週刊少年マガジン

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週刊少年マガジン』(しゅうかんしょうねんマガジン)は、講談社が発行する日本週刊少年漫画雑誌1959年3月17日創刊。毎週水曜日発売。略称は 「マガジン」「週マガ」。

特徴

劇画路線からの脱却

W3事件の際、手塚治虫が『週刊少年マガジン』から原稿を引き上げたため、対立軸を明確にすべく1970年代劇画路線をとったことで知られる。以降読者の高年齢化が進み、1980年代から1990年代中頃まではヤンキー漫画格闘漫画が主流を占めたため「不良の読む雑誌」とされたこともあったが、いわゆる第2次黄金期(1997年 - 2002年)以降はそのイメージは過去のものとなりつつある。

近年の少年誌では珍しい、ノンフィクションのドキュメンタリー漫画が掲載される他、一時期は芸能人による連載企画も行われていた。

グラビア企画

多数の女性芸能人を輩出しているオーディション企画ミスマガジンを始め、グラビアアイドルや人気女優などのカラーグラビアも積極的に行なっている。また、「マガジン一押し!若手アイドル○連発」などと銘打ってまだ知名度の低いグラビアアイドルをまとめて掲載する企画が不定期で行なわれており、中には乙葉小倉優子など現在では多くのテレビ番組に出演し知名度の高い女性タレントも出演していた。しかし、最近はすでにテレビで活躍している女性タレント(スザンヌ南明奈など)が出演することが多い。

アンケートの扱い

読者アンケートは、編集方針の参考という扱いである。『週刊少年ジャンプ』とは異なり、アンケート至上主義ではない。

アンケートで人気が芳しくなかった作品は打ち切りとなることが多い。ある編集者は4年間で15作品ほどを担当し、ほとんどが打ち切りになったという[1]

掲載順は「アンケート上位順」ではなく、様々な要因によって決定される。例えば、「単行本の売り上げや作品同士の相性を考慮する、特に読者にアピールしたい作品を上位にする」「巻末にギャグ漫画[2]を配置する」などである[3]。そのため、常時下位掲載でも打ち切られないケース[4]も見られる(いわゆるしんがり漫画)。

作品の転出および転入

人気が低迷したり作者・編集部側の事情などにより本誌で打ち切りになったとしても完全に打ち切るのではなく、兄弟誌である『マガジンSPECIAL』や『月刊アフタヌーン』へ舞台を移して連載をするケースがある。例として「Dreams」や「ガチャガチャ」などが前者へ、「ヴィンランド・サガ」が後者へ移籍している。逆に『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン』から本誌へ舞台を移すケースがあり、「将太の寿司」や「生徒会役員共」などが前者から、「神さまの言うとおり」などが後者から移籍している。また、「彼女とキスする50の方法」のように本誌で短期連載を行なったのち『マガジンSPECIAL』で本連載を開始するケースや、「Dr.デュオ」のように『マガジンSPECIAL』でサイドストーリーを行ってから本誌で本連載を開始するケースがある。

特異な例として、料理冒険漫画である「中華一番!」は本誌から『マガジンSPECIAL』に移籍したのち、『真・中華一番!』と改題して本誌に復帰。逆に「スミレ17歳!!」は『マガジンSPECIAL』で連載が始まり、「スミレ16歳!!」と改題して本誌に移籍したのち、再び『マガジンSPECIAL』へ戻っている。また「KAGETORA」のように『マガジンSPECIAL』での本連載を一度休み、本誌で同名別ストーリーの短期集中連載を行なうこともある。その他『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン』の連載作品がPRも兼ねて本誌で読みきりを掲載することもある。

連載漫画家の特徴

古くは手塚治虫赤塚不二夫つのだじろうといった通称『トキワ荘』組や小林よしのりなどといった複数の漫画誌を渡り歩いている漫画家を多く起用していた。1990年頃になるとその傾向は一旦低下するが、1999年頃から再び同社他誌の主力漫画家や他社デビューの漫画家を積極的に起用するようになっている。前者についてはCLAMP(『なかよし』)や福本伸行(『週刊ヤングマガジン』)が該当し、後者については大暮維人(『ウルトラジャンプ』)や木多康昭(『週刊少年ジャンプ』)、久米田康治(『週刊少年サンデー』)、ヒロユキ[5](『月刊少年ガンガン』)などがいる。その他能條純一板垣恵介など他社の主力漫画家が一時的に『週刊少年マガジン』で連載を行なうことがある。

