平沙の北に

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平沙の北に (へいさのきたに) は旧制第一高等学校 (一高) の寮歌の一つ。正式名称は、第十五回紀念祭南寮寮歌。「平沙の北に」 とは 1番の歌い出しの文言である。

基本データ

著作権は存続しているが、JASRACの管理楽曲ではない。曲は元々長調だったが、多くの寮歌と同様、短調化して歌われた。

概要

平沙の北に』 が発表されたのは、1905年 (明治38年) 3月1日の第15回紀念祭であった。日露戦争の最中であり、歌詞にもその影響が見られる。

1番の歌詞は生徒を取り巻く情勢を歌っており、「沙河の陣」 (1904年秋の沙河会戦以降の膠着状態) やインド沖を行く軍艦 (バルチック艦隊を迎え撃つつもりか) が登場している。2番以降は、軟弱な世相を嘆き、「尚武」 (武を重視する) の理想を訴えるものとなっている。この作詞者の手になる寮歌は、全体として尚武の傾向が強いとされる。

影響

嗚呼玉杯に花うけて』 や 『アムール川の流血や』 ほどに流行した歌ではないため、影響を受けた歌は少ない。

『平沙の北に』 の原曲 (長調) に非常に近いメロディーである。弱起の曲である点のみ異なる。
1917年大正6年)、当初は提灯行列の行進曲として、唱歌・体操の教師 品田八三郎の発案で作歌された。後に、同校 (当時は群馬県立藤岡中学校) の校歌となった。品田は旧制東京高等師範学校 (東京高師) の出身で、同校の応援歌のメロディーに似ていることは知られていた。
藤岡高校は2005年4月に群馬県立藤岡中央高等学校に統合され、2007年3月に閉校となった。校歌は後身校に継承されず、役目を終えた。
詳細は同項記事を参照。『平沙の北に』 の短調化したメロディー (現行) との類似が指摘されている。『桜花爛漫』 の原歌は1916年 (大正5年) の作とされている。

藤岡・大阪の 2校とも、公式にはオリジナル曲としており、『平沙の北に』 との関係を認めていない。このほか、旧制第一高等学校の 『柔道部凱歌』 (1915年、久能木慎治 作詞) や旧制第二高等学校の 『第三部行軍の歌』 (1914年) などが、『平沙の北』 のメロディーを利用している。

さらに、一高 『柔道部凱歌』 経由で影響を受けた歌として、逗子開成中学校・高等学校の応援歌 『春鎌倉』 (1920年代、井上司朗 作詞) が挙げられる。『春鎌倉』 は長調の曲である。

関連項目

参考書籍

  • 藤岡高校八十年史編集委員会(編) 『藤岡高校八十年史』 1975年
  • 百年誌編纂委員会(編) 『逗子開成百年史』 逗子開成学園、2003年4月。204頁-206頁、834頁-835頁。

外部リンク

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