石原英康

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石原 英康(いしはら ひでやす、1975年8月7日 - )は、日本の元プロボクサー岐阜県岐阜市生まれ[1]大垣日本大学高等学校駒澤大学卒業。

来歴

1995年全日本選手権準優勝。1998年5月4日にフライ級でプロデビュー。デビュー戦で日本フライ級王者スズキ・カバト名古屋国際会議場でのノンタイトル6回戦で対戦し、2-0(58-55、58-57、57-57)の判定勝ちでデビュー戦を勝利で飾った。デビュー戦でいきなり世界ランカーとなり一躍脚光を浴びたテンプレート:要出典範囲

3戦目でスズキ・カバトを破り日本フライ級王者となっていたセレス小林を相手に、史上最短日本王座獲得を狙うが(最短日本王座獲得記録は、辰吉丈一郎の4戦目)敗北を喫し、6戦目には元WBA世界王者ヘスス・ロハスベネズエラ)にKO負けするなど、長い不遇の時期が続いた。

その後スーパーフライ級に階級を上げ、2002年7月7日にジョエル・アビラと、空位のOPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座決定戦を行い、2Rにダウンを喫するも挽回し、7R負傷判定勝ちで王座獲得。同王座は、2回防衛した後に返上した。

2004年5月16日にWBA同級世界王者アレクサンデル・ムニョス(ベネズエラ)に挑戦が決定するも、直前にムニョスが負傷のため訪日が不可能となった。このための緊急処置として暫定王座決定戦がセットされ、石原の対戦相手は当時WBA同級1位のマーティン・カスティーリョメキシコ)に変更された。テンプレート:要出典範囲石原は、カスティーリョと互角の戦いを見せ、健闘するが、石原リードで迎えた11R、カスティーリョの右ストレートでダウンを喫し、逆転TKO負けで世界王座獲得はならなかった。

2005年6月26日に、今度は正規王者となったマーティン・カスティーリョに挑戦したが判定負けし、この試合を最後に引退した。

2006年に、中部大学の集中講義で単位履修し教員免許高等学校1種を取得。その後中京高等学校で教鞭をとっている。

出典

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関連項目

外部リンク

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  1. 元王者石原が高校教師へ 日刊スポーツ 2006年9月28日