札幌市月寒体育館・屋外競技場

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テンプレート:体育館

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月寒体育館ランニングコース(2009年3月)
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月寒屋外競技場正面(2011年9月)
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月寒体育館側から見た月寒屋外競技場(2011年9月)
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どうぎんカーリングスタジアム

札幌市月寒体育館(さっぽろしつきさむたいいくかん)および札幌市月寒屋外競技場(さっぽろしつきさむおくがいきょうぎじょう)は、北海道札幌市豊平区にある市立体育館および多目的競技場である。

施設は札幌市が所有し、さっぽろ健康スポーツ財団が指定管理者として運営管理を行っている。

概要

かつての旧陸軍第7師団歩兵第25連隊の練兵場から札幌競輪場となっていた場所の跡地に開設された施設で、1962年より「月寒運動広場」として整備され、2013年現在は体育館・屋外競技場・カーリング場が設置されている[1]

月寒体育館

施設

  • 1階は通年利用可能なスケートリンク(30メートル×60メートル)。アリーナ面積3,098平方メートル(70.4メートル × 44メートル)
  • 2階のロビーは卓球等に利用される。
  • 150台収容の駐車場がある。

備考

  • 1972年札幌オリンピックアイスホッケー会場として建設され、現在も体育館の外壁には五輪マークが付いている。
  • 「月寒屋内スケート競技場」としてオリンピック前年にオープンし、オリンピック後に「月寒体育館」に改め夏季はアリーナスポーツに使用されていた。1979年に通年型スケートリンクに変更された。
  • アジアリーグアイスホッケーでは毎年12月に「クリスマスゲームズ in Sapporo」と題して所属チームが当会場に集い試合を繰り広げる。
  • 札幌市は全10区に1館ずつ区体育館を整備しているが、ここ月寒体育館と、同じくオリンピック会場となった札幌市美香保体育館東区)はその数に含まれず、別格扱いとなっている。

月寒屋外競技場

施設

  • 全天候型テニスコート4面(ハードコート)。
  • ラグビー場は、フィールド面積約12,700平方メートル、最大4,715人の観客席がある。
  • 弓道場は、和式洋式併用で最長90メートルが10的ある。
  • 21台収容の駐車場がある。

備考

  • テニスコートは1979年、ラグビー場と弓道場は1987年にそれぞれ完成。
  • ラグビー場は第44回国民体育大会ラグビー競技の会場として建設された。現在も北海道におけるラグビー競技の中心であり、北海道地区大学ラグビーフットボール選手権大会などが開かれる他、ジャパンラグビートップリーグ公式戦も行われることがある。

札幌市カーリング場

札幌市カーリング場(さっぽろしカーリングじょう)は、月寒体育館及び月寒屋外競技場に隣接して2012年にオープンしたカーリング専用施設。

2010年、月寒体育館及び月寒屋外競技場に隣接する市有地に通年型カーリング場を建設する構想が明らかになった[2]

それまで札幌市内におけるカーリング競技施設としては札幌市美香保体育館があるが、専用施設ではないうえ、利用可能期間なども限定されている。

2006年トリノオリンピックがきっかけとなり、札幌を拠点とするカーリングチーム結成へ機運が高まったことを受け、通年型施設の建設へと動いた。

2011年10月着工[3]。2012年9月15日オープン[4][5]

施設名は「札幌市カーリング場」とするが、愛称の命名権北海道銀行に売却され、「どうぎんカーリングスタジアム」とする[4][5]。なお、前出のカーリングチームも道銀が支援し、北海道銀行フォルティウスとして活動している。

2015年世界女子カーリング選手権が体育館とカーリング場で開催されることが発表された[6]

施設

  • カーリングシート 5シート

備考

所在地

  • 北海道札幌市豊平区月寒東1条8丁目

交通手段

札幌競輪場

テンプレート:基礎情報 競輪場 札幌競輪場1949年から1961年まで当地に設置されていた競輪場である。施設所有および主催は北海道

施設は1949年10月に竣工[8]し、その後春を待って1950年5月に初開催が行なわれた。記念競輪として競輪場にある打鐘用の鐘を、北海道大学の施設内に設置されていた鐘の名称にかけた『エルムの鐘レース』が行われていた。また函館競輪場と共同ですすきの場外車券売場(現サテライト札幌)を開設しており、この場外は後に函館の単独管理となるが、これは札幌が本場のみの売り上げだけでも好調だったためである。

1954年には第9回国民体育大会自転車競技トラックレース会場にもなっている。

しかし1959年に公営ギャンブル否定派の町村金五が道知事となり、かねてから道営競輪開催廃止の意向を示していたことから、1960年に札幌競輪場の年内廃止を表明した。これに対し地元の豊平町では自ら主催することで競輪場の存続を図ったが、町民の理解を得られなかったことや、当時の豊平町は札幌市との合併を協議中だったことなどもあり、開催権を引き継ぐことができず断念せざるを得なかった。

こうして1960年11月5日の開催が札幌競輪場の最終日となってしまい、10年間開催された歴史に幕が閉じられることになる。なお1961年4月をもって正式に競輪場は廃止され、その敷地は豊平町に譲渡されたが、同年5月に豊平町は札幌市に合併されている[1]

脚注

  1. 1.0 1.1 テンプレート:PDFlink - 札幌市観光文化局
  2. テンプレート:Cite news
  3. テンプレート:Cite web
  4. 4.0 4.1 テンプレート:PDFlink
  5. 5.0 5.1 テンプレート:Cite news
  6. テンプレート:Cite news
  7. テンプレート:Cite news
  8. 自転車文化センター友の会だより - 自転車文化センター・2008年1月

参考資料

関連項目

外部リンク

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