粛軍クーデター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox

粛軍クーデター(しゅくぐんクーデター)は1979年12月12日に大韓民国で起きた軍内部の反乱事件。翌1980年5月17日の非常戒厳令全国拡大による権力掌握を含めると、世界史上最も長期間にわたったクーデターとされる。

概説

1979年10月26日朴正煕大統領暗殺朴正煕暗殺事件)されると、崔圭夏国務総理が大統領権限代行に就任し、12月6日には統一主体国民会議代議員による選挙で第10代大統領に選出された。

崔圭夏の選出はあくまで維新体制の枠内でのことだったが、代行就任直後の11月10日に早期の憲法改正と新憲法に基づく大統領選挙を実施することを旨とする談話を発表[1]、また大統領就任直後の12月8日には緊急措置9号[2]の解除と同措置によって拘束されていた政治犯68名を釈放[3]するとともに、金大中の自宅軟禁を解除した事から、独裁体制が緩和されるという期待が膨らみ、ソウルの春と呼ばれる民主化ムードが台頭した。

一方、朴正煕暗殺事件の捜査過程において、戒厳司令官の任にある鄭昇和陸軍参謀総長と合同捜査本部長の任にあった保安司令官全斗煥陸軍少将が対立。さらに全斗煥や第9師団長盧泰愚陸軍少将が中心となって組織された秘密組織「ハナフェ(ハナ会・一心会)」を軍中枢より排除しようと試みたことにより、12月12日夕方、鄭昇和参謀総長を公邸で逮捕した(朴正煕暗殺事件の発生時、金載圭から飲食の誘いを受けた事により、事件現場から至近距離にいながらすぐに逮捕しなかったことで、内乱幇助の疑いをかけられた)。

戒厳司令官の逮捕には大統領の許可が必要であるため、全斗煥が崔圭夏大統領権限代行に裁可を得ようとするが「国防長官の承認なしには絶対に決裁しない」と拒まれたため、国防長官・盧載鉉の「捜索」を始める。なお盧本人は陸軍参謀総長公邸への銃撃を共産ゲリラによる襲撃と誤認し家族と一緒に避難していた。

また参謀総長公邸を強襲したため、各部隊や警察が現場で入り乱れて公邸のある漢南洞や景福宮一帯では銃撃戦に発展、漢江に架かる11の橋も遮断された。更には在韓米軍との協議なしに前線部隊がソウルへ向かうなど内戦寸前の状態に陥るが、その後に全斗煥側の部隊である第1空輸(空挺)旅団により、国防部陸軍本部が占領され、盧国防長官も「確保」されてしまう。

盧載鉉は全斗煥らの圧力に屈し、すぐさま戒厳司令官逮捕を決裁し、崔圭夏大統領権限代行に裁可を求めることとなった。 崔圭夏は国防長官の対応のまずさを非難し、戒厳司令官逮捕後による事後承認は認めないと突っぱねたが、崔圭夏自身が軍部を掌握しておらず事態を収拾するためには、保安司令部と「ハナ会」を中心に決行された反乱を黙認せざるをえなかった。この結果、鄭総長は懲役10年刑を宣告、鄭総長派の鄭炳宙前特殊戦司令官や張泰玩首都警備司令官は80年1月20日付で強制的に予備役編入された。

ここに全斗煥や盧泰愚たちが軍部の実権を掌握した。ここまでの段階ではクーデターと呼ばれるが軍内部の反乱であった。

政権を奪取するという意味でのクーデターに該当するのは、むしろこれ以降の1980年5月の光州事件に至る過程である。これによって崔圭夏を辞任に追い込み、新軍部が実権を握るに至ったからである。

朴正煕政権時代に似た軍部独裁を志向する新軍部に抗議して大規模な学生デモが発生したが、1980年5月17日軍事クーデターによる非常戒厳令全国拡大とそれに抵抗する民主化運動を武力弾圧(光州事件)、同年8月崔圭夏大統領は新軍部の圧力の下に辞任、9月1日には全斗煥将軍が統一主体国民会議代議員会で第11代大統領に選出された。そして1980年10月22日に改憲案に対する賛否を問う国民投票が9割以上の賛成で承認、10月27日に新憲法が公布・発行し、第4共和国体制は終わりを告げた。そして1981年2月25日に行われた大統領選挙に立候補した全斗煥が圧倒的得票で当選、3月3日に第12代大統領に就任し、第五共和国(五共)体制をスタートさせた。

後の金泳三政権下で、全斗煥盧泰愚らは光州事件と政権奪取の首謀者として捜査対象となったが、刑法では時効が援用されて全斗煥・盧泰愚は内乱罪に問われなかった。しかし直後に、粛軍クーデターが全斗煥将軍らの軍刑法における反乱罪にあたると認定された。

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

  • 尹景哲『分断後の韓国政治-1945~1986-』木鐸社
  • 金容権編著『朝鮮・韓国近現代史事典 1860-2005(第2版)』日本評論社 

関連項目

 
  1. テンプレート:PDFlink東亜日報1979年11月10日付1面
  2. 1975年5月13日に布告された緊急措置。(1)流言飛語のねつ造や流布、事実の歪曲伝播行為の禁止。(2)集会や示威、新聞、放送、通信などによる憲法の否定や廃止を請願する、宣伝する行為の禁止。(3)授業や研究など事前許可を受けた場合を除く学生の集会や示威または政治関与行為の禁止。(4)同措置に関する誹謗行為の禁止。(5)これらの禁止行為に違反する内容を放送や報道、その他の方法で伝播するか、そのような内容の表現物を政策、販売、所持する行為の禁止。などでこれらの措置に違反した場合、裁判所の令状無しに逮捕や押収、捜査を行う事が可能で、一年以上の有期懲役刑に処する事ができるとする内容である。
  3. テンプレート:PDFlink.東亜日報1978年12月8日付1面