泉田純

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泉田 純(いずみだ じゅん、男性、1965年10月28日 - )は、プロレスラー、元大相撲力士宮城県栗原郡一迫町出身。全日本プロレスプロレスリング・ノアを経て、現在はフリーランス。

リングネームを度々変更しており(後述の「リングネーム」の章を参照)、現在は「泉田純太朗(いずみだ じゅんたろう)」を名乗る。

大相撲時代は武蔵海(むさしうみ)の四股名で、東関部屋所属。最高位は幕下37枚目。

経歴

大相撲時代

築館高校時代は相撲部に所属。東京農業大学を2年で中退して大相撲の東関部屋に入門し、高見将(たかみしょう)の四股名で1986年3月場所初土俵。その後、四股名を青雲龍(せいうんりゅう)、武蔵海(むさしうみ)と改名して幕下まで進んだ。1991年9月限りで引退した後は相撲教習所で教官を務める。この時期には曙太郎を教えたこともあった。通算成績は121勝103敗7休(34場所)。

全日本プロレス

1991年全日本プロレスに入団。練習生時代から「ファミリー軍団対悪役商会」の試合における大熊元司相手のヘッドバット合戦で注目を集めた。1992年5月25日、宮城県スポーツセンター大会での対大熊・渕正信永源遙戦で正式にデビュー。パートナーはジャイアント馬場&ラッシャー木村であった。デビュー後すぐ、タッグ戦で相手にやられて味方にタッチを求めるときに、尺取虫のような動きで地を這いながら味方のもとへと逃げていく「尺取虫戦法」が話題となる。

リングネームはデビュー当時は「泉田竜舞」(いずみだ りゅうま)を名乗り、のちに「泉田竜角」(いずみだ りゅうかく)のリングネームを経て、本名の「泉田純」をリングネームとした。

1998年には本田多聞と「ザ・ヘッド・バッターズ(ヘッド・バスターズとも)」を組んで64代アジアタッグ王者となる(1回防衛)。ジャイアント・キマラとのタッグチームでも人気を博し、このタッグではペイント・レスラーであったキマラに合わせて顔や体の一部にペイントを施した。対戦相手やイベントなどに合わせてペイントを変えるなどこだわりをもった。

プロレスリング・ノア

2000年、全日本プロレスの大量離脱騒動の時に同団体を退団し、プロレスリング・ノアの旗揚げに参加。2002年4月には一宮章一とのタッグによりIWAタッグ王座を獲得。

2004年5月、白GHC(グローバル・ハードコア・クラウン)に挑戦するも敗北。この頃から秋山準率いるスターネス入りを目指し、同年11月13日に行われた「勝ったら軍団入り決定マッチ」でダーク・エージェント入りを目指す川畑輝鎮に勝利。体重チェックもパスし念願のスターネス入りを果たした。

2005年にはノアの選手会会長に就任。同年6月10日の選手会興行で女子レスラーの下田美馬に「プロポーズ」を果たすべく奮戦し見事勝利を収めたが、「お友達から」と言う下田に対してキスを迫ったため破談となった。同年11月18日の後楽園ホール大会より新リングネーム純至に改名。

2006年1月22日の日本武道館大会では、小橋建太と組んで、大相撲時代の弟弟子に当たる曙と初対戦(曙のパートナーは力皇猛)。普段はほとんど見せないトペや得意のヘッドバットなどで曙を大いに苦しめたが、曙・力皇の合体技「リキボノスプラッシュ63」に敗れた。同年6月、志賀賢太郎のアプローチを断りきれず、半ば強引にパンチパーマにさせられた。その後、志賀をアニキ、泉田を叔父貴、太田一平を若頭、欠場中だった橋誠を取り巻き(セコンド)とするパンチ軍団を結成している。

2007年2月15日には、試合中タッグパートナーの秋山に突如反旗を翻し、試合後にはスターネスからの離脱を表明。同じく前後してスターネスを追放された橋誠と「チーム・成り上がり」を結成した。タッグ化した白GHCに挑戦するも敗北。以降、しばらくして同チームは自然消滅となる。

