石黒信由

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石黒 信由(いしくろ のぶよし、1760年11月18日 - 1836年12月3日)は、江戸時代越中和算家測量家、天文家。通称は藤右衛門。

人物

越中国射水郡高木村(現富山県射水市高木)の肝煎の家に生まれる。23才の時、富山の和算学者中田高寛に和算を学んだ。そのほか測量・暦学なども学んだ。伊能敬忠が享和3年(1803年)に沿岸調査のために越中を訪ねた。8月1日能登から越中に入り、8日までに越中海岸全体の測量を終えている。3日に堀岡から海老江までの測量を終えた忠敬は廻船問屋柴屋彦兵衛の家に泊まるが、信由が訪問し、象現儀などの天体観測を見学し、翌日から四方(よかた)方面の測量に同行した。ワンカラシンなどの測量器具を記録に取らせてもらい、改良を加えた。加賀藩の命により越中国能登国加賀国の測量を行い『加越能三州郡分略絵図』を制作・提出した。現在の地図とほとんど変らない[1]

石黒信由関係の書籍、文書、地図、測量器具などの遺品は、射水市の特例財団法人高樹会「高樹文庫」が保存している(射水市新湊博物館に寄託)。このうち石黒信由関係資料3,764点が国の重要文化財に指定され[2]、石黒信由遺品高樹文庫8,506点は富山県指定有形文化財である。

脚注

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関連項目

脚注

  1. 『堀岡郷土史』などによる。
  2. 信由の肖像画1点を含む3,765点が重要文化財に指定されていたが、平成23年6月27日文部科学省告示第113号で員数が訂正され、「3,764点」となった。