東武1800系電車

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東武1800系電車(とうぶ1800けいでんしゃ)は、東武鉄道急行形車両急行りょうもう」用の車両として、1969年昭和44年)から1987年(昭和62年)にかけて54両が製造された。

概要

かつての特急形車両であったモハ5310形・クハ350形5700系を使用した伊勢崎線急行列車が運行されていたものの、前者には東武日光線の快速・準快速にも用いられており、同系列の陳腐化も進んでいたことから、その置き換えを目的に、伊勢崎線系統急行専用車両として1969年(昭和44年)9月20日に4両編成6本が登場した。車両番号は浅草方からクハ1810・モハ1820・モハ1830・クハ1840とされ、下一桁には編成番号を示す数字が使用された。例えば第1編成の浅草方先頭車両はクハ1811となる。この浅草方先頭車両番号を用いて編成全体を『1811編成』ないし『1811F』(「F」は「編成」を意味する英語Formationの頭文字)と表記することがあり、以下この項にて、編成を示す際には『1811F』のように表記することとする。

登場時の編成
 
←浅草
形式 クハ1810 モハ1820 モハ1830 クハ1840
副形式 Tc1 M2 M1 Tc2

1973年7月には増発用に同じ仕様で2本が製造された。また、乗客の増加に合わせて1979年(昭和54年)に中間車サハ1850(付随車)-モハ1860(電動車)の2両を増備して3M3Tの6両編成となった。

1987年(昭和62年)12月17日にはマイナーチェンジ車1編成 (1819F) が増備された。 この編成では形式名を浅草方から順番に1810 - 1860とした。前後して既存の編成も同様に改められた。

1819F新造時および1811F - 1818F改番後の編成
 
←浅草
太田・赤城→
形式 クハ1810 モハ1820 モハ1830 サハ1840 モハ1850 クハ1860
副形式 Tc1 M2 M1 T1 M3 Tc2

1991年平成3年)2月1日からは1720系の車体を更新した後継車両200系が登場し、伊勢崎線急行からは1998年(平成10年)3月31日までに順次運用を離脱した。なお、最後まで急行で運用されたのは1819Fだった。

車体・機器

車体塗装はローズレッドを基調に前面は腰部に白帯、側面は腰部と上部に白帯となっており日光線系統(1700系・1720系)が渋い落ち着いた配色なのに対して当時の東武車両としてはかなり派手である。なお登場時の白帯はオパールホワイトになっており、これは白というよりも黄色みの相当強い色であった。その後一般車がセイジクリーム1色から現行の白(ジャスミンホワイト)に青系2色の帯の車体に塗り替えられる時期と同じくして経費節減も兼ねジャスミンホワイトに変更された。

観光列車である1720系と異なりビジネス用途での仕様とされたため、1720系に比較すると特別な設備はないが、日本の鉄道車両として初めて車内に清涼飲料水自動販売機が設置された。先頭車には自動販売機のほかトイレが設置されている。なお、洗面所は設置されていない。客室の座席は回転式クロスシート(リクライニング機能なし)を採用した。「りょうもう」は日光線特急と比較して停車駅が多く、乗降を速やかにするため客用ドア幅は900 mmの広幅となった。ドアはモハ1830形のみ2箇所、他の車両には1箇所設置された。冷房装置は1720系と同じ「キノコ」型室外機カバーが特徴の分散式RPU11T2-33である。車体断面は裾絞りのない直線基調である。

走行機器は同時期に製造された8000系とほぼ共通しており、主電動機は同一、主制御器と台車は8000系を基本としながら、弱め界磁率などを急行用にチューンアップした仕様となっている[1]発電ブレーキは省略されている。集電装置は屋根上のスペースの都合上、下枠交差式パンタグラフを採用した。

1979年に製造された中間車2両は、同時期の8000系と同様に、従来のミンデンドイツ式からS形ミンデン式の台車に変更されているほか、モハはパンタグラフの数が2基から1機となり、サハにはトイレと簡易運転台が設置された。

