東武1720系電車

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1720系電車(1720けいでんしゃ)は東武鉄道に在籍していた特急形車両

1960年昭和35年)から1991年平成3年)まで運用していた。通称はデラックスロマンスカー(Deluxe Romance Car 略称:DRC)。「デラ」の愛称で親しまれていた。

先行系列である1700系電車も後に同一の車体に更新された。そのため本稿ではこの系列についても記述する。

概要

約30余年間に亘り、東武鉄道を代表する列車として日光・鬼怒川方面への特急列車に用いられた。1960年に第1編成(1721編成)が製造され、同年10月9日から特急列車専用車両として営業運転が開始された。後に1973年にかけて、7編成42両がナニワ工機(のちアルナ工機)日本車輌製造で製造されている。また、後述する1700系の改造車と合わせ、9編成54両となった。

1990年6月1日に後継車である100系「スペーシア」が営業運転を開始し、1991年8月31日さよなら運転を行い定期営業列車での運行を終了したが、同年100系が鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞したことを記念して、同年9月8日に浅草-東武日光間で往路は100系、復路は1720系による臨時列車が運行され、これが最後の1720系の旅客輸送となった。なお座席の一部と台車モーター等の足回りは伊勢崎線特急「りょうもう」用の200系に流用され、書類上は廃車ではなく車体新製による更新扱いとなった。

新型車両の開発

東武鉄道は昭和31年に登場した1700系特急車によって東京・日光間の優位性を確保していたが、国鉄東北本線および日光線電化と、それに伴う新型列車の登場に危機感を抱き、次のようなコンセプトをもとにそれに対抗する新型特急車両の開発を進めた(当時のカタログより)[1]

  • 現在わが国で使用されている高性能車に比較して居住性が優れ、特に外人観光客に好まれるものであること。
  • 曲線・勾配における加、減速力、特に高速度における加、減速力を高くとり、均衡速度において他の追随を許さないものであること。
  • 車両編成全体の形状・構造において、優美・斬新であり、スピード感に溢れ、しかも格調高いものであること。
  • 電気装置・走り装置、その他諸装置は堅牢・高性能であること。
  • 軽量構造であること。

特色

テンプレート:Sound 設計時点で登場を想定していた日本国有鉄道151系電車[2]に対抗するため、速度面での優位性と、国際的な観光地である日光方面への外国人利用者にも対応した車内設備を備える。

性能的には1700系の電動機を改良し中速度〜高速域の性能向上を図り、平坦線釣合速度は165km/h(運転最高速度は110km/h)。起動加速度2.3km/h、減速度3.7km/h/s(常用)の高性能を得ている。

主回路機器は2000系・2080系と共通で、主電動機は東洋電機製造製TDK-824形補償巻線付自己通風形直巻電動機(端子電圧375V、電流225A、1時間定格出力75kW、定格回転数1,600rpm、最高回転数5,000rpm、最弱め界磁率20%、質量665kg)を搭載した。また、主制御器は多段式電動カム軸方式の日立製作所製MMC-HTB-10C(直列10段、並列8段、弱め界磁5段、発電制動17段)で、日光線の勾配区間用に抑速ブレーキを装備した。駆動方式は中空軸平行カルダン、歯車比は75:20(3.75)で当時カルダン駆動車としては国鉄151系電車(3.50)、小田急3000形電車「SE」車(3.71)に次ぐ高速運行用の仕様であった。全界磁定格速度が66km/hと高い上に、弱め界磁制御を20%まで行うことによって上記の高速性能を確保している。

ブレーキ装置発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(HSC-D)であり、常用・非常ブレーキ時ともに発電ブレーキを併用した。

台車は、当初アルストム式軸箱支持方式の空気ばね台車住友金属製FS334(東武形式TRS-60M、固定軸距2,100mm)を装着していたが、増備途中でS形ミンデン式軸箱支持方式の同FS370(TRS-67M、固定軸距2,300mm)に変更され、初期の編成についても全て後者へ換装された。