女性漫画家の起用は早い時期から多く行なっているが、ペンネームが男性風になることが多い。例として塀内真人(現・塀内夏子)、島崎譲大島司さとうふみや恵広史山本航暉などがおり、他誌では女性風だったペンネームをわざわざ男性風にした久保ミツロウのケースもある。最近では咲香里吉河美希西山優里子など男性風に変えない女性漫画家もいる。ちなみに初の連載女性漫画家は高橋美由紀である。

ショートギャグにも比重を置いていることから専門の漫画家も多く起用しており、過去には斉藤富士夫三ツ森あきら、現在は西本英雄氏家ト全がそれに該当する。また島田英次郎のように普段は他誌で連載をしているが、本誌の連載漫画が休載したときの穴埋めとしてショートギャグ漫画の読み切りを描くことがある。

作品のメディアミックス

アニメ

テレビアニメについては1960年代から1970年代前半にかけては『あしたのジョー』や『巨人の星』などの有名作品を出していたが、1970年代後半から1980年代にかけてはアニメ化される作品が少なかった。これは上記に記述されているとおり「泥臭さ・社会性」の誌風のため時代背景にあった作品を出すことができなかったためである。

1990年代以降はラブコメ萌え路線など誌風の多様化によりアニメ化される作品が多くなったが、2000年代になると少子化の影響により全日枠が縮小され、深夜枠での放映が多くなっている。

2000年代後期からは他社に先駆け、単行本の限定版にOVAを同梱する販売形態も行っている。

現在放送中の作品

2014年7月時点でのもの。

過去にアニメ化された作品

50音順、他誌に連載された作品も含む。

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

ら行

わ行

ドラマ

一方、テレビドラマ・実写映画では1970年代に『愛と誠』、『野球狂の詩』、『翔んだカップル』を、90年代には『シュート!』(映画のみ)、『金田一少年の事件簿』、『GTO』などが放映された。特に『金田一』と『GTO』は視聴率も良好であったためのちに映画化、更にはアニメ化もされている。

過去にテレビドラマ化された平成期の作品
作品名 キー局 放送時期 備考
金田一少年の事件簿
ドラマ版
日本テレビ系列 1995年7月15日 - 9月16日
1996年7月13日 - 9月14日
2001年7月14日 - 9月15日
2014年7月19日 -
連続ドラマの他、過去6回単発でスペシャル版を放送。
2014年版のタイトルは「金田一少年の事件簿N(neo)」。
1997年に映画化(ドラマ版項目を参照)。
1997年、2014年にアニメ化(アニメ版[6]
MMR マガジンミステリー調査班
ドラマ版
フジテレビ系列 1996年4月18日 - 9月12日 タイトルは「MMR未確認飛行物体」。
木曜の怪談内にてオムニバス形式で放送。
将太の寿司 1996年4月19日 - 9月20日 1999年10月にテレビ東京で単発アニメ化。
サイコメトラーEIJI 日本テレビ系列 1997年1月11日 - 3月15日
1999年10月16日 - 12月18日
2000年にスペシャル版を放送。
GTO
反町版…1998年)
AKIRA版…2012年、2014年)
関西テレビ・フジテレビ系列 1998年7月7日 - 9月22日
2012年7月3日 - 9月11日
2014年7月8日 -
反町版で1回、AKIRA版で3回スペシャル版を放送。
1999年に映画化(反町版の記事を参照)。
1999年にアニメ化(原作記事を参照)[7]
BOYS BE… 日本テレビ系列 1998年10月4日 - 12月27日 タイトルは「BOYS BE…Jr.」。
ジャニーズJr.によるオムニバス形式で放送。
2000年にWOWOWでアニメ化。
MAYA 真夜中の少女 BS日テレ 2003年3月8日 日テレジェニック2002卒業制作ドラマとして放送。
連載終了後のドラマ化。
クニミツの政 関西テレビ・フジテレビ系列 2003年7月1日 - 9月9日
探偵学園Q 日本テレビ系列 2007年7月3日 - 9月11日 2003年にTBSでアニメ化。
魔法先生ネギま!
ドラマ版
テレビ東京系列 2007年10月3日 - 2008年3月26日 タイトルは「MAGISTER NEGI MAGI 魔法先生ネギま!」。
2005年にアニメ化(アニメ版)。
その他OVA化などされている。
スミレ16歳!! BSフジ 2008年4月13日 - 6月29日 『マガジンSPECIAL』へ移籍後のドラマ化。
シバトラ フジテレビ系列 2008年7月8日 - 9月16日 2009年、2010年にスペシャル版を放送。
BLOODY MONDAY TBS系列 2008年10月11日 - 12月20日
2010年1月23日 - 3月20日
ゴッドハンド輝 2009年4月11日 - 5月16日
ヤンキー君とメガネちゃん 2010年4月23日 - 6月25日
ハンマーセッション! 2010年7月10日 - 9月18日
山田くんと7人の魔女 フジテレビ系列 2013年8月10日 - 9月28日
アゲイン!! MBS・TBS系列 2014年7月20日 -

