第1次近衛内閣
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概要
第1次近衛内閣は、元老・西園寺公望の奏薦を受けて貴族院議長の近衛文麿に大命が降下し、組閣した内閣である。内閣発足の1ヶ月後に勃発した盧溝橋事件については、当初、拡大方針を見送っており、現地軍も停戦交渉を行っていたが、その後の閣議で北支居留民保護のために派兵を決定し、国内世論統一のために新聞・通信関係者代表らに協力を依頼した。援兵の派兵によって中国側は交渉態度を硬化させ、さらに第二次上海事変で交渉は決裂、これらによって日中戦争(支那事変)が拡大していった。さらに、同年11月から行われたドイツによる対中和平工作、トラウトマン工作も最終的に打ち切られることなり、翌1938年(昭和13年)1月には「爾後国民政府を対手とせず」という、いわゆる「近衛声明」(第一次近衛声明)を発表し、対中講和の道が閉ざされた。その後、同年4月には国家総動員法を制定して戦時体制を整え、同年11月に「東亜新秩序建設」を戦争目的と規定する声明(東亜新秩序声明、第二次近衛声明)を発表し、同年12月には親日派の汪兆銘の重慶脱出を受けて「近衛三原則」(善隣友好、共同防共、経済提携)を日中和平の基本方針として呼びかける声明(第三次近衛声明)を発表した。1939年(昭和14年)1月に、内閣総辞職。
閣僚
以下表中、「貴」は貴族院、「衆」は衆議院、「官」は官僚、「財」は財界、「軍」は軍部、「研」は政策研究団体、「予」は予備役、「留」は前内閣からの留任をそれぞれ示す。なお混乱を避けるため字体は新字体で統一した。
政務次官
- 外務政務次官
- 松本忠雄(民政党) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 内務政務次官
- 勝田永吉(民政党) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 大蔵政務次官
- 太田正孝(政友会) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 陸軍政務次官
- 加藤久米四郎(政友会) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 海軍政務次官
- 一宮房治郎(民政党) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 司法政務次官
- 久山知之(政友会) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月7日*
- 文部政務次官
- 内ヶ崎作三郎(民政党) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 農林政務次官
- 高橋守平(民政党) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 商工政務次官
- 木暮武太夫(政友会) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月9日*
- 逓信政務次官
- 田島勝太郎(民政党) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 鉄道政務次官
- 田尻生五(政友会) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 拓務政務次官
- 八角三郎(政友会) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 厚生政務次官
- 工藤鉄男(民政党) 1938年(昭13)1月18日 - 1939年(昭14)1月19日*
*1939年1月5日以降は平沼内閣。
参与官
- 外務参与官
- 内務参与官
- 木村正義(政友会) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 大蔵参与官
- 中村三之丞(民政党) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 陸軍参与官
- 比佐昌平(民政党) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 海軍参与官
- 岸田正記(旧昭和会) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 司法参与官
- 藤田若水(民政党) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 文部参与官
- 池崎忠孝(無所属) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 農林参与官
- 助川啓四郎(政友会) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 商工参与官
- 佐藤謙之輔(民政党) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 逓信参与官
- 犬養健(政友会) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 鉄道参与官
- 金井正夫(旧昭和会) 1937年(昭12)6月24日 - 1939年(昭14)1月19日*
- 拓務参与官
- 厚生参与官
- 山本芳治(政友会) 1938年(昭13)1月18日 - 1939年(昭14)1月19日*
*1939年1月5日以降は平沼内閣。