電動車方式の6両固定編成で、車両番号は第1編成は1721 - 1726・第2編成は1731 - 1736・・・と付番され、浅草方が17○1・東武日光方が17○6となっている。一方、旅客案内上の号車番号は逆に東武日光方が1号車で浅草方が6号車である。

前面形状はボンネットスタイルであり[3]国鉄151系電車より大型のヘッドマークを装備する。このヘッドマークは電動式ではなく、手で差し替える方式を採用している。

側面には当時の国鉄1等車と同様に座席毎の固定窓が並ぶ。塗色は伝統の渋いツートンだが、塗り分けは国鉄特急形に準じている。

冷房装置分散式で製造当初から搭載され、屋根にある室外機は個別のキノコ形カバーである。

車両長は優等車両としては初めて20m級となっている。

室内

車内電話の計画は登場時からあり、電話室がサロンルームに設置されていたが、車内電話用地上設備の設置が進まなかったことなどからサービス自体は見送られ、後年の増備車では電話室を設置しないで登場、電話室を設置していた車両も撤去されている。1987年(昭和62年)になってカード式公衆電話が設置される事となり、電話室の復活・新設が行なわれた。

改造

前項で触れたとおり、1967年から1969年にかけてアルストム式の台車をS形ミンデン式に交換し、捻出された台車を、2000系増備車の一部に流用した。1761編成以降は、落成時からS形ミンデン式台車を採用した。

また、30余年の長期に及ぶ就役期間中、保安基準等環境の変化により随時幾つかの改造が行われた。その主たるものは以下の通りである。ただし、一部編成は新製時より装備しているものもある。

  • TSP型ATS車上装置の搭載。
  • 便所への循環式汚物処理装置の取り付け。
  • 空間波列車無線装置の搭載と、乗務員室上部への無線アンテナの取り付け。
  • 乗務員室への専用冷房装置の設置。

後年、内装が陳腐化してきたためリフレッシュ工事を全車に行った。主な内容は、以下の通りとされている。

  • 客室椅子のクッションを交換。
  • 座席の背もたれにネット状の雑誌入れを取り付ける。
  • 座席のフットレストを新品に取替え。
  • トイレの便器をステンレス製に交換。
  • 洗面所のエアータオルを新品に取替え。
  • 床の傷ついた部分の補修。
  • サロンルームの撤去と一般席化。
  • その他、カーペットや壁紙、天井の取替え。
  • 貫通扉を透明アクリル一枚板から窓付きのものへと交換。

高速試験

就役間もない1960年11月12日には非公式ながら1720系および1700系による高速試験が行われている。最高速度を時速105kmから時速110kmに、目標としては115kmまで引き上げることを目的に行われた。この試験の結果、時速110kmへの引き上げが妥当だとして、当面時速110kmとして対応することになった。 さらに19日にも中間車2両を抜いた4両編成で試験が行われた。しかし、高速で走行していた状態から非常ブレーキをかけた際に滑走し、全車輪が大きく摩耗してしまった。そのため、この時の高速試験は中止されている[4]

事故と5700系代走

1984年12月15日18:15分頃、日光線家中駅付近の踏切で、浅草17:00発鬼怒川温泉行きの特急「きぬ」号が乗用車と衝突する事故が発生し、乗用車が炎上、これから類焼する形で先頭車1756号の前面部と車内、さらに2両目1755号の車内までもが焼損した。この後、事故編成撤去の際には1751号〜1754号+7800系2両という組成での回送も見られた。

この直後の年末年始の繁忙期には特急編成は予備編成なしのフル稼働となるが、この事故により車両が不足する事態となった。このため、その間、特急運用の一部について、かつての特急車である5700系6両による運転で代行した。性能面および旅客サービス面で1720系と差があり、特に1720系のダイヤでの運行は不可能なため、5700系の性能に合わせた臨時ダイヤで運行された。また、この5700系にはヘッドマーク方向板は取り付けられなかった。乗客には特急券の払い戻しや、了解をとって乗車してもらうなどの対応が取られた。