コラボレーション・メディアミックスなど

当誌におけるメディアミックスの代表作として『魔法先生ネギま!』が挙げられ、アニメ・ドラマ化以外にもTVゲームやカードなど幅広いジャンルで活動している。また、また、かつてはエイベックスとのメディアミックスで『アソボット戦記五九』が連載されていた。また、創刊50周年記念として『週刊少年サンデー』との数々のコラボレーション企画が行われたほか、最近ではテレビ朝日のドキュメント番組『GET SPORTS』とのタイアップによる短編作品や女性アイドルグループAKB48』公認漫画作品『AKB49〜恋愛禁止条例〜』の連載が行われている。

約物の使用

作中の台詞表現において、句読点を原則として用いず、沈黙を表すリーダーも三点リーダー(…)ではなく二点リーダー(‥又は・・)を用いるという特色がある。この特徴は、マガジンSPECIAL月刊少年マガジン週刊ヤングマガジン等の系列・派生誌でも見られる(一方、同じ講談社発行のモーニングとその系列誌では、一貫して三点リーダーが用いられている)。

また、『スクールランブル』と『新約「巨人の星」花形』の三点リーダーや『さよなら絶望先生』の木津千里の台詞にある句読点など、例外も存在する。

歴史

テンプレート:出典の明記

1959年 - 1968年
1959年に創刊。当初は木曜日発売で定価は40円だったが、同年5号で30円に値下げ。キャッチコピーは同年14号から翌1960年26号まで「ゆめと希望の少年マガジン」だった。当初の主力作品は連続小説が大半を占めていたが、当時はまだヒット作には恵まれず、ライバルである『週刊少年サンデー』に水を空けられている状況が続いた。しかし1965年の「ハリスの旋風」を皮切りにマガジンの快進撃が始まり、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとした。その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」なども連載を始め、1967年1月にはついに100万部を突破した。また大伴昌司の構成によるグラビア記事も人気に大きく貢献した。円谷プロの怪獣物テレビ番組「ウルトラQ」の怪獣を表紙の採用し、メディア・ミックスの先駆ともなった。
1969年 - 1977年
「キッカイくん」の連載を機にエログロナンセンスが用いられるようになり、それにともない読者の対象年齢も上昇。さらに1970年には「アシュラ」「ワル」「メッタメタガキ道講座」など多くの問題作が登場。さらに横尾忠則を表紙のデザイナーに迎えるなど、マガジンは「ガロ」に近い青年向けの雑誌となり、現在までに至るマガジンのイメージがほぼ確立されはじめる。大学生の間で「右手に(朝日)ジャーナル左手にマガジン」と言われたこともあった[1][2]。この影響は大きく、神奈川県児童福祉審議会が1970年32号を有害図書に指定。その後は1971年に「巨人の星」、1973年に「あしたのジョー」が終了したことなどからマガジンの勢いは徐々に下降。「あしたのジョー」などに変わる新たな主力作品としては「空手バカ一代」「愛と誠」「おれは鉄兵」「釣りキチ三平」などがスタートし、新たに篠山紀信によるアイドルのグラビア記事を導入するも、部数は伸び悩み、1973年に『週刊少年ジャンプ』に発行部数首位の座を奪われた。