神門郡

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神門郡(かんどぐん)は出雲国にかつて存在したである。島根半島の西側の付け根に位置していた。現在ではほぼ全域が出雲市(一部は大田市)に属している。

由来

出雲国風土記』によれば、伊加曾然(いかそね)という者がこの地に神門を奉ったことにより神門臣のを賜り、その神門臣が定住したのでその地を「神門」と呼ぶようになったとされる。

歴史

古代

律令制の施行により制定されたと考えられる。郡家は古志郷にあった。

郷里

天平5年(733年2月30日に成立したとされる『出雲国風土記』には8のと22の里があったとされ、以下の郷の記載がある[1]。また天平11年(739年)の『出雲国大税賑給歴名帳』によって里の名前もいくつか判明している。

朝山郷
稗原里、加夜里の2里があった。現在の出雲市宇那手町、朝山町、馬木町、馬木北町、稗原町、野尻町辺り。
日置郷
荏原里、桑市里、細田里の3里があった。現在の出雲市上塩冶町辺り。
鹽冶郷
3里あった(里名は不明)。現在の出雲市今市町、大津町、武志町、高岡町辺り。
八野郷
3里あった(里名は不明)。現在の出雲市矢野町、小山町、白枝町、高松町辺り。
高岸郷
3里あった(里名は不明)。現在の出雲市塩冶町、塩冶有原町、渡橋町、今市町辺り。
古志郷
3里あった(里名は不明)。現在の出雲市知井宮町、古志町、下古志町、芦渡町、塩冶町南側、天神町南側辺り。
滑狭郷
阿禰里、池井里の2里があった。現在の出雲市知井宮町、東神西町、西神西町、平成町および湖陵町二部、三部、常楽寺、畑村辺り。
多伎郷
国村里、山田里の2里があったとされ、もう1里の名は不明。現在の出雲市多伎町、湖陵町差海辺り。
餘戸里[2]
現在の出雲市乙立町、佐田町一窪田、高津屋、上橋波、下橋波、吉野、佐津目および大田市山口町辺り。
狭結驛
古志郷にあった。
多伎驛
多伎郷にあった。
神戸里
現在の出雲市所原町辺り。
狭結駅家
多伎駅家[3]

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:出雲国神門郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer

近代

  • 1889年明治22年)4月1日 町村制施行(2町28村)
    • 今市町、古志村、高松村、高浜村、四纒村、川跡村、大津村、塩冶村、朝山村、乙立村、稗原村、上津村、神西村 (出雲市
    • 知井宮村、布智村 (神門村 → 出雲市)
    • 園村、荒茅村 (長浜村 → 出雲市)
    • 杵築町、杵築村、荒木村、日御碕村、遥堪村、鵜鷺村 (大社町 → 出雲市)
    • 窪田村 (佐田町、多伎町 → 出雲市)
    • 江南村、西浜村 (湖陵町 → 出雲市)
    • 田儀村、田岐村、久村 (多伎町 → 出雲市)
    • 山口村 (大田市、佐田町)
  • 1896年(明治29年)4月1日 楯縫郡出雲郡と合併して簸川郡となった。

脚注

  1. 比定地名は2009年現在のもの。郷域の比定は関(2006)を参考にした。
  2. 後に伊秩郷になったとされ、その中に坂本里、坂奈里があった。
  3. 2つの駅家は、瀧音能之『古代出雲を知る事典』東京堂出版 2010年 19ページから

参考文献

  • 沖森卓也、佐藤信、矢嶋泉 編著『出雲国風土記』 2005年 山川出版社 ISBN 978-4-634-59390-9
  • 関和彦『『出雲国風土記』註論』 2006年 明石書店 ISBN 4-7503-2376-4

関連項目

テンプレート:出雲国の郡