散乱理論

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散乱理論(Theory of Scattering):粒子などの散乱を扱う理論のこと。

物質の微視的な構造を調べるときに最も一般的な方法は、その物体に粒子(または波動)を衝突させて、散乱された粒子の分布の様子を調べることである。現代物理学の実験的研究の結果の多くは量子力学における散乱理論に基づく計算の結果と比較されることになる。[1]

実験では電子、光子(電磁波)、中性子、陽子、イオンなどが、原子、分子、原子核、素粒子などによって散乱される。

通常、量子力学を用いてこれらの散乱を記述する理論のことを散乱理論と言う場合が多いが、古典力学によって扱われる散乱もある。以下は、量子力学の立場による記述である。

散乱現象を扱う2つの方法

散乱現象を理論的に扱う方法には2つの方法が考えられる。[1]

例として、ホースから出た水が散乱体にぶつかって四方八方に飛び散るような散乱現象を考える。

第一の方法では、水を出しっぱなしにして全体の状況が定常的になったとき、この散乱の様子を撮影した1枚の写真として全体像を考察する。この方法では、一体もしくは二体の弾性散乱(散乱前後でエネルギーが不変である散乱)のみ扱う事ができる。この方法では定常状態シュレディンガー方程式を、散乱を表す境界条件のもとで解くことで、散乱状態を求める。

これはハミルトニアン固有値固有ベクトルを求める問題とは異なることに注意しなければならない。入射粒子のエネルギーは実験者によって指定されるため、弾性散乱では散乱状態のエネルギー固有値Eはすでに指定されており、それに対応するエネルギー固有状態を求めるのである。つまり自由粒子(入射状態)の満たしているエネルギー固有関係を境界条件として微分方程式を解く。これにはグリーン関数を用いる方法が有用である。

シュレディンガー方程式の解である散乱状態は、入射平面波と外向き球面波の重ね合わせで記述されると考えて、その球面波の振幅(散乱振幅)を決定することで散乱断面積を求める。この考え方は古典的な波動の散乱の問題の扱い方と本質的に同等であり、その波動が量子的な確率振幅であると解釈する点だけが異なる。以下ではこちらの方法での散乱理論を記す。

第二の方法では、ホースから出た1つの水滴がどのように散乱されていくかを時間的に追跡していく。この方法では、散乱過程を始状態から終状態への転移としてとらえ、その転移確率を時間依存シュレディンガー方程式を用いて求める(時間発展についてはシュレディンガー描像から相互作用描像に書き換えてから計算することもある)。この方法は、より量子力学の考え方に沿った方法であり、非弾性散乱なども扱えるため、第一の方法より一般性がある。この方法はS行列の理論とも呼ばれる。

ポテンシャルによる散乱

定常状態のシュレディンガー方程式の解

散乱体が、単独に存在する(孤立した)マフィンティンポテンシャル<math>V_{MT}(r)</math>である場合を考える。

<math>

V_{MT}(r) = \begin{cases}

 V(r)  & (r < r_{MT}) \\
 0 & (r > r_{MT}) \\

\end{cases} </math>

ここで<math>r_{MT}</math>は球対称ポテンシャル<math>V(r)</math>のおよぶ領域の半径で、マフィンティン半径と呼ばれる。

マフィンティンポテンシャル下での電子についての定常状態のシュレーディンガー方程式は、

<math> \big[ - \nabla^2 + V(r) \big] \Psi(\mathbf{r}) = \, {k_0}^2 \Psi(\mathbf{r}) \quad \quad (r < r_{MT})</math>
<math>- \nabla^2 \Psi(\mathbf{r}) = \, {k_0}^2 \Psi(\mathbf{r}) \quad \quad \quad \quad (r > r_{MT})</math>

となる。ここで<math>m</math>は電子の質量、<math>{k_0}^2 = E</math>、<math>E</math>は入射状態のエネルギー固有値ですでに指定されている。また簡単のため<math>{\hbar \over {2m}} = 1</math>とした。この微分方程式を解くことができれば、散乱問題は解けたことになる。

波動関数<math>\Psi(\mathbf{r})</math>を極座標表示で展開すると、

<math>\Psi(\mathbf{r}) = \, \sum_l C_l \Phi_l (r) P_l (\cos \theta)</math>

とする。<math>\Phi_l (r)</math>は動径波動関数(rは動径座標、lは軌道角運動量)、<math>C_l</math>は未定係数、<math>P_l (\cos \theta)</math>はl次のルジャンドル多項式である。

r > rMTの場合、動径波動関数は、

<math>{1 \over {r^2} } {d \over {dr} } (r^2 { d \Phi_l \over {dr} }) + ({k_0}^2 - {l(l+1) \over {r^2} }) \Phi_l = 0</math>

