若秩父高明

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テンプレート:Ambox-mini テンプレート:Infobox 力士 若秩父 高明(わかちちぶ こうめい、1939年3月16日 - )は、埼玉県秩父郡高篠村(現:埼玉県秩父市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士である。本名は加藤 高明(かとう こうめい)。最高位は西関脇。現役時代の体格は175cm、150kg。

本名は周囲から「たかあき」と読まれることが多いそうだが、本名・四股名共に読みは「こうめい」である。

来歴

1939年3月16日に、埼玉県秩父郡高篠村(現:埼玉県秩父市)の大日本帝国陸軍軍人の家に長男として生まれる。小学生の頃から大食いで体格が大きくなり、高篠中学校では相撲部に所属して毎日一升の飯を食い、秩父郡の相撲大会で活躍した。1954年埼玉県立秩父農工高等学校へ進学したが、ある休日に花籠部屋が2代花籠(住ノ江平五郎)の追善興行を行っていると聞いて見学に行くと、小部屋であるがゆえに間が持たないとして飛び入り参加を許された。何番が相撲を取った後に花籠から見い出されて勧誘され、相撲が好きだったので入門しようとするが母に反対された。しかし、2代花籠のを発見した張本人である地元の外科病院長と花籠がすぐに母を直接説得して入門を了承したため、中途退学して花籠部屋へ入門した。

1954年5月場所において、15歳で初土俵を踏んだ。四股名は故郷・埼玉県秩父と若乃花幹士から「若秩父」と命名された。入門してからえびすこぶりは相変わらずであり、幕下時代は毎食どんぶり飯10杯を食べたという。若乃花幹士からの直々の指導は特に効果があり、また若秩父自身も稽古熱心であることから出世も順調で、1958年1月場所で新十両昇進。因みに幕下通過までの間に45kgの増量を果たしたという。同年5月場所には富樫剛北葉山英俊明歩谷力伸玉響克己富士錦猛光若三杉彰晃と自身を加えた7人による十両優勝決定戦を制し、十両優勝を果たした。この時の7人は全員が若い有望力士だった[1]ことから、黒澤明の映画を捩って「7人の侍」と呼ばれた。

7人の十両優勝決定戦を制して十両優勝し、新入幕を果たした若秩父は、新入幕の場所となった同年9月場所においていきなり12勝3敗と好成績を残すと同時に、敢闘賞を受賞して注目される。当時19歳の若武者だったことから、冨樫・豊ノ海義美と共に「ハイティーントリオ」と呼ばれた。1959年1月場所では千代の山雅信に引導を渡す金星を奪ったが、この取組は後に若秩父本人が停年退職前最後のテレビ出演となったNHK大相撲中継で向正面に座った際、「生涯最高の思い出の取組」として選択した。なお、この時の正面解説は、偶然にも千代の山(年寄・九重)の弟子である北の富士勝昭だった。この場所10勝5敗で二度目の敢闘賞を受賞し、翌場所19歳11ヶ月で新小結に昇進する。史上初の10代の三役力士であった。19605月場所には優勝次点となる13勝2敗の成績を残しながらも西前頭14枚目という低地位から三賞を見送られた。[2]

巨腹を使っての吊り・寄りと、どんな古参力士にも物怖じしない性格で素質にも恵まれ、さらに若乃花幹士からの熱心な指導とそれを受けて熱心に稽古に打ち込む姿勢から大関昇進を期待された。しかし、当時「力士の職業病」とも呼ばれていた糖尿病を患ったことで大関昇進どころか三役定着すら果たすことができず、その後は幕内の座を明け渡すこともあった。それでも禁酒・禁煙を実行し、食事もパン豆腐蜂蜜を食べる節制に努めて決して休場せずに再入幕を果たし、その姿は他の力士から模範とされた。さらに、ある年の11月場所で負け越し、ゲン直しとして中洲で飲酒している時に絡んできた泥酔客を軽く振り払おうとして吹っ飛ばしたことが「暴力」と報じられた鬱憤を晴らそうと、制限時間一杯の際に大量のを高々と撒き始めた。

1968年11月場所を最後に現役を引退し、年寄・関ノ戸を経て常盤山を襲名した。引退以来、花籠部屋付きの親方として後輩の指導に全力を尽くしたが、1985年12月の花籠部屋閉鎖によって部屋継承を辞退、放駒部屋へ移籍した。1998年には日本相撲協会監事(現:副理事)へ就任し、巡業部副部長も歴任した。2004年3月場所中に65歳を迎え、場所後に日本相撲協会を停年退職することが決定した。本来は65歳の誕生日前日に停年退職するが、本場所開催期間中に誕生日を迎える場合はその場所の千秋楽まで親方として職務を続け、「千秋楽で停年に達した」という扱いとなる。

主な戦績

  • 通算成績:570勝527敗5休 勝率.520
  • 幕内成績:367勝398敗 勝率.480
  • 現役在位:80場所
  • 幕内在位:51場所
  • 三役在位:6場所(関脇2場所、小結4場所)
  • 連続出場:1097回(1954年9月場所 - 1968年11月場所(10日目、引退))
  • 三賞:2回
    • 敢闘賞:2回(1958年9月場所、1959年1月場所)
  • 金星:3個(千代の山1個、栃ノ海2個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:2回(1958年5月場所、1961年7月場所)
    • 幕下優勝:1回(1957年9月場所)
    • 序二段優勝:1回(1955年9月場所)

場所別成績

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改名歴

  • 若秩父 高明(わかちちぶ こうめい)1954年9月場所 - 1959年3月場所、1960年5月場所 - 1963年11月場所、1966年11月場所 - 1968年11月場所
  • 若秩父 清邦( - きよくに)1959年5月場所 - 1960年3月場所
  • 若秩父 浩之( - ひろゆき)1964年1月場所 - 1966年9月場所

年寄変遷

  • 関ノ戸 高明(せきのと こうめい)1968年11月 - 1969年1月
  • 常盤山 高明(ときわやま - )1969年1月 - 2004年3月(停年退職)

著書

  • 『若秩父ーッ。○●の世界を生きて50年』(2004年、上毛新聞社、ISBN4880588873)

脚注

  1. 平幕止まりの玉響以外は全員が後に名力士と呼ばれ、富樫(柏戸)・北葉山・若三杉(大豪)・冨士錦(富士錦)の4人が幕内優勝を果たしたほか、明歩谷(明武谷)も優勝こそ無いものの決定戦には2度出場した。その後、富樫は横綱、北葉山は大関昇進を果たし、若秩父・若三杉・明歩谷の3人は関脇、冨士錦も小結まで出世している。
  2. この場所の三賞受賞者は、殊勲賞が若三杉、敢闘賞が大鵬、技能賞が柏戸であった。若三杉は西前頭4枚目の地位で14勝を挙げて優勝を果たした上、金星も1つ獲得していた。大鵬は東前頭6枚目の地位で11勝4敗の成績を残し、金星を1つ獲得していた(当時は系統別総当たり制度を採用しており、ニ所ノ関一門の場合は幕内力士が多く在籍していた関係上この地位で横綱戦が組まれることも十分に有り得た)。柏戸は西関脇で10勝5敗の成績を残していた。

関連項目