 760 600 - 海上保安庁水路部
2013年11月20日 噴煙を確認。6時間後、島の南南東沖500mに新しい島(2013年新島)を確認。 200 110 - 海上保安庁、パスコ
テンプレート:Nowrap [24] - - - 200 170-180 - 海上保安庁
2013年12月4日 新島の面積が初日より3.7倍に拡大。 0.056 27 300 260 300,000 海上保安庁、国土地理院
テンプレート:Nowrap [25] 新島の面積が初日より5倍に拡大。 0.08 39 400 300 800,000 テンプレート:Nowrap国土地理院
テンプレート:Nowrap テンプレート:Nowrap 新島は西之島の8割の面積に。溶岩流が西之島に到達し、26日に一体化。 0.39
(0.15
- 450 500 - 海上保安庁
テンプレート:Nowrap テンプレート:Nowrap 新陸地の面積10倍に。接合部の池が埋まり、西之島全体が紡錘形になった。 0.72
(0.45
66 900 750 7,900,000 海上保安庁、国土地理院
テンプレート:Nowrap テンプレート:Nowrap 北火口の西側に新たな火口を確認。新陸地の面積は11月当初の70倍に。 0.7 71 1150 850 11,300,000 国土地理院、海上保安庁
テンプレート:Nowrap 1973年の噴火の溶岩堆積量より多くなった。 0.75 1150 950 25,000,000 海上保安庁、国土地理院
テンプレート:Nowrap 新陸地の面積は11月当初の86倍に。 0.86 1300 1050 海上保安庁、国土地理院
テンプレート:Nowrap 島全体の面積は11月以前の6倍に。海面に出ている溶岩量は東京ドーム18杯分。 1.3
(1.08
74 1580 1380 22,200,000 国土地理院(7月4日)
海上保安庁(7月23日)

歴史

西之島に井戸水はない上に農耕にも適さないため、遭難船の漂着者を除いて人が居住していた記録はない。ただし、西之島では産出しない半深成岩でできた、お面のようにも見える長さ23センチメートルの石が東海大学の調査隊によって採取されている[26]

  • 約1000万年前 - 火山活動により島が誕生。
  • 1543年天文12年) - スペイン帆船サン・フアン号の航海日誌に、火山列島発見後に北東に向け航行中「噴火する岩」を見たという記述があり、彼らの測量が正しければ西之島が記録に登場する初出となる。
  • 1702年元禄15年) - スペインの帆船ヌエストラ・セニョーラ・デル・ロザリオ号 Nuestra-Senora del Rosario が発見し、「ロザリオ島 Isla de Rosario」と命名。
  • 1801年寛政13年) - イギリス軍艦ノーチラス号によって「ディスアポイントメント(失望)島」と命名。
  • 1854年嘉永6年) - 前年に小笠原諸島父島に来航したペリー提督のサスケハナ号琉球に戻る途中に測量し、「ディスアポイントメント島はロザリオ島と同一の島」と報告。
  • 1875年明治8年) - グアノを採取するため、西之島に渡る日本人がいた[27]
  • 1904年(明治37年) - 日本語で「西ノ島」と呼ばれるようになった。
  • 1911年(明治44年) - 海防艦松江測量を実施した(測量記録は関東大震災のため失われた)。翌年発行の海図からは「西之島」と表記。
  • 1928年昭和3年) - 父島母島を結ぶ定期船「母島丸」が難破し、西之島に漂着。乗員乗客は海鳥の卵や草を食べて生き延び、1週間後に救助された。
  • 1945年(昭和20年) - 日本が第二次世界大戦に敗北、西之島は小笠原諸島・火山列島の島々とともにアメリカ軍の支配下におかれ、1952年サンフランシスコ講和条約によってアメリカ合衆国の管理下となる。
  • 1968年(昭和43年) - 小笠原返還協定により日本国に復帰。東京都小笠原村に所属。
  • 1973年(昭和48年) -5月30日、西之島の東方600メートルで海底火山が噴火し、同年9月11日に新しい陸地が出現した。同年12月21日には海上保安庁により西之島新島と命名された。
  • 1974年(昭和49年) - 6月、新島と旧島が一体化していることを海上保安庁が確認した。
  • 1975年(昭和50年) - 新属新種のニシノシマホウキガニが発見された。その後の火山活動で生息域が埋没し、島内では絶滅した(なお1993年以降、悪石島北硫黄島などで同種が生息しているのが確認されている)[28]
  • 1982年(昭和57年) - 新島と旧島の間の湾が、土砂の堆積により湾口が閉じ、になる。
  • 1990年平成2年)- 湾が土砂の堆積により埋め立てられ消失する。
  • 2008年(平成20年)8月1日 - 国指定西之島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定される(面積29ヘクタール)。島全域が特別保護地区となる。
  • 2013年平成25年) - 11月20日、西之島の南南東500メートル付近で40年ぶりに噴火を確認[29][30]。新島が出現して急拡大し、12月26日には海上保安庁が西之島と一体化したことを確認した。なお、翌2014年も噴火活動は継続している。


参考文献

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:伊豆・小笠原諸島の島々

テンプレート:日本の活火山
  1. Freeman, Otis W. (1951). Geography of the Pacific, pp. 229-235.
  2. 2.0 2.1 2.2 テンプレート:PDFlink
  3. 西之島、気象庁ウェブサイト
  4. 西之島の不思議:大陸の出現か? JAMSTEC 海洋掘削科学研究開発センター 2014年6月12日
  5. 5.0 5.1 5.2 テンプレート:PDFlink 小坂丈予、アーバンクボタ NO.15、1978年1月
  6. テンプレート:PDFlink 小坂丈予
  7. テンプレート:PDFlink 小坂丈予
  8. テンプレート:PDFlink 小坂丈予
  9. テンプレート:Cite web
  10. テンプレート:Cite web
  11. テンプレート:Cite web
  12. テンプレート:Cite web
  13. テンプレート:PDFlink 海上保安庁海洋情報部
  14. テンプレート:Cite web
  15. テンプレート:Cite news
  16. 西之島の空中写真を無人航空機で初めて自動撮影,国土地理院,2014年4月14日14:00発表
  17. 西之島の火山活動の状況(3月24日)(PDF), 海上保安庁, 2014年3月25日付
  18. テンプレート:Cite news
  19. 噴火中の小笠原西之島に新たな火口 大量の溶岩、海まで, 朝日新聞2014年6月16日付
  20. テンプレート:Cite web
  21. 西之島 面積が噴火前の約6倍に(NHKニュース)
  22. テンプレート:Cite news
  23. 西之島火山 - 陸上地形, 中野俊(産業技術総合研究所),2013年10月11日付
  24. テンプレート:Cite web
  25. テンプレート:Cite web
  26. 青木斌・小坂丈予編著「海底火山の謎 - 西之島踏査記」東海大学出版会、1979年、122頁
  27. 佐藤孫七(1974)海底火山西之島事情,水路9 3-1,日本水路協会
  28. 「ニシノシマホウキガニ」について, 小坂丈予「海底火山調査にまつわる話(5)〜新島形成後の西之島〜」P.35,『水路』第128号, Vol.32, No.4, 財団法人日本水路協会, 2004年
  29. テンプレート:Cite web
  30. テンプレート:Cite news