1756号+1755号は翌1985年1月12日に復旧が完了、運用に復帰した。

晩年

1980年代後半に入ると、鉄道趣味雑誌からは度々その古さが指摘されるようになった。その息の長さは、私鉄最大数を誇った8000系とともに、東武の保守的な姿勢の象徴とされた。

しかし、実際には小田急電鉄SE車は1720系より先の登場だが、定期列車の運行終了は同じく1991年である[5]。また、ほぼ同時期に登場した名古屋鉄道"パノラマカー"7000系1999年有料特急運用から外れた後、2008年12月26日の運行をもって定期運転を終了している。

車歴

車番 竣功年月 製造メーカー
モハ1721-1726 1960年9月 ナニワ工機(末尾1・2)
日本車輌東京(末尾3-6)
モハ1731-1736 1961年10月 ナニワ工機(末尾1・2・5・6)
日本車輌東京(末尾3・4)
モハ1741-1746 1963年9月 日本車輌東京
モハ1751-1756 1964年9月
モハ1761-1766 1968年11月
モハ1771-1776 1971年9月 アルナ工機
モハ1781-1786 1973年7月

保存状況

第1編成の1721Fは各地で静態保存されている。

先頭車

東京都墨田区にある東武博物館に1721号が、さいたま市岩槻区岩槻城址公園内に1726号が保存されている。なお、東武博物館のものは展示スペースの関係で車体の前半分のみである。どちらも台車はオリジナルのFS334台車に戻されている。

中間車

わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線神戸駅(ごうどえき)に1724号と1725号がレストランとして営業中。青一色に塗り替えられていたが、2011年1月にオリジナル塗装に復元された。パンタグラフも上がった状態で保存されている。また1723号も宮城県の工場に売却されたが、1998年に解体され現存しない。

いずれも保存されている車両は中に入ることができるが、公開時間が限られている。

1700系

1700系電車1956年(昭和31年)に日光線特急用の車両としてナニワ工機、日本車輌製造、汽車製造で製造され、同年4月1日にデビューした。最高許容速度145km/h(運転最高速度は105km/h)。75kWモーターを各車に4基搭載、カルダン駆動の全車電動車(MM'ユニット)編成とした、東武初の量産型高性能車である。当初のモーター(TDK-823)や歯車比(5.27)は1720系とは異なり、台車もアルストム式軸箱支持のコイルバネ台車であった。奇数車の妻面寄りにパンタグラフを装備した。

全金属車体で車体寸法や窓配置は5700系に準じ、5700系を近代化したような雰囲気の車体を有していた。1956年導入の1700形(8両)と、1957年導入の1710形(4両)に大別され、洋式便所の有無などの違いがある。導入当時は5700系に準じた2両固定編成で、日光・鬼怒川方面への分割併合運用を前提として前面に貫通扉を持ち、その上に前照灯1灯を設けた。前面窓の上部には向かって左に種別・右に行き先を表示する方向幕が装備された。また偶数車の妻側に売店を設置し、座席もリクライニングシートを採用した。

当時、東武日光線と競合する国鉄日光線に、当時としては強力な最新鋭気動車であったキハ44800形(後のキハ55系)気動車の投入が予想され(1956年運転開始)、従来の5700系では所要時間で劣勢となるため、速度と車内設備の向上を図って導入されたものである。

1700形登場時は、5700系のうちカルダン駆動車である5720形(この当時の5720形は「白帯車」であった)と共に特急運用についていたが、翌年1710形を増備し、特急を1700系電車に統一した。同時に浅草駅-東武日光駅間無停車の「けごん」を運行し、国鉄側と本数の上でも対抗する形をとった。

しかし、国鉄側も日光線の電化により、151系電車並みの性能及び内装を持った準急用車両の製造が想定(実際に1959年に157系電車として登場)されたことから、内装のさらなる向上及び速達化のために、早々に新形車である1720系電車が導入されることとなり、1700系は1720系の補完的な立場となった。引き続き1720系と併用して特急に使用されたが、速度・サービスに格差があるため、運用の固まった1969年からは1700系で運用される列車は「B特急」として料金上の区分がなされるようになった。