なお、ノアにおいては時折ペイント・レスラー「IZU(イズ)」としても登場。土曜日の興業に登場することが多かったため「土曜日の怪人」と呼ばれた。なお、スターネス参加以降はあまり登場していない。

フリー選手として

2009年12月末日付で「年間報酬保障フリー選手契約が満了」[1]となりプロレスリング・ノアを退団。フリー選手となった。

2011年、リアルジャパンへ参戦。久しぶりの表舞台に立つ。

菊地毅本田多聞とともにチーム「頑」(かたくな)を結成。

リングネームを「泉田純寿」に変えるが、間もなく「泉田純佑」に変更する。 更に2012年7月18日のブログでは泉田純太朗と名乗っている。[2]

2012年、自身が巨額詐欺事件に遭っていたこととノアが暴力団関係者の資金提供を受けていたことを暴露する本を宝島社より発表。これを受けて当時のノア・ゼネラルマネージャーの仲田龍と相談役の永源遥が一般社員に降格する事となった[3]。2012年9月18日に「内側から見たノアの崩壊」と題した総決算本を刊行。

人物

  • 週刊プロレス誌面上にて秋山が泉田のお見合い相手を募集したものの、殆ど葉書が来ず、企画倒れとなった。しかし、本人は結婚を諦めておらず、再び同誌・北斗晶のコーナーでお見合い相手を募集している。北斗が葉書を厳選して泉田に紹介するとのことであった。
  • 大変な釣り好きであり、田上明本田多聞らが所属する「ノア・サーフクラブ」のメンバーである。
  • かつて日本テレビ系で放送されていた「徳光&所のスポーツえらい人グランプリ」内での企画「スーパーアンパンマンショー」では必ずばいきんまん役となり、アンパンマン役のアスリートたちの全ての技を受けきったと言うことでグランプリを獲得したことがある。ベイダーのビッグバン・クラッシュを食らったこともあった。

得意技

ヘッドバット
泉田は「石頭」のギミックを使用しており「 コーナーパッドに叩きつけられても、なにも無かったように相手に向き直る」「パイプ椅子で殴打された直後に、何事も無かったように反撃」「ヘッドバットに来た相手が痛がる」などのムーブを披露する。1999年1月16日のアジアタッグ戦ではヘッドバット一発で新崎人生を大流血に追い込んだ。
隕石
コーナーポストからの、立っている相手へのヘッドバット。ダイビング・ロックとも呼ばれる。ダイビング式ノリタケを隕石と呼ぶ場合もある。
ノリタケ
泉田特有のフォームのダイビング・ヘッドバットおよびヘッドドロップ。泉田は空中で体を斜め横向きにして落下する。とんねるず木梨憲武がコントでよく用いていたアクションに似ていたことより命名。
不入(ふにゅう)ドム
相手を両肩に抱え上げてから旋回式にしてエース・クラッシャーの形で落とす。

タイトル

入場テーマ曲

  • IZUMIDA

リングネーム

リングネームを度々変更している。以下、デビュー後から古い順に列挙する。

  • 泉田竜舞( - りゅうま) - デビュー時の名前
  • 泉田竜角( - りゅうかく)
  • 泉田純( - じゅん) - 本名、ノア移籍後も使用
  • 泉田純至( - じゅんじ)
  • 泉田純寿( - じゅんじゅ) - フリー転向後に改名
  • 泉田純佑( - じゅんすけ) -
  • 泉田純太朗( - じゅんたろう) - 現在

また、プロレスリング・ノア在籍時には一時期、限定的に風貌を変えて「IZU(イズ)」を名乗った。これは別人という設定である。

著書

  • 「内側から見たノアの崩壊」(宝島社)2012年

脚注

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外部リンク

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  1. 選手、レフェリー契約についてのお知らせ PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE 2010年1月8日
  2. お詫び 本人ブログ
  3. 弊社役員と反社会的勢力との交際と今後の反社会的勢力排除に関する取組みについて プロレスリング・ノア 2012年3月23日閲覧