戸田奈津子

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テンプレート:存命人物の出典明記 戸田 奈津子(とだ なつこ、1936年7月3日 - )は、映画字幕翻訳家通訳である。東京都出身。お茶の水女子大学附属高等学校を経て津田塾大学英文科卒業。映画翻訳家協会元会長。第1回淀川長治賞受賞。神田外語大学客員教授・神田外語学院アカデミックアドバイザー。「字幕の女王」とも呼ばれる[1]

経歴

津田塾大学学芸学部英文学科を卒業し、生命保険会社の秘書の仕事につくが、約1年半で退社。

映画字幕については字幕翻訳家清水俊二に師事した。清水の紹介で日本ユナイト映画のアルバイトとして採用され、翻訳などの雑用をしていたところ、同社の宣伝部長をしていた水野晴郎から海外映画人の通訳を要請され、現在でも数々の俳優、監督の通訳を担当している。

1970年(昭和45年)、清水のアドバイスのもと『野性の少年』で初めて字幕翻訳を任される。ほぼ同時期に字幕翻訳した『小さな約束』は1973年(昭和48年)に公開された。それ以降の数年間、年に2,3本のペースで字幕翻訳の仕事をするほかは、翻訳や通訳のアルバイトを続ける。その中で、フランシス・フォード・コッポラの来日時の通訳を務め、『地獄の黙示録』で音楽を担当する予定だった冨田勲の通訳として現地ロケにも同行する。

1979年(昭和54年)に『地獄の黙示録』本編が完成した際に、彼女に字幕をやらせてはどうかとの監督の推薦で字幕を担当。この仕事で字幕翻訳家と広く認められ、年間50本、1週間に1本のペースで字幕翻訳を手がけるようになる。以降、『タイタニック』、『スター・ウォーズ(新3部作)』などの映画字幕を担当。著名な字幕翻訳者のひとりとなる。吹き替え翻訳を担当している作品もある。

1987年にはスタンリー・キューブリック監督作「フルメタル・ジャケット」を担当するが、監督が戸田の日本語字幕を気に入らず、ワーナー日本支社は映画監督の原田眞人に字幕を要請する。

「~を?」「~かもだ」「ファック野郎」「プッシー知らず」などの独特な言い回しは一部から「なっち語」として揶揄されている。また、非常に誤訳が多いことで知られており、戸田が訳した文を再翻訳したものを監督がチェックし、降板させる事態にも発展している。さらに、意訳を多用しすぎて作品世界に忠実でないという意見が多い。特に作品が日常とかけ離れているSF物などでは戸田の字幕に対して抵抗を持つ人もいる。[2][3][4][5][6][1]

1992年(平成4年)、第一回淀川長治賞受賞。1995年(平成7年)、ゴールデングローリー賞受賞。

字幕作品例

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著書

  • 『男と女のスリリング - 字幕スーパーで英会話レッスン』集英社 ISBN 4087801292 1994年
  • 『字幕の中に人生』白水社 ISBN 4560073368 1997年
  • 『男と女のスリリング - 映画で覚える恋愛英会話』集英社 ISBN 4087470202 1999年
  • 『スターと私の映会話!』集英社 ISBN 4087476103 2003年
  • 『字幕の花園』集英社 2009年
  • 『映画字幕は翻訳ではない』清水 俊二(著)、戸田 奈津子・上野 たま子(編集) 早川書房 ISBN 4152035226 1992年

出演

脚注

  1. 1.0 1.1 『また「誤訳騒ぎ」だよ「字幕の女王」戸田奈津子』 週刊新潮(新潮社) 2496号(2005.5.5&12)
  2. 立花隆 『「地獄の黙示録」研究』 諸君!(文藝春秋)1980年5月号(1980.4.1)
  3. 衣谷裕 『「ロード・オブ・ザ・リング」の脚本が歪曲された!―字幕翻訳の巨匠・戸田奈津子氏が犯した過ちとは?』 サイゾー(インフォバーン)38号(2002.4.18)
  4. 『大ヒット「ロード・オブ・ザ・リング」の字幕に抗議殺到』 週刊文春(文藝春秋)2177号(2002.5.8)
  5. 野口悠紀雄 『「超」整理日記 176 ネット上の字幕改善運動』 週刊ダイヤモンド(ダイヤモンド社) 3936号(2002.6.3)
  6. 佐々木俊尚 『ハリウッドがあの戸田奈津子を解任!?―「ロード・オブ・ザ・リング」の字幕翻訳で大騒動』 サンデー毎日(毎日新聞社) 4540号(2002.12.24)

外部リンク

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