を解くことによって次の解が得られる。

<math>\phi_l (r) = \, A j_l (k_0 r) + B n_l (k_0 r)</math>

ここで、A、Bは任意の係数。jl(x)は球ベッセル関数、nl(x)は球ノイマン関数である。

r < rMTの場合は省略。

位相差

この解を、

<math>\phi_l (r) = A \{ j_l (k_0 r) - \tan \delta_l \cdot n_l (k_0 r) \}</math>
<math>\tan \delta_l =\, -B/A</math>

と変形し、ここで出てくる<math>\delta_l</math>を位相差(位相シフト、位相のずれ、フェーズシフト)と言う。これはポテンシャル(マフィンティン型である必要はない)が存在することによる波動関数の位相のずれの効果を表している。

散乱振幅・散乱断面積

ここで、z軸上の無限遠(-∞)から平面波が入射して、これがポテンシャルV(r)によって散乱され、球面波となって出て行く場合、全体の散乱状態の波動関数は次のように漸近すると考える。

<math>\Psi \sim e^{ik\mathbf{z} \cdot \mathbf{z}} + f(\theta) {e^{i\mathbf{k} \cdot \mathbf{r}} \over {r}}</math>

ここで、f(θ)は散乱の確率振幅(散乱振幅、θは極座標の角度成分)であり、これはシュレディンガー方程式の解と比較することで、次のように表される。

<math>f(\theta) = {1 \over {k}} \sum_{l=0}^{\infty} (2l + 1) e^{i \delta_l} \sin \delta_l \cdot P_l (\cos \theta)</math>

散乱振幅は本来、f(θ,φ)と表されるが(φは極座標におけるもう1つの角度成分)、マフィンティンポテンシャルは球対称なのでθのみに依存し、φに依らない。ここで散乱振幅の二乗が微分散乱断面積(dσ/dΩ、σ:全断面積、dΩ:微小立体角)となる。

<math>{d \sigma \over {d \Omega}} = \, |f(\theta,\phi)|^2</math>

T行列

多重散乱理論などを考える場合に便利であるため、以下で示される遷移演算子(T演算子)を導入する。

<math>T = V + V G_0 V + V G_0 V G_0 V + \cdot \cdot \cdot</math>
<math>G_0 =\, {1 \over {E - H_0 + i\epsilon}}</math>

ここで、G0自由電子グリーン関数、H0は自由電子のハミルトニアンである。εは無限小の数である。

<math>f(\theta) \ </math>は、遷移演算子を入射状態<math>\{|\mathbf{k}\rangle \} </math>と散乱状態<math>\{|\mathbf{k}+ \mathbf{q}\rangle \} </math>で行列表示したT行列(T行列、遷移行列)によって、以下のように表せる。

<math>f(\theta) = - {1 \over {4 \pi}} \langle\mathbf{k} + \mathbf{q}|T|\mathbf{k} \rangle</math>
<math>\langle\mathbf{k} + \mathbf{q}|T|\mathbf{k} \rangle = \langle\mathbf{k} + \mathbf{q}|V|\mathbf{k}\rangle + \int { \langle\mathbf{k} + \mathbf{q}|V|\mathbf{k} + \mathbf{q}' \rangle \langle\mathbf{k} + \mathbf{q}'|V|\mathbf{k} \rangle \over { (k^2 - |\mathbf{k} + \mathbf{q}'|^2 ) } }d^3 q' + \cdot \cdot \cdot</math>

T演算子は、

<math>T = V + V G_0 \{ V + V G_0 V + \cdot \cdot \cdot \} = V + V G_0 T</math>

とも表せる。よってT行列の行列要素は、

<math>\langle \mathbf{k} + \mathbf{q}|T|\mathbf{k}\rangle = \,- {1 \over {k_0}} \sum_{l} e^{i\delta_l} \sin \delta_l \cdot 4 \pi (2l + 1) P_l(\cos \theta) = - {1 \over {k_0}} \sum_{l,m} e^{i\delta_l} \sin \delta_l \cdot Y_{lm} (\mathbf{k} + \mathbf{q})Y_{lm}(\mathbf{k})</math>

となる。ここで<math>Y_{lm}</math>は球面調和関数で、<math>m</math>は軌道磁気量子数である。更に、

<math>\langle \mathbf{k} + \mathbf{q}|T|\mathbf{k}\rangle = \sum_{l,m} T_l Y_{lm} (\mathbf{k} + \mathbf{q})Y_{lm}(\mathbf{k})</math>

より、これから、

<math>T_l = - {1 \over {k_0} } e^{i\delta_l} \sin \delta_l = - {1 \over {\kappa} } e^{i\delta_l} \sin \delta_l</math>

を得る。これが角運動量表示でのT行列と位相差(フェーズシフト)との関係。k0はκの記号で表されることが多い。
以上は、孤立したポテンシャル下での散乱であるが、実際は多数存在するポテンシャルの存在下で、多数の粒子(電子など)が何度も散乱される(多重散乱)。これを理論的に取り扱うのが多重散乱理論である。

参考文献

  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite book

関連項目