このため1975年1号より創刊以来親しまれた誌名ロゴを初めて大幅に変更するなどのリニューアルを行い巻き返しを図ったが、低迷からは思うように抜け出せなかった。因みに1971 - 1973年には「仮面ライダー」などの特撮ヒーロー作品がいくつか掲載されているものの、ウルトラマンなどの空想特撮シリーズの頃のように表紙を飾ることはなく、またそれらのジャンルは当時創刊されていた「テレビマガジン」や学年誌の対象分野となりつつあったことから、以後特撮ヒーロー作品の掲載は控えられた。
1978年 - 1988年
2度目の誌名ロゴ変更を行った1978年2号で創刊1000号到達。だがこの頃の『マガジン』は『ジャンプ』だけでなく、『サンデー』や『チャンピオン』の後塵をも拝する状態となっていたが、「翔んだカップル」のヒットによってラブコメ漫画が定着。「あした天気になあれ」「1・2の三四郎」「コータローまかりとおる!」などの新たな主力作品の登場と新体制により勢いを徐々に取り戻し、部数を回復させた。1982年には初の雑誌系オーディション企画「ミスマガジン」とイメージキャラクターのピモピモの投入。1983年には定期増刊「マガジンSPECIAL」の創刊とバイク漫画としては『マガジン』始まって以来の大ヒットとなる「バリバリ伝説」の連載開始。さらに創刊25周年の年である1984年に誌名ロゴを現在のバージョンに変更。1980年代後半には少年誌の部数で『サンデー』を再び抜き、2位となったが、首位の『ジャンプ』の背中はまだ遠く、差は開く一方だった。
1989年 - 1994年
平成時代の幕開けとなった1990年代前半は大ヒット作となる「金田一少年の事件簿」の連載が開始され、『マガジン』史上最も連載期間の長い[8]はじめの一歩」、「シュート!」「オフサイド」「風のシルフィード」などのスポーツ漫画や、「湘南純愛組!」「カメレオン」「疾風伝説 特攻の拓」などのヤンキー漫画の分野でヒット作が続出。1990年代の第2次黄金期の基礎を築いた。しかし1990年代初頭に『ジャンプ』が発行部数600万部を突破したことなどもあってか、この頃のマガジンの健闘ぶりは当時は過小評価されがちで、スポーツものや不良ものに比重を重く置いたこの頃の誌面の内容には、「絞れば汗が出る」と揶揄する声も一部にはあった。同時期に開始した「BOYS BE…」や「将太の寿司」などインドア系の作品も長期連載作となった。1994年には草創期から長年に渡って『マガジン』で連載を続けていたちばてつやが、「少年よラケットを抱け」の連載終了をもって『マガジン』から離れている。
1995年 - 1999年
「金田一少年の事件簿」「はじめの一歩」「シュート!」などの看板漫画を擁する『マガジン』は、看板漫画を失った『ジャンプ』との差を徐々に縮め、1997年にはついに『ジャンプ』を抜き久々に発行部数首位の座を取り返す。この期間には「金田一少年の事件簿」「GTO」「サイコメトラーEIJI」などの看板・主力作品がドラマ化され、どれも高視聴率を記録し、そこから多くの読者を呼びこんだ。また、1998年から始まった「ラブひな」がヒットし、関連グッズも飛ぶように売れ、そのことが後の『マガジン』の路線に多大な影響を与えることとなる。さらに、それまでの『マガジン』としては珍しかった「RAVE」「SAMURAI DEEPER KYO」「GetBackers-奪還屋-」などのファンタジー漫画・アクション漫画が立て続けにヒット。まさしく第2次黄金期と言えるほどの、誌面の充実振りを見せた。
