蝉丸

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『月の四の緒』(月岡芳年『月百姿』)

蝉丸(せみまる、生没年不詳)は、平安時代前期の歌人、音楽家。古くは「せみまろ」とも読む。

人物

小倉百人一首』にその歌が収録されていることで知られているが、その人物像は不詳。宇多天皇の皇子敦実親王雑色醍醐天皇の第四皇子などと諸伝があり、後に皇室御物となった琵琶の名器・無名を愛用していたと伝えられる。また、仁明天皇の時代の人という説もある。生没年は不詳であるが、旧暦5月24日およびグレゴリオ暦6月24日月遅れ)が「蝉丸忌」とされている。

逢坂の関に庵をむすび、往来の人を見て「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」の和歌を詠んだという(百人一首では “行くも帰るも分かれては” となっている)。このため、逢坂の関では関の明神として祭られる。和歌は上記のものが『後撰和歌集』に収録されている他、『新古今和歌集』『続古今和歌集』の3首を含め勅撰和歌集に計4首が採録されている。

逸話

管弦の名人であった源博雅が逢坂の関に住む蝉丸が琵琶の名人であることを聞き、蝉丸の演奏を何としても聴きたいと思い、逢坂に3年間通いつづけ、遂に8月15日夜に琵琶の秘曲『流泉』『啄木』を伝授されたという(『今昔物語集』巻第24 第23話)。

他にも蝉丸に関する様々な伝承は『今昔物語集』や『平家物語』などにも登場している。

その他

  • に『蝉丸』(4番目物の狂女物)という曲がある。逆髪という姉が逢坂の関まで尋ねてきて、2人の障害をもった身をなぐさめあい、悲しい別れの結末になる。この出典は明らかでない。
  • 近松門左衛門作の人形浄瑠璃にも『蝉丸』がある[1]。蝉丸は女人の怨念で盲目となるが、最後に開眼する。
  • 百人一首カルタの絵札では、禿げ上がった後頭部が露呈した後ろ向きの姿や、帽子(もうす)を被った姿といった、いわゆる「坊主」の絵札の中では唯一、特徴的な姿で描かれることが多いため、坊主めくりなどの遊びでは、トランプでいうジョーカーに相当する札とされる場合がある。

蝉丸に関する史跡

脚注

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  1. 『源氏烏帽子折・蝉丸』近松門左衛門著武蔵屋叢書閣、1896年

関連項目

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  • 蝉丸 - 能面の少年面。盲目だが気品ある顔立ち

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