最後に製造された1819Fでは前照灯6050系で採用された角形ライトユニットを装備し、運転台窓上の補助灯と尾灯LED化された。エア・コンディショナーは通勤車と共通の集約分散式3基搭載に変更し、各車の側面には行先表示器を、先頭車の正面には電動式の愛称表示器をそれぞれ設置した。また、運転台の機器配置はデスクタイプに変更された。

急行「りょうもう」運用離脱後

「りょうもう」運用から離脱した1800系各編成は、以下の通りに扱われた。

  • 1811F:通勤車格下げ改造、後に廃車
  • 1812F:通勤車格下げ改造、後に廃車
  • 1813F:登場時の4両は350系353Fへ、増備車の中間2両は350系352Fへ改造
  • 1814F:廃車
  • 1815F:通勤車格下げ改造され1813Fに改番、後に廃車
  • 1816F:登場時の4両は350系351Fへ、増備車の中間2両は350系352Fへ改造
  • 1817F:300系302Fへ改造
  • 1818F:300系301Fへ改造
  • 1819F:団体専用および臨時用に原型のまま存続

1814Fは1994年(平成6年)に休車となり、北館林荷扱所にカバーで覆われて留置されていたが、2000年(平成12年)8月廃車・解体された。なお、300系・350系への改造車の改造後の処遇は東武300系電車にて詳述し、本節ではその他の車両について詳述する。

また、当初は、200系の種車である1720系が不足しているため、1800系列の足回りを流用した200系列「250系」を製造することが考えられていたが、将来的なスピードアップを勘案した結果、250系は足回りを含めて新造されることになった。そのため、長い間優等列車用車両の配属がない東上線系統への転属や他社への譲渡など様々な噂が流れたが、いずれも諸般の事情により実現しなかった。

原型のまま存続する1819F

製造から比較的新しい1819Fのみが、大きな改造もなくオリジナルの塗装のままで運用されている。通常200系と250系で運転されている伊勢崎線特急「りょうもう」の予備車や団体用・臨時列車用として使用されており、団体専用列車を中心に汎用車的に用いられたかつての5700系に近いポジションにある車両となっている。また、「りょうもう」時代と違い、日光線鬼怒川線にも入線している。

2006年(平成18年)7月29日には特急・急行料金を徴収しない「隅田川花火号」として上り列車のみ東武動物公園 - 浅草間に運転された。

また、2007年(平成19年)4月19日にはそれまで入線しなかった日光線と鬼怒川線での試運転が行われ、東武日光鬼怒川公園まで入線した。ただし鬼怒川線は大谷向大桑小佐越ホーム有効長が4両対応のため、6両編成の1819Fのその後の入線は皆無に近く、営業運転での入線は2013年6月8日の東武健康ハイキング開催による臨時列車のみである。

2007年4月28日から4月30日までと同年5月3日から5月6日まで、臨時快速として下りは南栗橋 - 東武日光間、上りは東武日光 - 北千住間で運転され、南栗橋以北の日光線では初の営業運転となった。この臨時快速は同年10月6日から11月11日までの土曜・休日にも運転された。以降ゴールデンウイーク紅葉シーズンに運転されている。

行先幕に「北千住」・「東武日光」の設定がないため、2007年4月の運転では前面と側面表示は無表示であったが、2007年10月以降から「臨時」の表示を掲げるようになった。表示は前面、側面とも「白地」に「青文字」で『臨時』。ちなみに急行時代の「赤城」や「浅草」などの行先表示も同じだった。また「回送」は東武本線の車両が使用している「赤地」に「白文字」ではなく、反転させた「白地」に「赤文字」である。