2000年 - 2005年
2000年代に入ると、1990年代中 - 後期の第2次黄金期を支えた主力作品の休載・終了が目立つようになり、部数は徐々に下降していった。そして2002年5月20日、副編集長が大麻所持で逮捕されるという衝撃的な事件がおきる。弱り目に祟り目となった『マガジン』はこの1年で部数が急落し、8月には再び『ジャンプ』に首位の座を奪われてしまう。ちなみに捕まった元副編集長は、その後逮捕事件について自伝を出版している。2003年にはCLAMP少年誌の『マガジン』本誌に引き抜き、「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-」を連載するというサプライズを見せる。またこの年に「魔法先生ネギま!」の連載が開始され、同作のメディアミックスが盛んに行われた。「ラブひな」ヒットの影響からか、「スクールランブル」を始めとした萌え系や恋愛漫画などが多く誌面に見られるようになった。これらと従来の連載陣に加えて、『サンデー』から移籍した久米田康治が「さよなら絶望先生」の連載を開始したり、巻末漫画として「もう、しませんから。」が定着するなど、ギャグ漫画の分野でも個性的なヒット作が登場した。
2006年 - 2011年
スポーツ漫画の新連載が大量に始まる。「巨人の星」のリメイク漫画、「新約「巨人の星」花形」の新連載が決定されたときは、テレビや新聞などの各種マスコミにも取り上げられた。ここ数年勢いがあった萌え系・ファンタジー系は最近はやや落ち着いてきている。その反面、「FAIRY TAIL」や「ダイヤのA」のヒットこそあったものの部数の減少に歯止めはかからず、2007年には発行部数が200万部を下回る。2008年には50周年記念として様々な企画を行い、ライバル誌の『サンデー』と協力して異例のコラボレーションを見せた。2009年3月17日「少年サンデー・少年マガジン創刊50周年大同窓会」が東京で開催された。一方テレビドラマ化の乱発やGTOの続編にあたる「GTO SHONAN 14 DAYS」を連載するも出版不況や「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-」「魔法先生ネギま!」「エアギア」「さよなら絶望先生」などの人気作品の連載終了、さらに新連載の短期打ち切りなどが影響し発行部数は下がり続け、2011年には150万部を下回った。
2012年 -
2001年に連載が終了し、以降短期集中連載を行なっていた「金田一少年の事件簿」の定期連載を2012年に再開。またこれまで『ジャンプ』『サンデー』『チャンピオン』で連載を行っていた鈴木央が「七つの大罪」の連載を開始し、現在出版されている週刊少年漫画四誌すべてで連載を開始することになった[9]。この頃からスポーツ漫画の新連載が落ち着き、ジャンルが多種多彩になる。2013年1号に「はじめの一歩」が週刊少年マガジン初となる連載1000回を達成した。

