相馬勝也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player 相馬 勝也(そうま かつや、1963年5月11日 - 2013年6月2日)は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手捕手)・指導者。愛称は「バニー」。

来歴・人物

日本大学第二高等学校から1981年ドラフト外西武ライオンズに入団。顔がラビット関根に似ていたため、ラビというニックネームで親しまれた。強肩の捕手として期待され、1983年には秋山幸二安部理などと共にアメリカ独立リーグのサンノゼ・ビーズに野球留学した。留学時には、引率した和田博実によって「バニー・ソウマ」(Bunny Soma)の英語名が付けられた(和田博実の項も参照)。

同期入団で1歳年上の伊東勤が長く正捕手を務めたため、一軍での出場機会には恵まれなかった。1986年には記録上は27試合に出場しているが実際にプレーしたのは途中で守備についた1試合のみで、残りの26試合はいわゆる偵察メンバーとしての起用だったことから「当て馬の相馬」とも呼ばれた[1]。1987年の出場も守備だけで、その後の1992年、プロ11年目にして初めて一軍の打席に立ち、シーズン終盤の4試合でスタメン出場も果たしたが、翌年限りで現役引退した。

引退後は二軍ブルペン捕手として球団に残り、二軍コーチ陣が人手不足の際にはコーチ代わりも務めた。2007年に二軍バッテリーコーチに就任。明るい性格と情熱的な指導に定評があり、二軍で共に指導し公私ともに付き合いが深かった渡辺久信2008年に一軍監督に就任した際、渡辺に誘われる形で一軍バッテリーコーチに就任[2]。2008年の日本一に貢献し、炭谷銀仁朗を育てるなどの実績を残した。なお引退後の背番号88は、アメリカ留学時の恩師である和田博実の番号を受け継いだものである。

2010年からは肩書が一軍捕手コーチに変わったが、同年2月に胃癌が発見され摘出手術を受けた。リハビリの結果、2011年には編成部プロ担当としてフロント入りして復帰を果たし、2012年からはファームディレクター補佐兼育成担当を務めていたが、2013年に入って体調を崩し1月のスタッフ会議にも参加できなかった。その後も闘病生活を送ってきたが、同年6月2日に死去[3]テンプレート:没年齢

詳細情報

テンプレート:スポーツ選手の出典明記

年度別打撃成績

テンプレート:By2 西武 27 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
テンプレート:By2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
テンプレート:By2 11 16 15 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 4 1 .067 .125 .067 .192
通算:3年 39 16 15 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 4 1 .067 .125 .067 .192

年度別守備成績


捕手
試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1986 3 2 2 0 .000
1987 1 0 0 0 -
1992 10 7 6 1 .143
通算 14 9 8 1 .111

背番号

  • 61 (1982年 - 1986年)
  • 38 (1987年 - 1993年)
  • 88 (1994年 - 2010年)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

  • テンプレート:Cite web
  • テンプレート:Cite web
  • 【西武】育成担当の相馬勝也氏が死去 日刊スポーツ 2013年6月2日閲覧