東武ファンフェスタ」開催日には会場あるいは最寄駅の南栗橋着の臨時列車として運行されることがある。2005年は事前申し込みによる座席指定で館林からの、2006年は普通乗車券で乗車可能な列車として北千住からの運転が行われた。2008年は事前申し込みによる「ミステリートレイン」として、往路は北千住から伊勢崎線経由で伊勢崎まで運転。復路が伊勢崎から小泉線経由で運転された。ヘッドマークはかつて使用されていた「急行りょうもう」が掲出された。また、2011年の開催日(12月4日)には東武野田線野田市 - 間の開業100周年[2]のイベントの一環として、団体列車として野田線に初入線し、柏 → 大宮春日部 → 南栗橋経由で南栗橋車両管区の東武ファンフェスタ会場まで片道運行した。また、同イベントの撮影会用車両としても、2005年 - 2007年・2010年・2011年に使用されている。2012年以降は8000系8111Fにその役目を譲っている。

2012年にCIロゴが貼り付けられたが、赤車体に青だと目立ちにくいことから、当形式では白で貼り付けられた。

300系・350系への改造

1813F・1816F - 1818Fの4本は300系・350系に改造され、1819Fと同一の角形ライトユニットや電動式愛称表示器、発電ブレーキ、抑速ブレーキを装備し、塗装も白地にオレンジの帯に変更され、日光線・宇都宮線系統の特急(←急行)で使用されている。 テンプレート:Main

通勤車への格下げ

1990年代当時、館林地区のローカル区間には吊り掛け車の5000系列が使用されていた。これらの老朽化に伴う淘汰のため、本線系統30000系を投入し、8000系をローカル区間に割り当てる方策が採られていたが、2001年(平成13年)からは、長期に渡って館林駅構内に休車扱いで留置されていた1800系1811F・1812F・1815Fも活用することとなり、一般通勤車両へ格下げ改造が施された。

格下げ改造は、1979年製の中間車2両を廃車し、登場時の4両編成に戻した上でデッキの撤去・座席の固定・つり革の設置などを行うとともに、他の普通鋼製通勤形電車と同一の白地に青の濃淡の帯の塗装とした。また、愛称表示プレートを撤去してその跡にLED式の行先表示器を設置した。施工は杉戸工場で、アルナ工機(現・アルナ車両)の出張改造で行われた。この改造に際してロングシート化は行われず、妻板が一部残っているなど急行運用時代を伺わせる部分も多数残っていた。客用扉増設も行っていないため、通勤車両としては珍しく乗降口は1両につき片側1か所(一部車両は片側2か所)であった。この改造に伴い1815Fの組成各車の車両番号の末尾桁は「5」から「3」に改番されたため、編成表記は「1813F」となった。

格下げ改造車である1811F - 1813F(旧1815F)は2001年4月23日から営業運転を開始し、佐野線小泉線で運用されていたが、2006年3月18日ダイヤ改正から佐野線でワンマン運転を開始したため、小泉線の非ワンマン区間(館林 - 西小泉間)へ転用され、同区間で運用されていた5050系を淘汰している。その後、同区間のワンマン運転を同年9月28日から開始する関係で、同年7月4日に8000系2両編成3本により置き換えられたため、全車が運用から離脱した。同年7月1日に1812Fが、同年7月3日には1811Fと1813Fがそれぞれ運用を離脱し、館林駅構内に留置されていたが、2007年(平成19年)1月18日に1812Fが、同月19日には1811Fと1813Fがそれぞれ北館林荷扱所に廃車回送され、同年3月下旬 - 5月上旬にかけて解体された。

運用離脱前年に開催された2005年のファンフェスタでは200系・1819F・300系・350系と共に並べられ、「りょうもうの歴史」と題した車両撮影会が開催された。

脚注

  1. このため、1800系で唯一の現存となった1819Fであっても走行機器としては特異ではなく、整備上の問題は起こりにくい
  2. 千葉県営軽便鉄道が1911年に野田町(現・野田市) - 柏を開業

関連項目

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