細江純子

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テンプレート:騎手 細江 純子(ほそえ じゅんこ)、1975年3月12日 - )とは、日本中央競馬会(JRA)に所属していた騎手である。現在は競馬評論家として活動中。愛知県蒲郡市出身、蒲郡東高等学校卒。

愛称は「ホソジュン」。自身もコラム内でこの愛称を使用している。競馬評論家としては独自の肩書き「ホース・コラボレーター」を使用している。

略歴

テレビアニメ『ハロー!レディリン[1][2]武豊[2]の影響を受け、高校在学中より騎手を志し、自転車通学やジムなどで基礎体力作りをした。1993年競馬学校に入学。卒業後の1996年、JRA初の女性騎手として牧原(現・増沢)由貴子田村真来らとともにデビューした。この競馬学校12期生は「花の12期生」と呼ばれ、その他の同期生には福永祐一和田竜二古川吉洋らがいる。柳田次男厩舎に所属。

高校卒業後に競馬学校騎手課程に入学し、騎手デビューを果たしたのは現在でも細江が唯一である(高校を中退して入学した者はいる)[3]

同年3月2日の中京競馬第1競走でデビュー、サファイヤリネンに騎乗し16頭立ての9着[4]。初勝利は同年5月12日の京都競馬第12競走、レゾンデートルで挙げた[4]。そのレゾンデートルで、同年夏には重賞北九州記念にも騎乗した(9着)、デビューの年の勝ち鞍は3つで、5月12日京都第12競走レゾンデートル、6月9日中京第7競走レゾンデートル、7月13日小倉第2競走カシノスピード。

1998年に柳田厩舎所属からフリーに転向。デビューした年から毎年勝ち星を挙げ、1999年には日本の女性騎手としては初となる海外競馬(シンガポール)での勝利も挙げた[5]。しかし、重賞制覇などの目立った成績は残せぬまま、怪我のため[6]2001年6月15日付けで[4]騎手を引退。中央競馬での通算成績は493戦14勝であった[4]

騎手引退後は武豊の助言をきっかけに[7][8]、競馬評論家、解説者としてテレビ番組出演や雑誌・新聞での執筆活動をしており、牡馬を「○○くん」、牝馬を「○○ちゃん」と擬人化表現で呼ぶなど独特の語り口で競馬ファンに知られている。

2011年2月4日橋田満厩舎の調教助手である児玉武大と結婚[9]。産休のため2013年6月23日の宝塚記念当日における関西テレビ『競馬BEAT』出演を最後に一旦全ての放送出演を取り止める。

2013年9月24日に長男を出産したことを2013年9月26日付のTwitterで報告した。その後、12月22日の第58回有馬記念当日の中山競馬場で執り行われたオルフェーヴル池江泰寿厩舎)の引退式の司会を務めた。

2014年1月5日の『みんなのKEIBA』(フジテレビ)で初めてテレビ中継のレース解説を務めた。

活動

現在

テレビ・ラジオ出演

執筆

過去

テレビ・ラジオ出演

書籍

  • Woman j-細江純子写真集(里中李生プロデュース[11]。2001年6月、イーストプレス)ISBN 4872572505
  • ホソジュンのステッキなお話-人気騎手・調教師インタビュー(2007年12月、ネットドリーマーズ)ISBN 4874658911

脚注

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外部リンク

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  1. テンプレート:Cite web
  2. 2.0 2.1 キャリアインタビュー vol.27 前編(カフェグローブ、2010年10月6日)
  3. ただし、地方競馬からの移籍組を含めれば福山競馬の騎手であった岡田祥嗣も高校を卒業している。
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 引退騎手情報 細江 純子(日本中央競馬会)
  5. 私の競馬はちょっと新しい 第5回 ホースコラボレーター 細江純子さん(2)(JRA-VAN)
  6. アラカルト「細江騎手が引退」(競馬ニホン、2001年6月17日)
  7. 私の競馬はちょっと新しい 第5回 ホースコラボレーター 細江純子さん(3)(JRA-VAN)
  8. キャリアインタビュー vol.27 後編(カフェグローブ、2010年10月6日)
  9. 元JRAジョッキー細江純子さん入籍 デイリースポーツ 2011年2月7日閲覧
  10. ホソジュンのウマなりトーク(JBISインターネット情報サービス)
  11. 里中李生全仕事 細江純子写真集 『Woman J』(里中李生オフィシャルウェブサイト)