清水藩

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清水藩(きよみずはん)は、美濃国(現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町清水)に存在した。居城は清水城[1]

藩史

斎藤氏織田信長に仕えた西美濃三人衆の一人・稲葉良通(一鉄)は、嫡男の稲葉貞通に家督を譲っていた。貞通の庶兄に稲葉重通がいたが、父・一鉄の死後、清水を中心に1万2000石の所領を領した。重通は慶長3年(1598年)10月3日に死去し、その後を子の稲葉通重が継ぐ。通重は関ヶ原の戦いにおいて、当初は西軍に与していたが、後に東軍に寝返ったために、戦後に所領を安堵された。しかし慶長12年(1607年)12月、天野雄光ら数名と京都の祇園で遊んでいたとき、酒乱のために乱行を起こしたため、幕命により改易され、常陸国筑波に流罪とされた。ここに清水藩は廃藩となったのである。

歴代藩主

稲葉(いなば)家

外様。1万2000石。

  1. 稲葉通重(みちしげ)

関連項目

脚注

  1. 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(312ページ)