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連載作品

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以下、2014年8月6日(2014年36・37合併号)現在連載中の作品。休載中の不定期連載作品も含む。

作品名 作者(作画) 原作など 開始号 備考
テンプレート:Display noneはじめの一歩 テンプレート:Display none森川ジョージ 1989年43号
テンプレート:Display none金田一少年の事件簿R テンプレート:Display noneさとうふみやテンプレート:Small テンプレート:Display none金成陽三郎テンプレート:Small
テンプレート:Display none天樹征丸テンプレート:Small
1992年45号 2001年2号で一旦終了
2004年から2011年まで短期連載
2012年14号より連載再開
テンプレート:Display noneあひるの空 テンプレート:Display none日向武史 2004年2・3合併号
テンプレート:Display noneエリアの騎士 テンプレート:Display none月山可也テンプレート:Small テンプレート:Display none伊賀大晃テンプレート:Small 2006年21・22合併号
テンプレート:Display noneダイヤのA テンプレート:Display none寺嶋裕二 2006年24号
テンプレート:Display noneFAIRY TAIL テンプレート:Display none真島ヒロ 2006年35号
テンプレート:Display noneベイビーステップ テンプレート:Display none勝木光 2007年46号
テンプレート:Display none生徒会役員共 テンプレート:Display none氏家ト全 2008年34号 マガジンSPECIAL』より移籍
テンプレート:Display noneAKB49〜恋愛禁止条例〜 テンプレート:Display none宮島礼吏テンプレート:Small テンプレート:Display none元麻布ファクトリーテンプレート:Small
テンプレート:Display none高橋ヒサシテンプレート:Small
2010年39号
テンプレート:Display none賭博覇王伝 零 ギャン鬼編 テンプレート:Display none福本伸行 2011年33号 休載中
テンプレート:Display none探偵犬シャードック テンプレート:Display none佐藤友生テンプレート:Small テンプレート:Display none安童夕馬テンプレート:Small 2011年47号 休載中
テンプレート:Display none山田くんと7人の魔女 テンプレート:Display none吉河美希 2012年12号
テンプレート:Display none我妻さんは俺のヨメ テンプレート:Display none西木田景志テンプレート:Small テンプレート:Display none蔵石ユウテンプレート:Small 2012年42号 マガジンSPECIAL』より移籍
テンプレート:Display none七つの大罪 テンプレート:Display none鈴木央 2012年45号
テンプレート:Display noneアホガール テンプレート:Display noneヒロユキ 2012年52号
テンプレート:Display none神さまの言うとおり弐 テンプレート:Display none藤村緋二テンプレート:Small テンプレート:Display none金城宗幸テンプレート:Small 2013年7号 別冊少年マガジン』より移籍
テンプレート:Display noneACMA:GAME テンプレート:Display none恵広史テンプレート:Small テンプレート:Display noneメーブテンプレート:Small 2013年19号
テンプレート:Display noneDAYS テンプレート:Display none安田剛士 2013年21・22合併号
テンプレート:Display none聲の形 テンプレート:Display none大今良時 - 2013年36・37合併号
テンプレート:Display noneUQ HOLDER! テンプレート:Display none赤松健 - 2013年39号
テンプレート:Display noneせっかち伯爵と時間どろぼう テンプレート:Display none久米田康治 - 2013年49号
テンプレート:Display none風夏 テンプレート:Display none瀬尾公治 2014年11号
テンプレート:Display noneドメスティックな彼女 テンプレート:Display none流石景 2014年21・22合併号
テンプレート:Display none天啓のアリマリア テンプレート:Display none伊十楽テンプレート:Small テンプレート:Display none作元健司テンプレート:Small 2014年27号
テンプレート:Display noneコーポ失楽園 テンプレート:Display none五十嵐正邦 2014年30号
テンプレート:Display noneルポ魂! テンプレート:Display none岡田有希
テンプレート:Display none船津紳平
2014年32号
テンプレート:Display none鉄の王 テンプレート:Display noneさの隆 2014年36号・37合併号

読者コーナー

60年代後半にはダジャレやナンセンスギャグをメインとした「パンパカ学園」が人気だったが、70年代に入ると「へんな学校」や「星一徹のモーレツ人生相談」があった。その後「マイマガジン」や「マイマガ7」へと変遷し、少年誌の読者コーナーでは最もレベルの高い投稿センスを誇っていたが(編集長まで三段腹などが毎週ネタにされていた)、次第に「ジャンプ放送局」にその座を抜かれ、さらに2000年代には「サンデー青春学園」の影響もあり「ピモピモ広場」を最後に現在は廃止されている。この為、現在の週刊少年誌では唯一読者コーナーがない。

なおピモピモ広場でマスコットキャラとして活躍していた、鉄腕アトムみたいな髪型に眼鏡をかけたキャラには「こく坊」という名がちゃんと存在し、「マイマガ7」から出演し続けていた(ただしイラストレーターは交代している)知られざる長寿キャラであった。流れとしてはハル坊だけが編集長などと競演→こく坊が途中参戦しハル坊とこく坊のコンビで活躍→ハル坊がフェードアウトしてこく坊のみ、となる。

2008年に連載していたルポ漫画「発掘!マガジン野郎!!」にて、二人とも実在人物であることが判明。こく坊のモデルは小久保さんであった。ただしハル坊と実在のモデルは似ても似つかない。

