梅ヶ島温泉

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梅ヶ島温泉(うめがしまおんせん)は、静岡県静岡市葵区(旧国駿河国)にある温泉県道29号の北端に位置し、山梨県との県境に近い秘境の温泉郷である。

泉質

温泉街

深山幽谷という表現が適切な環境にあり、安倍川源流の河畔に、一直線上に旅館が並ぶ。木造の素朴な旅館が多く、家庭的な雰囲気を持っている。安倍の大滝へも近い。

旅館民宿は10軒存在する

日帰り入浴施設は、各旅館・民宿でも可能であるが、日帰り入浴専門としては「湯元屋」がある。食事・売店もこの「湯元屋」一軒のみ。

歴史

1700年前に発見されたと伝えられ、武田信玄隠し湯として使われたこともあった。近くに金山があった時代もあり、その頃は「黄金の湯」と呼ばれていた。

古文書による湯治記録で徳川家康徳川秀忠の名が見られることから、江戸時代にはかなり有名な温泉地であったことがうかがわれる。当時は立地上、身延に近いことから甲州との峠越えの交易が盛んで、湯治客も甲州経由が多かったようだ。

江戸時代中期には良純親王が湯治し、その霊験ぶりに感激し、神社を開いている。(俗にいう三蛇権現、三匹の蛇に導かれて梅ヶ島温泉に到達したという言い伝え)三種の神器も、老舗旅館、梅薫楼のほか地元の民家に保存されている。現在は、源泉跡地に湯之神社として現存している。

幕末から明治にかけての湯治客には、清水次郎長乃木希典の名が見られ、創傷や外傷に効能のある温泉として評価を得た。(第二次世界大戦時には帝国陸軍の保養施設となった)。

昭和の世になってからは、歌人の吉井勇が長逗留の時に「梅ヶ島遊草」を詠ったり、茂木草介が「太閤記」を書き上げたり、といった、文人達に好まれる湯治温泉地となった。

1955年昭和30年)に、梅薫楼から静岡市に源泉の権利が返され、以降13軒に配分されるようになり、現在に至る。

1966年9月25日台風第24・26号災害により壊滅的な被害を受けるが、その後、復興した。

アクセス

外部リンク

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