桃山南口駅

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テンプレート:UKrail-header2テンプレート:BS-tableテンプレート:BS-colspan六地蔵駅テンプレート:BS2textテンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS-colspan観月橋駅

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桃山南口駅(ももやまみなみぐちえき)は、京都府京都市伏見区にある、京阪電気鉄道宇治線

駅構造

相対式2面2線のホームを持つ地上駅である。改札口は上下線で独立して設けられており、改札内で互いのホームを行き来することはできない。宇治方(ホーム西側)に改札口があり、宇治方面の改札口には早朝深夜を除き駅員が配置されている(中書島方面の改札口は朝ラッシュ時のみ配置)。

のりば

1 テンプレート:Color宇治線(上り) 中書島淀屋橋中之島線出町柳方面
2 テンプレート:Color宇治線(下り) 六地蔵宇治方面

案内サインは上記の通りであるが、上り列車は中書島駅までの運転のため、淀屋橋・中之島線方面と出町柳方面は中書島駅で乗り換えとなる。なお、両ホームとも有効長は5両。

利用状況

  • 2009年11月10日の利用客数は6,018人(『京阪百年のあゆみ』より)。
  • 2012年度の1日平均の乗車客数(降車客を含まない)は約2,893人(京都府統計書より)。
    • 公団桃山団地が近くにあり、また駅周辺も住宅地となっているため利用客は多い。

駅周辺

歴史

1913年6月の京阪宇治線の開業と同時に開設された駅。開設の目的は同年7月に桃山御陵で予定された「明治天皇御1年祭」の参拝者輸送だった。 貨物輸送は1914年9月に開始され、駅に隣接するニチボーの工場への貨物の積み下ろし施設があった。 水害の多発地帯で、戦後も昭和28年の台風13号、第2室戸台風などでは線路が浸水して不通になった。山科川に隣接する堤防が昭和40年代になって作られた[1]。 1981年の駅舎改築までは宇治行きホーム側のみに改札口が有り、朝のみ中書島行きホームへの臨時改札口が設けられていた。そのなごりか1998年8月までは構内踏切が有った。

  • 1913年大正2年)6月1日 - 京阪宇治線開業と同時に御陵前駅として設置。
  • 1943年昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄の駅となる。
  • 1945年(昭和20年)9月15日 - 輸送混乱防止のため、使用を中止。
  • 1946年(昭和21年)2月15日 - 営業再開。
  • 1949年(昭和24年)
    • 11月25日 - 桃山南口駅に改称。
    • 12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
  • 1953年(昭和28年)9月25日 - 台風13号で駅周辺が浸水(10月1日仮復旧)[2]
  • 1961年(昭和36年)9月16日 - 第2室戸台風で駅周辺が浸水。
  • 1981年(昭和56年)3月30日 - 駅舎改築工事竣工、自動券売機3基を新設[3]
  • 1982年(昭和57年)3月 - ホームに点字ブロック設置。
  • 1992年平成4年)3月 - 宇治行き駅舎建て替え、トイレ水洗化[4]
  • 1994年(平成6年)10月 - 自動改札機を設置[5]
  • 1998年(平成10年)8月5日 - 構内踏切を廃止[6]

隣の駅

京阪電気鉄道
テンプレート:Color宇治線
観月橋駅 - 桃山南口駅 - 六地蔵駅

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 「鉄道ピクトリアル」2000年12月増刊号「特集京阪電気鉄道」のP85に掲載されている1965年9月撮影の桃山南口-観月橋を撮影した写真には堤防は無く川の横を京阪電車が走っていた
  2. 出典・「鉄道ピクトリアル」1984年1月増刊号「特集京阪電気鉄道」の124頁
  3. 出典・駅置きの月刊広報誌「くらしの中の京阪」1981年4月号
  4. 出典・「くらしの中の京阪」1992年3月号
  5. 出典・「くらしの中の京阪」1994年11月号
  6. 出典・『京阪百年のあゆみ』資料篇145頁

関連項目

外部リンク

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