横尾駅

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テンプレート:駅情報 横尾駅(よこおえき)は広島県福山市横尾町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福塩線である。

駅構造

変則単式2面2線のホームを持ち行違い可能な地上駅。かつての駅舎は無人化された後1980年代末期頃まで横尾町公民館として利用されていたが、公民館を駅近くの現在のものに改築した際に解体された。

CTC化に際し、備後本庄駅から交換設備を移設(無人化により廃止されていたのを復活)した際、現在の下りホームの入口側に線を増設し、島式1面2線として使用されていたが、あまりにもホーム幅が狭かったため、その後駅入口側に上りホームが設けられ、現在の形になった。互いのホームは神辺寄りの無蓋跨線橋で連絡している。

せとうち地域鉄道部管理の無人駅であるが自動券売機は設置されている。また2007年(平成19年)7月にICOCA対応の簡易型自動改札機を導入し、券売機もICOCAチャージ対応機種に置き換えられた際、自動券売機が収納してある小屋の横に簡易的な駅舎が建てられていて、そこへ自動改札機が設置してある。

ICOCA利用可能駅(相互利用対象ICカードは当該項参照)。

横尾駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1(入口側) テンプレート:Color福塩線 上り 福山方面
2(反対側) テンプレート:Color福塩線 下り 神辺府中方面

実際には上記ののりば番号標は存在しない。記載した番号は列車運転指令上の番線番号である。

駅周辺

利用状況

1日平均の乗車人員は以下の通り。

  • 948人(2001年度)
  • 890人(2002年度)
  • 948人(2003年度)
  • 970人(2004年度)
  • 992人(2005年度)
  • 945人(2006年度)
  • 913人(2007年度)
  • 915人(2008年度)
  • 827人(2009年度)
  • 810人(2010年度)

歴史

横尾駅は1914年(大正3年)に両備軽便鉄道の駅として開業する。当時の路線は横尾駅から南に直進し国道313号線に合流して福山市街に入り吉津駅に至っていた(このときの橋脚跡が横尾駅から約300m南に残されている)。この路線は福塩線の狭軌化に対応できないことから1935年(昭和10年)に廃止され横尾駅から西に曲がり福山駅へと至る現在のルートに変更された。つまり、横尾駅は開業当時からの路線(下り側)と改軌時に敷設された新たな路線(上り側)との接点なのである。なお、駅東口の前にある空地が軽便鉄道時代の駅の跡である(写真手前)。

  • 1914年大正3年)7月21日 - 両備軽便鉄道開業と同時に設置。
  • 1926年(大正15年)6月26日 - 両備軽便鉄道が両備鉄道に改称され、同社の駅となる。
  • 1933年昭和8年)
    • 9月1日 - 両備鉄道国有化により、国有鉄道福塩線の駅となる。
    • 11月15日 - 福塩北線開業に伴い、それまでの福塩線が福塩南線に改称され、当駅もその所属となる。
  • 1935年(昭和10年)12月14日 - 横尾駅から南側(福山寄り)の軌道が西回りに変更される。
  • 1938年(昭和13年)7月28日 - 当駅を含む福山駅 - 塩町駅間全通により福塩南線が現行の福塩線の一部となり、当駅もその所属となる。
  • 1970年(昭和45年)12月10日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
  • 2007年平成19年)7月 - ICOCA対応簡易型自動改札機導入。

その他

妹尾河童の小説「少年H」では、主人公・妹尾肇の母親の実家の最寄り駅として登場している。

隣の駅

西日本旅客鉄道
テンプレート:Color福塩線
備後本庄駅 - 横尾駅 - 神辺駅

福山駅まで井原鉄道井原線の列車も一日3往復のみ乗り入れている。

かつて存在した路線

鉄道省(国有鉄道)
福塩南線(旧線)
吉津駅 - 横尾駅 (- 神辺駅)

外部リンク

テンプレート:福塩線