歴代編集長

  1. 牧野武朗(1959年 - 1964年)
  2. 井岡秀次(1964年 - 1965年)
  3. 内田勝(1965年 - 1971年)
  4. 宮原照夫(1971年 - 1980年)
  5. 三樹創作(1980年 - 1986年)
  6. 五十嵐隆夫(1986年 - 1997年)
  7. 野内雅宏(1997年 - 2004年)
  8. 工富保(2004年 - 2005年)
  9. 森田浩章(2005年 - 2013年)
  10. 菅原喜一郎(2013年 - 在職中[10]

発行部数

テンプレート:出典の明記

  • 1959年 20万5000部(創刊号)
  • 1995年 436万部(本誌の最高記録)
  • 1998年 425万部
  • 2000年 405万部
  • 2001年 380万部
  • 2002年 364万部
  • 2003年 319万部
  • 2004年 272万部
  • 2005年 236万部
  • 2006年 215万部
  • 2007年 187万部
  • 2008年 178万部
発行部数(2008年4月以降)[3]
1〜3月 4〜6月 7〜9月 10〜12月
2008年 1,755,000 部 1,720,000 部 1,691,667 部
2009年 1,664,167 部 1,633,334 部 1,614,616 部 1,593,637 部
2010年 1,571,231 部 1,565,000 部 1,556,250 部 1,551,819 部
2011年 1,529,693 部 1,491,500 部 1,489,584 部 1,472,084 部
2012年 1,447,500 部 1,436,017 部 1,412,584 部 1,404,834 部
2013年 1,376,792 部 1,357,000 部 1,324,209 部 1,308,117 部
2014年 1,277,500 部 1,245,417 部

講談社コミックスマガジン

単行本は講談社コミックスレーベルで発行される。通称少年マガジンコミックス。コード番号はKCM406から振られているが、これは1~405までの番号はKCMの前身であるKCが使用しているからである。

  • デザインの特徴は、初代では表紙の上部に「Kodansya Comics マガジン」の表記が使用され、背表紙にはKとCの間にマガジンと黒文字と黄色のバックが使用された。
  • 1984年の2代目では、現在(2011年)にも雑誌のロゴマークとして使われているモグラを使用し、「SHONEN MAGAZINE COMICS」と表記され、斜め向きの旗風のデザインを1995年頃まで使用した。現在連載中の作品では「はじめの一歩」のみ使用し続けている。
  • 1996年頃から、デザインを一新し、KCロゴとマガジンの旗印の「MAGAZINE」を組み合わせたデザインを採用。KC部分の色が作家によって自由に指定ができるようになっている。現在も使用されている。

増刊号

派生誌およびウェブコミック誌

本誌と同一の編集部

本誌と別の編集部

マンガ雑誌アプリ

脚注

  1. 週刊少年マガジンの編集者に大苦言!(ロケットニュース24配信、ライブドアニュース掲載)
  2. 2004年からは『もう、しませんから。』→『ちょっと盛りました。』がそれにあたる。
  3. 『別マガ』班長は今日も困っている。 掲載順はいかにして決まるか(H本)
  4. 神to戦国生徒会』などが挙げられる。
  5. なお、ヒロユキの実姉は恵広史であり、現在二人揃って別の作品で連載を行なっている。
  6. アニメ版の制作局は讀賣テレビ放送
  7. アニメ版の制作局はフジテレビ
  8. (続編が連載途中でマガジンSPECIALに移動した『コータローまかりとおる!』は除く)
  9. 生存している漫画家で「四大週刊少年漫画誌」だけに限ればつのだじろうと小林よしのり、永井豪が該当する。三人は現在休刊となっている『週刊少年キング』でも連載を行っているが、つのだじろうは『ジャンプ』、小林は『サンデー』での定期連載を行っていない。永井のみ当時の5つの週刊連載誌全てに同時連載した記録を持つ。なお、『キング』を含めた「五大週刊少年漫画誌」すべてで連載を行った漫画家として手塚治虫や赤塚不二夫がいる。
  10. 週マガ・別マガ・マガスペ3誌の編集長が同時に交替へ(2013年6月4日、コミックナタリー)

関連項目

外部リンク

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