武論尊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox 漫画家 テンプレート:Sidebar with collapsible lists 武論尊(ぶろんそん、本名:岡村 善行(おかむら よしゆき)、男性、1947年6月16日 - )は、日本漫画原作者長野県佐久市出身[1]。血液型はO型。

別ペンネームは史村 翔(ふみむら しょう)。

代表作に『ドーベルマン刑事』、『北斗の拳』、『サンクチュアリ』、『HEAT-灼熱-』など多数。

来歴・人物

中学卒業後から16歳の時、自衛隊生徒として航空自衛隊に入隊[2]。7年間在職し除隊後は一時期コンピュータの専門学校に通っていた。

自衛隊時代の元同僚の本宮ひろ志の仕事場にアシスタントとして転がり込むが、絵が全く描けず麻雀ばかりしていた時に本宮の当時の担当者から漫画原作者への道を勧められ、1972年に『週刊少年ジャンプ』(集英社)掲載の『五郎君登場』(作画:ハセベ陽)でデビュー。

大のアンチ巨人で、『週刊ヤングマガジン』の「好きなテレビ番組」の質問に「巨人の負け試合」と答えている。また、無類の競馬好きで、多くの騎手とも親交がある。

過去作品のいくつかは、連載当時から年月を経た今なお各種メディアで「名作」として取り上げられる。例えば『北斗の拳』など。

『北斗の拳』のパチスロなど、それらに対する版権許諾要望等には柔軟な対応を示す一方で、それが台詞の改変を含む「オリジナルの変更」を伴う場合は厳しい姿勢で臨むことでも知られている。この対応には、インタビューで「作画者および読者に対する当然の配慮」であると述べている。

地方競馬、中央競馬の馬主資格も取得している。

ペンネーム

「武論尊」のペンネームは、本宮プロで居候時に映画『さらば友よ』を見に行き、チャールズ・ブロンソンに似ているという話になって本宮プロのスタッフから「ブロンソン」のニックネームで呼ばれるようになり、「ブーちゃん」というニックネームとして定着していたため、デビュー時に漢字を当てて「武論尊」(ぶろんそん)とした。なお似ていると言い出したのは自称らしく、他のスタッフに言わせたのが始まりとのこと[3]

「史村翔」のペンネームは、1973年の『球豪伝』の際に、本名である岡村善行をローマ字「OKAMURA YOSHIYUKI」にしてそのアルファベットから組み替えて作った「SHIMURA SYO」(しむら しょう)に漢字を当てたものが初めに考案された。講談社の担当が「し」に当てる漢字を「史」に変更して「ふみ」と読むことを提案して、「史村翔」(ふみむら しょう)に決定された[4]

作品によって「武論尊」と「史村翔」の名義を使い分ける。これは人気漫画となっていた『ドーベルマン刑事』連載中に『週刊少年ジャンプ』編集部が他誌での連載を許さない「専属契約」締結を求めたが、他誌でもやりたいこと(『ファントム無頼』)があったため拒否して揉めた事が原因である。結局フリーのまま『ドーベルマン刑事』を続けることになり、「武論尊」名義では主に集英社での連載で、「史村翔」名義では集英社以外での連載で使い分けることになった[5]。しかし「strain」執筆時に作画担当の池上遼一よりリクエストを受け「武論尊」名義を使用してからは、アクション系の作品では「武論尊」、それ以外でのコメディー系やシリアス系の作品では「史村翔」と作風によって使い分けている。近年の仕事は「武論尊」名義が多くなっているため、付き合いの古い編集者からは「史村さん」、若い編集者からは「ブー先生」と呼ばれることが比較的多いという。

原作作品リスト

武論尊名義

史村翔名義

出典・補足

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:武論尊
  1. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「seichi」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 新潮社サイトの記述に基づく
  3. 『原作者・武論尊、もしくは史村翔』を参照。
  4. 『原作者・武論尊、もしくは史村翔』および『原作者・武論尊、もしくは史村翔』を参照。
  5. 『原作者・武論尊、もしくは史村翔』を参照。