1720系登場と前後して、1959年から1960年にかけて冷房装置を搭載(1720系と異なり箱形カバーで1両当り5基)し、その後も側窓固定窓化、マジックドア設置、前照灯を窓下に2灯増設、等の改造が複数回に亘り行われたが、これに伴う車体の傷みや、経年劣化に伴う故障の頻発が目立ち、また特急の車種統一の観点から1971年12月12日にさよなら運転を行い、1720系と同等の車体へ更新が行われることとなった。更新はナニワ工機において1720系と同じ車体を新製し載せ替えて6両固定編成とし、台車やモーター、機器は旧品を流用している。後に台車(コイルバネ式)・モーターも1720系と同じものに交換したため外観・性能上もほとんど差はなくなった。

更新された1700系も、1991年までに全車運用を離脱した。台車・モーター等の一部の機器は200系に流用され、書類上は廃車ではなく車体新製による更新扱いとなったのは1720系と同様である。

車歴

車番 竣功年月 製造メーカー 更新 更新年月 備考
モハ1701-1702 1956年2月 ナニワ工機 モハ1701-1702 1971年11月
モハ1703-1704 モハ1703-1704
モハ1705-1706 日本車輌東京 モハ1711-1712 1972年3月
モハ1707-1708 汽車製造東京 モハ1705-1706 1971年11月
モハ1711-1712 1957年8月 ナニワ工機 モハ1713-1714 1972年3月 洋式便所装備
モハ1713-1714 モハ1715-1716

200系への機器流用

ファイル:Tobu 200 series EMU 005.JPG
200系へ流用されたFS-370A台車
ファイル:Tobu-200-206F-seat.jpg
200系へ流用された座席

営業運転を離脱した1720系列は以下の通りに200系へ一部の機器が流用された。

1720系

  • 1721F→208F
  • 1731F→202F
  • 1741F→201F
  • 1751F→203F
  • 1761F→206F
  • 1771F→209F
  • 1781F→207F

1700系

  • 1701F→205F
  • 1711F→204F

性能・諸元

登場時のカタログより[6]

  • 車種       全金属二軸ボギー電動客車
  • 軌間       1067mm
  • 電気方式    DC1500V
  • 定員       316名/編成
  • 自重       約217トン/編成
  • 総車長・幅   123.3M×2.85M
  • 最高許容速度 時速165km
  • 主電動機    T.D.K.824-A
  • 駆動方式    中空軸平行カルダン式
  • 制御装置    発電ブレーキ付直並列総括制御方式
  • 制動方式    電気制動併用 HSC-D(A-1非常弁付)
  • 冷房装置    2.5KWユニットクーラー 34個/編成
  • 台車       一体圧延車輪空気バネ付 FS-334型

脚注

  1. 花上嘉成 『東武デラックスロマンスカー 1720系と東武特急の歩み』 JTBキャンブックス
  2. 1959年に東武鉄道内の「国鉄日光線電化対抗委員会」で検討した時点での想定車種は「こだま級」としていた。
  3. デザインの類似性から日産・セドリック(初代30型系・前期車)をモデルにしたとされるが、セドリックの発売が1960年4月に対し、東武が1720系をメーカーに発注したのが1960年1月(同年9月落成)である事から、偶然の結果であろうと思われる。
  4. 花上嘉成 『東武デラックスロマンスカー 1720系と東武特急の歩み』 JTBキャンブックス
  5. ただし、小田急ロマンスカーには1987年までに、3100形 (NSE)7000形 (LSE)10000形 (HiSE)といった後継車両も投入されている。
  6. 花上嘉成 『東武デラックスロマンスカー 1720系と東武特急の歩み』 JTBキャンブックス

関連項目

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参考文献

  • 『電気学会大学講座 電気鉄道ハンドブック』 1962年 電気学会
  • 『私鉄の車両24 東武鉄道』、保育社、172頁、ISBN 4586532246
  • 花上嘉成 『東武デラックスロマンスカー 1720系と東武特急の歩み』、JTB(JTBキャンブックス)、2004年、176頁、ISBN 4533051707

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