羅城門

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羅城門復元模型(京都文化博物館
東西七間五戸の重層構造(九間の説もある)

羅城門(らじょうもん)は、古代、平城京平安京といった条坊都市の中央を南北に貫いた朱雀大路の南端に構えられた大門である。事実上の都の正門ともいうべき門であった。「羅城」とは都城の城壁のこと。中国の城郭都市で、石や煉瓦で築かれた外廓のことを指し、日本には中国のような構造の羅城は造られなかったが、羅城門(羅生門)は築かれた[1]。平安京(現在の京都市中心部)の羅城門が有名である。

平安京の羅城門

朱雀大路と九条通の交差点に面しており、現在のいわゆる千本九条の辺り(京都市南区、九条新千本交差点から東へ約100m、京阪国道口交差点から西へ約250m)に位置していた。 古くは「らせいもん」と漢音読みしたが、次第に読み・表記ともども揺れるようになり、謡曲「羅生門」発表以降は羅生門(らせいもん、らしょうもん)の表記が定着した。近年、羅城門に表記が統一され、読みも呉音の「らじょうもん」にとって変わられた。

拾芥抄』に「二重閣九間」とあり、95戸の重層門であったとされる。この門を境にして、洛中と洛外、すなわち都の「内」と「外」が区別された。羅城門を守護する東西の位置に東寺西寺が置かれ、そのうち東寺は現代まで残っている。

平安京造営から時代が下ると、弘仁7年(816年)8月16日夜、大風で倒壊。再建されたが、天元3年(980年)7月9日暴風雨で再度損傷してからは修理されず、右京の衰えと共にこの門も荒廃していった。国内の疲弊につれて平安京南部の治安は悪化の一途をたどり、洛南の羅城門周辺は夜ともなれば誰も近付かぬ荒れはてた地区となったという。ついには引き取り手のない死者をこの門の上階に捨てていくことすら常態化した(今昔物語集)。荒廃した不気味な羅城門はやがて今に伝わる数々の奇譚の題材になる。羅城門に棲みついた鬼(茨木童子)と戦った渡辺綱の武勇伝を謡曲化した観世信光作「羅生門」や、『今昔物語集』に収録された羅城門の怪奇譚が知られる。これらの怪談は人々に好んで語られ、また浮世絵や小説(芥川龍之介の『羅生門』が有名)などの題材とされ、羅城門の名を今に伝えることとなった。

現在では住宅街の奥の小さな公園に、跡地を示す石碑がひっそり残るのみである。

脚注

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  1. 『日本人とすまい3 しきり』リビング・デザイン・センター、1997年11月7日

関連項目