杉山直樹 (野球)

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テンプレート:Infobox baseball player 杉山 直樹(すぎやま なおき、 1969年9月3日 - )は、静岡県沼津市出身の元プロ野球選手捕手)。

1992年から2000年までの登録名は「杉山 直輝」。

来歴・人物

巨人時代

沼津学園高校から、1987年ドラフト会議読売ジャイアンツから6位で指名され、1988年に入団。3年目の1990年終盤に初めて一軍に昇格したものの、二軍生活が長く続いた。

1995年には大久保博元吉原孝介の不調もあり、村田真一に次ぐ2番手の捕手として一軍に定着。この頃、13歳年上の女性と結婚して話題となった。1996年には最多の66試合に出場した(特に95年はルーキー河原純一。96年は新外国人バルビーノ・ガルベスの専属捕手として勝利に貢献した。)。1998年以降は柳沢裕一村田善則小田幸平といった若手の捕手が台頭し、徐々に出場機会が減少していったが、出場した試合には必ず結果を残し、2000年には読売ジャイアンツがリーグ優勝を決めた試合で先発マスクを被るなど、長嶋茂雄監督など首脳陣からの評価も高かった。

当時スワローズ監督の野村克也は「ブロックの上手さなら球界でもトップクラス」と評していた。タッチしたふりをして走者をアウトにしたシーンが何度かプロ野球珍プレーに取り上げられた事がある。

しかし、2000年の日本シリーズに備えて宮崎で行ったミニキャンプ中に、宮崎市内のスナックを訪れ、居合わせた女性と一緒に酒を飲んだ際に体を触り、靴で頭を殴ったとして、強制わいせつ・強制わいせつ致傷の疑いで逮捕された。それに関して、逮捕当日の午前中、「プロ野球選手のまま逮捕されるのは嫌だ」[1]という杉山の意向もあって、事情聴取される直前に球団に退団願が提出され、それを受けて球団が解雇したという経緯があった。そのため、逮捕当日の日本テレビNNNきょうの出来事、翌日の読売新聞や朝日新聞では、元プロ野球選手として紹介された(もっとも、逮捕の時点で任意引退公示も自由契約公示もされていなかったため、野球協約上現役であり、毎日新聞や日本経済新聞は「元」をつけなかった)。これに対して本人は後日『自分が本当にそのような事をしたのならその女性に直接会って謝罪したい』と供述していた。その後示談が成立し、同年の11月8日に起訴猶予処分となった。[2]

現役時代、盗塁を試みたことは1度もなく、1996年8月7日の試合ではサヨナラのチャンスで3塁走者であったが、代走として投手の岡田展和を送られた。

台湾時代

巨人退団後は、プロ野球チームへの現役復帰を目標に2001年の11月に合同トライアウトに積極的に参加していたが、日本球界復帰を断念し、2002年台湾プロ野球の強豪チームである中信ホエールズに入団するも、同年限りで退団し、その後引退した。

引退後

現在は、東京都内で野球塾を経営。また、プロ野球マスターズリーグの「名古屋80D'sers」に在籍した。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 巨人 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 12 13 13 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .077 .077 .077 .154
テンプレート:By2 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 30 74 64 3 19 0 0 0 19 1 0 0 3 0 6 3 1 15 1 .297 .366 .297 .663
テンプレート:By2 66 157 147 15 37 5 0 3 51 12 0 0 1 1 4 0 4 41 3 .252 .288 .347 .635
テンプレート:By2 54 101 84 7 20 5 0 4 37 11 0 0 3 1 11 1 2 23 4 .238 .337 .440 .777
テンプレート:By2 37 93 84 4 12 0 0 2 18 8 0 0 1 1 7 2 0 26 3 .143 .207 .214 .421
テンプレート:By2 29 85 76 4 14 0 0 2 20 9 0 0 1 0 7 1 1 18 1 .184 .262 .263 .525
テンプレート:By2 38 60 52 2 7 0 0 1 10 7 0 0 1 2 5 1 0 12 1 .135 .203 .192 .395
テンプレート:By2 中信 14 49 42 6 13 2 0 1 18 6 0 0 1 1 3 1 1 4 2 .310 .375 .429 .804
NPB:10年 272 586 523 35 110 10 0 12 156 48 0 0 10 5 40 8 8 141 13 .210 .274 .298 .572
CPBL:1年 14 49 42 6 13 2 0 1 18 6 0 0 1 1 3 1 1 4 2 .310 .375 .429 .804

年度別守備成績

年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1990 2 0 0 0 -
1991 1 0 0 0 -
1993 12 6 3 3 .500
1994 3 1 1 0 .000
1995 30 17 14 3 .176
1996 64 29 18 11 .379
1997 50 22 18 4 .222
1998 36 20 15 5 .250
1999 28 23 20 3 .130
2000 37 15 10 5 .333
通算 263 133 99 34 .256

表彰

記録

  • 初出場:1990年9月22日、対広島東洋カープ24回戦(東京ドーム)、8回表に村田真一に代わり捕手として出場
  • 初安打:1993年8月28日、対広島東洋カープ17回戦(東京ドーム)、8回裏に望月秀通から
  • 初先発出場:1993年10月3日、対広島東洋カープ24回戦(東京ドーム)、8番・捕手として先発出場
  • 初打点:1995年8月4日、対横浜ベイスターズ18回戦(横浜スタジアム)、4回表に斎藤隆から
  • 初本塁打:1996年4月13日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、5回表に斎藤隆から2ラン

背番号

  • 71 (1988年)
  • 89 (1989年 - 1990年)
  • 56 (1991年 - 1995年)
  • 22 (1996年 - 2000年)

登録名

  • 杉山 直樹 (すぎやま なおき、1988年 - 1991年、2002年)
  • 杉山 直輝 (すぎやま なおき、1992年 - 2000年)

脚注

  1. 日本経済新聞2000年10月26日39面
  2. 講談社出版の「おうワイや!清原和博番長日記―1997|05→2003|05」より

関連項目

外部リンク

テンプレート:読売ジャイアンツ1987年ドラフト指名選手