張碓駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:駅情報

ファイル:張碓駅名板.jpg
駅名標(2005年6月)
ファイル:義経隧道碑.jpg
ホームにある義経隧道碑と第一号機関車義経号の鈴(2005年6月)
ファイル:張碓駅俯瞰.jpg
張碓トンネルそばの海岸線にあった(2005年6月)
ファイル:張碓駅20060916.jpg
廃止後の駅。ホーム取り壊し中。(2006年9月)
ファイル:Hariusu eki.jpg
1976年の張碓駅、周囲約2km×3km範囲。左が小樽方面。上の別枠に当駅拡大。崖に貼りつくように、中線を間に挟んだ相対式ホームが設置されている。張碓市街が写真右下側に見える。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

張碓駅(はりうすえき)は北海道小樽市張碓町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線廃駅である。駅名の由来は、アイヌ語の「ハル・ウシ(食料の多い所)」から。

概要

臨時駅となっていたが1998年(平成10年)から通年休止となり、駅としては全く機能していなかった。撤去費用の問題等により停車する列車のないまま駅は残されていたが、「秘境駅」として話題となった同駅を訪問する者が無断で私有地に侵入したり、禁止されている線路侵入を引き起こしたりなど保安上の問題が生じたこともあり、2006年(平成18年)3月18日に正式に廃駅となった。

廃止時の駅構造

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅だった。跨線橋は設置されておらず、臨時駅となった当時には既に駅舎便所・油燈室小屋・物品庫は、閉鎖されていた。国鉄時代は中線があったが、国鉄末期の合理化で撤去された。ホームはかさ上げされておらず、幅が2メートルもないため通過列車に注意する必要があった。駅構内だった敷地には「義経隧道碑」と「第一号機関車義経号の鈴」が残されていた。

駅周辺

北北東方向に石狩湾を臨む位置にあった。

周辺の海岸は砂浜ではなく、石ころが転がるだけの浜だが、かつて張碓海水浴場となっていて、古くは札幌~張碓間を往復する海水浴客向けの臨時列車も運転されていた。しかし、海水浴客が列車にはねられる事故が多発し、経営者の都合で海の家も閉鎖されたため、海水浴場は廃止され、それと同時に張碓駅に停車する列車もなくなった。廃止時には利用できる施設は一切なくなっていた。

かつては崖上にある張碓集落へと通じる人道があった。元から獣道のようなものだったと言われているが、現在は自然に還り完全に分からなくなっている。臨時駅へと格下げされた頃には駅に通じる道は朝里方の私有地しかなく、夏季でもかろうじて乗用車1台が通行可の砂利道があるのみで、これも通常はゲート前で封鎖されていた。また冬季は完全に雪に埋もれてしまうことから、駅へ到達することは困難を極めた。

仮に駅までたどり着いたとしても、跨線橋がないため海岸側のホームに上るためには線路を横断しなければならなかった。駅がトンネルのすぐそばにあるため特に下り(小樽→札幌方面)列車からの見通しが悪いこと、また道内有数の幹線区間であり快速列車や普通列車が頻繁に運転されていること、これらの列車は全て高速で駅を通過していくことなどから極めて危険だった。過去には張碓地区の市街下の海岸にある恵比須岩前の線路を渡ろうとした人が、列車に轢かれて死亡するという事故が発生していた。

駅のあった場所から南200mの高台を国道5号が、さらに50m南を札樽自動車道が走っている。張碓の集落は銭函駅方向に2kmほど進んだ位置にある。市街から離れ、駅へ通じる道の無いこの位置に北海道炭礦鉄道が駅を設けた理由は定かではない。幌内鉄道が作られた当時は、この地は有数のニシン漁場で、その唯一の生活道路の上に軌道を敷設したため、漁師達は軌道上を歩いて通っていた。なお、その時期には、「ニシンが採れなくなったのは汽車のせいだ」という反対運動も起こっている。

歴史

現状

設備は全て撤去されている。今では細長い更地と海岸側ホーム跡の堤防にうっすら残る「はりうす」の文字だけが、かつてここに駅があったことを伝えている。

隣の駅

北海道旅客鉄道
函館本線
朝里駅 - 張碓駅 - 銭函駅

関連項目

外部リンク