池田長常

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テンプレート:基礎情報 武士 池田 長常(いけだ ながつね)は、備中松山藩の第2代藩主。長吉系池田家3代。

生涯

初代藩主・池田長幸の長男。藩主になる前から第3代将軍・徳川家光に兜を受領するなど、寵愛を受けていた。寛永9年(1632年)の父の死去により家督を継ぐ。しかしこの時、次弟の長純と分割相続すべきとの遺言で、叔父の長頼脇坂安信が口論、長頼が安信の弟・安経を殺害、長頼は切腹、安信も改易された。長常にはお咎めなく一括相続されている。

翌年、松江藩堀尾忠晴が嗣子の無いまま死去して堀尾氏改易となった際、松江城を守備した。長男の万大夫が早くに死去して娘しかいなかったため、死に臨んで娘を末期養子として家督を継がせようとしたが、幕府からの裁定が下る前に長常が9月6日に死去してしまったため、幕府から末期養子を許されず、結局、備中松山における池田氏は断絶した。享年33。

長常自身は武勇に優れ、勇猛な士を愛する人物だったと言われている。長常・長信の母の嘆願により、三弟の長信が1000石の旗本となって井原に陣屋(井原陣屋)を持ち、4ヶ村を治めることを許され、池田家の家名はかろうじて存続した[1]

脚注

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  1. http://hotsky.sakura.ne.jp/mt/archives/2007/03/post_604.html