早雲寺

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テンプレート:日本の寺院テンプレート:ウィキ座標2段度分秒 早雲寺(そううんじ)は神奈川県足柄下郡箱根町湯本にある臨済宗大徳寺派寺院山号金湯山。本尊は釈迦如来。寺内には後北条5代の墓[1]連歌師宗祇の碑がある。国の重要文化財の織物張文台及硯箱、北条早雲肖像画、県指定文化財の北条氏綱・氏康らの肖像画がある。

歴史

大永元年(1521年)、北条早雲(伊勢盛時)の遺言でその子北条氏綱が京都大徳寺第83世以天宗清を招き創建。

天正18年(1590年)、小田原征伐において一時的に豊臣秀吉軍の本営が置かれるが、石垣山城が完成すると当寺を含む一帯は焼き払われた。北条氏の庇護を失って荒廃したが、焼失後の寛永4年(1627年)、僧・菊径宗存により再建。慶安元年(1648年)、3代将軍徳川家光から朱印状を与えられ復興した。

境内

文化財

重要文化財

県指定文化財

  • 絹本著色北条氏康画像
室町期の肖像画。画面寸法は縦92.1センチメートル、横61.2センチメートル。中央には上畳に座した北条氏康の姿が描かれている。折烏帽子、白地に鶴亀模様の直垂姿で、腰には腰刀(こしがたな)、右手に金地に萩花の中啓を持った姿で描かれており、没後まもなく製作されたものと考えられている。
  • 紙本墨画羅漢図
  • 紙本墨画早雲寺本堂襖絵
  • 紙本著色枇杷小禽図
  • 紙本著色北條氏綱像
  • 紙本墨画淡彩機婦図
  • 梵鐘

脚注

  1. 早雲寺境内にある北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の墓所は、江戸時代の寛文12年(1672年)に、北条氏規の子孫で狭山藩北条家5代目当主の北条氏治が、北条早雲命日の8月15日に建立した供養塔。氏綱墓所は、かつての広大な旧早雲寺境内の春松院に、氏康墓所は大聖院に葬られたが、豊臣秀吉の軍勢に焼かれたため、その位置は不明となっている。

外部リンク