旧三工大

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旧三工大(きゅうさんこうだい)は、旅順工科大学東京工業大学大阪工業大学(後の大阪帝国大学工学部)の、3つの工業専門の旧制大学を指す言葉である。単に「三工大」と呼ぶこともある。なお、3大学とも官立大学であった。

概要

いずれの大学も創立当初は専門学校令に基づく高等工業学校であったが、最初に大学に昇格したのは旅順工科大学である(1922年、旅順工科学堂から昇格)。続いて1929年、東京高等工業学校と大阪高等工業学校がそれぞれ東京工業大学と大阪工業大学に昇格して、「三工大」が出揃った。このうち、外地の関東州にあるという特性上から、旅順工大にのみ大学予科が設けられており、他の2大学に入学するには旧制高等学校や高等工業学校を卒業する必要があった。

その後の教育政策により、大阪工大は1933年に大阪帝国大学1931年府立大阪医科大学から昇格)に統合されて同工学部に改組され、旅順工大は太平洋戦争最末期の1945年9月、ソ連対日参戦の際にソ連軍に接収され、廃校となった。

※現在、大阪工業大学という名称の私立大学が存在するが、旧制の大阪工大とは関係性はない。

旧制工業大学

以上のように、三工大の括りの中で、現在も工業大学の形を保ち続けているのは東京工大のみであるが、旧制の大学令によって設立された工科系大学は他に、藤原工業大学(現・慶應義塾大学)、興亜工業大学(現・千葉工業大学)、大阪理工科大学(現・近畿大学、いずれも私立)がある。このうち、現在も理工系大学の形を保ち続けているのは千葉工大のみである。

また、工学系の学部を設けて教育を行っていた戦前の総合大学は、旧帝国大学をはじめ、私立では早稲田大学理工学部日本大学工学部(現・理工学部)、前述の藤原工大を統合した慶應義塾大学工学部(現・理工学部)のみである。また、法制度上の関係から戦後に置かれた東海大学理工学部も旧制大学にカウントされる。

因みに、戦前までは日本政府が帝国大学以外に大学レベルの工学教育を認めなかったため、理工系学部を設置できた私立大学はごく僅かであり、しかも大学予科3年・本科3年の教育課程を認められたのは、早稲田大学理工学部、慶應義塾大学理工学部の前身である藤原工業大学、千葉工業大学の3校だけだった。

関連項目