松尾寺駅

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松尾寺駅(まつのおでらえき)は、京都府舞鶴市字吉坂にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)小浜線である。

概要

小浜線における金沢支社敦賀地域鉄道部管内最後の駅[1] であり、金沢支社管内でありながら京都府内に位置している唯一の駅である[2]。なお、駅掲示の時刻表や運賃表は同支社で統一的に使用される規格のものが用いられている。

定期列車は全て各駅停車のため当駅に停車するが、臨時列車は通過する場合もある。

西隣の東舞鶴駅とは6.1km離れており、小浜線内では駅間距離がもっとも長く[3]、加えて隣の駅までの運賃が大人片道200円以上という事例も、小浜線内ではこの1駅間しか存在しない。

駅構造

敦賀方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を持つ地上駅停留所)。前述の通り敦賀地域鉄道部管理となる無人駅であり、自動券売機などは設置されていない。ホームは駅舎よりも数段高い位置にあるため、駅舎とホームを行き来するための階段が設置されている。

駅舎は、1922年大正11年)の開業当時から使用されており[4]、JRから舞鶴市に無償譲渡されたのち同市が約1,400万円をかけて改修した。駅舎は地元や舞鶴工業高等専門学校(舞鶴高専)の関係者でつくるNPO法人「駅舎と共にいつまでも」が指定管理者となり、2009年(平成21年)4月に「舞鶴市松尾寺駅前観光交流施設」として竣工した[5][6]

急行わかさ」が走っていた頃には上下列車の交換が行われていたが、1999年(平成11年)10月2日のダイヤ改正で駅での上下列車の交換が無くなり閉塞区間分割の機能のみになった。その後、小浜線電化工事のさいに信号機分岐器を撤去し棒線駅になった。同時にホームのかさ上げも行われた。

第二次世界大戦中には、第三海軍火薬廠鉄道側線(6.8 km)が火薬廠と松尾寺駅との間に敷設されていた[7]。この側線は戦後連合軍に接収され、接収解除後は舞鶴市に譲渡されたが、1959年昭和34年)4月以降は火薬廠跡の臨海部に誘致された日本板硝子舞鶴工場の専用線となり、同工場の製品はこの側線を利用して松尾寺駅から送り出されていた[8]。ピーク時の1968年(昭和43年)の松尾寺駅の貨物取扱量は板ガラスだけでも20万3,000トンに達し、福知山鉄道管理局管内で最大の貨物取扱駅であった[9]。しかし専用線はのちに廃止され、廃線跡は1994年(平成6年)に自転車歩行者専用道として整備されている[10]

利用状況

1日の平均乗車人員は以下の通りである[11]

西国三十三所第29番札所の松尾寺にちなんだ駅名である。寺は山の中腹にあって徒歩で約50分ほどかかる。テンプレート:要出典範囲

  • 1999年度 : 33人
  • 2000年度 : 27人
  • 2001年度 : 41人
  • 2002年度 : 47人
  • 2003年度 : 49人
  • 2004年度 : 38人
  • 2005年度 : 30人
  • 2006年度 : 33人
  • 2007年度 : 30人
  • 2008年度 : 41人
  • 2009年度 : 44人
  • 2010年度 : 41人
  • 2011年度 : 44人
  • 2012年度 : 47人

駅周辺

前述のとおり、駅舎は「舞鶴市松尾寺駅前観光交流施設」として利用されている。

歴史

ファイル:MatuSt.jpg
改修前の駅舎(2005年7月)
  • 1922年大正11年)12月20日 - 国鉄小浜線若狭高浜駅 - 東舞鶴駅間開通と同時に開業。一般駅。
  • 1943年昭和18年)12月21日 - 松尾寺 - 火薬廠間の朝来側線が竣工する[7]
  • 1986年(昭和61年)11月 - 無人駅となる。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本と日本貨物鉄道(JR貨物)が継承する。
  • 1991年平成3年)4月1日 - 小浜舞鶴[12] の両鉄道部発足により、当駅は福知山支社から金沢支社小浜鉄道部の管轄に変更[13] される。
  • 1997年(平成9年)3月22日 - 貨物列車の設定が廃止される。
  • 1999年(平成11年)4月1日 - JR貨物の駅が廃止され、貨物の取り扱いが終了する。
  • 2007年(平成19年)11月頃 - JR西日本は地元に対し、老朽化を理由とした駅舎取り壊しの意向を示すものの舞鶴市が難色を示す。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月31日 - JR西日本が、駅舎を舞鶴市に無償譲渡する。
    • 11月 - 舞鶴市が駅舎の改修に着工する[5]
    • 12月10日 - 松尾寺駅の旧駅舎を保存利用することを目的としたNPO法人「駅舎と共にいつまでも」が志楽ダイヤモンド会館で設立総会を行う[14]
    • 12月25日 - 舞鶴市松尾寺駅前観光交流施設条例が公布される[15]
  • 2009年(平成21年)
    • 4月12日 - 駅舎が観光交流施設として竣工する。NPO法人「駅舎と共にいつまでも」が指定管理者となる[5]
    • 7月18日 - NPO法人「駅舎と共にいつまでも」による初の[16] イベント「夕涼みコンサートin松尾寺駅」が駅前広場で開催される[17]
  • 2010年(平成22年)6月1日:小浜鉄道部が福井地域鉄道部と統合され、敦賀地域鉄道部が分割されたことにより、当駅は敦賀地域鉄道部管轄となる。[18]

隣の駅

西日本旅客鉄道(JR西日本)
テンプレート:Color小浜線
東舞鶴駅 - 松尾寺駅 - 青郷駅

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:小浜線
  1. 隣の東舞鶴駅は舞鶴線に属しており、福知山支社管内となる。なお、指令上の支社境界駅は東舞鶴駅である。
  2. 金沢支社が管理する駅で唯一、北陸おでかけパスによる乗降ができない。
  3. 逆に小浜線内で駅間距離がもっとも短い区間は藤井駅十村駅間で、距離は2.0kmである。
  4. 舞鶴市教育委員会社会教育課編 『舞鶴の近代化遺産 改訂版』 舞鶴市、舞鶴市教育委員会、2008年(平成20年)。
  5. 5.0 5.1 5.2 観光交流施設がオープン - 広報まいづる(舞鶴市、2009年5月1日号)テンプレート:リンク切れ
  6. 松尾寺駅前観光交流施設の竣工式に参加しました - 舞鶴工業高等専門学校
  7. 7.0 7.1 関本長三郎編 『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』 出版センターまひつる、2005年平成17年)。
  8. 舞鶴市史編纂委員会編 『舞鶴市史』各説編、舞鶴市役所、1975年(昭和50年)、207頁。
  9. 福知山鉄道管理局 『福知山鉄道管理局史』 福知山鉄道管理局、1973年(昭和48年)。
  10. 朝来・倉谷側線、軍用から平和産業へ - 舞鶴市
  11. 京都府統計書による。
  12. 2006年7月1日をもって廃止された。
  13. 前節の通り、東舞鶴駅を境に管轄が変わる。
  14. 松尾寺駅の保存利用活動に舞鶴高専が参画しました。 - 舞鶴工業高等専門学校
  15. 舞鶴市松尾寺駅前観光交流施設条例 - 舞鶴市
  16. 夕涼みコンサートin松尾寺駅の開催について - 志楽ダイヤモンド協議会
  17. 夕涼みコンサート in 松尾寺駅 - 志楽ダイヤモンド協議会
  18. 福知山支社管内の鉄道部全廃 小浜鉄道部も廃止 JR西日本 - 京都北部経済新聞、2010年6月6日付