相田洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年2月4日 (火) 15:23時点におけるTroisriv (トーク)による版 (主な担当番組)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

相田 洋(あいだ ゆたか、1936年5月3日 - )は、フリーのテレビ番組ディレクター、元NHK職員。

人物・経歴

朝鮮全羅北道出身、小学生のときに引き揚げた。早稲田大学法学部卒業後、1960年にNHK入局。NHK札幌中央放送局でラジオの録音構成やテレビのドキュメンタリー番組のフィルム構成を経て、1966年に東京の教育局教養部へ。その後もNHKでは一貫してドキュメンタリー畑を進む。

1968年に「ある人生」で企画したあるぜんちな丸によるブラジル移民を取材した「乗船名簿AR29」で文化庁芸術祭奨励賞を受賞。その後も1978年に「移住10年目の乗船名簿」、1988年に「移住20年目の乗船名簿」、2000年に「移住31年目の乗船名簿」と乗客を10年ごとに追跡取材し、相田のライフワークとなった[1]。その他にも、NHK特集核戦争後の地球』でイタリア賞や芸術祭大賞など6賞、NHKスペシャル電子立国日本の自叙伝』で1992年に芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど、ドキュメンタリー番組で多数の受賞歴がある。

1987年のNHK特集、シリーズ『自動車』で確立した「自らも番組に出演しアナウンサーとトークを展開する」という独特のスタイルも有名で、特に『電子立国』シリーズ等でコンビを組んだ三宅民夫とは絶妙なコンビネーションを見せたことで知られる。『新・電子立国』ではスタジオトークだけでなくロケにも登場し、モーションキャプチャ技術のデモのために自らラジオ体操第1を実演した。

管理職にはならずに、現場でチーフディレクターとして番組を制作し続け、1999年にNHKを定年退職。退職後は慶應義塾大学環境情報学部教授を務めていたが、2001年からフリーランスとして、映像ドキュメンタリーの世界で活動している。2000年には紫綬褒章を受章している。

自分の作品(『電子立国』シリーズ)でコンピュータについて学習し、アスキー・ドットPCエッセイを連載(『相田洋のデジタル大好奇心』)している。また同エッセイにおいて、2005年発表の作品『鼓の家』ではローランド社製のダイレクトリニア編集機「DV-7DL」を駆使して一切の編集作業を自ら行ったことを明らかにしている。

主な担当番組

主な著書

ほとんどは放送に関連したものである。当時、NHKの島桂次体制下では、制作費の削減とNHKの関連企業が設立され、企画にメディアミックスを盛り込まなければ、企画が通りにくい状況にあった。たとえば、『電子立国 日本の自叙伝』も本の出版が義務付けられて実現した企画である[2][3]

  • 電子立国日本の自叙伝 (全4巻、NHK出版
  • 新・電子立国 (全7巻、NHK出版) ※共著
  • マネー革命 (全3巻、NHK出版) ※共著
  • ドキュメンタリー 私の現場 記録と伝達の40年 (NHK出版) ISBN 978-4140808184
  • 航跡 移住31年目の乗船名簿 (NHK出版) ISBN 978-4140805893

参考文献

  • 読売新聞芸能部『テレビ番組の40年』日本放送出版協会、1994年、pp.491-494
  • 大下英治「事実を究める男」『NHK王国ヒットメーカーの挑戦』講談社、1994年
  • 相田洋『ドキュメンタリー 私の現場 記録と伝達の40年』日本放送出版協会、2003年
  • 志賀信夫「相田洋 モノローグ・インタビューで核心に迫る」『映像の先駆者 125人の肖像』日本放送出版協会、2003年
  • 川本裕司「思いつめて獲得できた方法論 相田洋」『ニューメディア「誤算」の構造』リベルタ出版、2007年

出典

  1. 『映像の先駆者 125人の肖像』p.243
  2. 『ドキュメンタリー 私の現場』p.377
  3. 『NHK王国ヒットメーカーの挑戦』p.329

テンプレート:Asbox