逗子開成中学校・高等学校

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テンプレート:日本の高等学校 逗子開成中学校・高等学校(ずしかいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は神奈川県逗子市に所在する私立中学校高等学校。運営母体は学校法人逗子開成学園。

神奈川県下では最も歴史の古い私立男子校で、現在は高等学校からの生徒募集を行わない完全中高一貫校[1]である。 2012年8月現在、理事長は立川丈夫(2009年12月就任)、校長は高橋純(2012年4月就任)。

歴史

創設

1903年東京府北豊島郡日暮里町(現・東京都荒川区西日暮里)にある開成中学校分校第二開成中学校として設立された。創設者の田邊新之助は開成中学校の元校長で、文化勲章を受賞した哲学者田邊元の実父。大日本帝国海軍による横須賀海軍鎮守府の軍人の子弟教育の要請を受けてのことであった[2]。本校の生徒のうち、学業についていけない者や、体が弱く大自然の中での療養が必要だとされた者は、第二開成中学校に一時的に転校させられたこと[3]も多かった。1909年、独立組織となり逗子開成中学校に改名する。

ボート遭難事故

改名翌年の1910年1月23日、休日に無断で学校所有のボート[4]を海に出した生徒ら12人が七里ヶ浜沖で遭難し、全員死亡する事故が発生した[5]。この事故の補償のため、当時経営母体が同一であった鎌倉女学院が所有地の売却などをした。のちに同校教諭の三角錫子の作詞で鎮魂歌として「真白き富士の根」が作られ、遭難地点に近い稲村ヶ崎に慰霊碑を建立した。事故により引責辞任させられたボート部部長の息子である宮内寒弥は、事件をもとにした小説『七里ヶ浜』を1978年に発表し、平林たい子文学賞を受賞。遭難生徒たちは不良で鳥撃ちのためにボートを出しており、その中には三角教諭の愛人生徒もいたと書いたため、再び同事故に衆目が集まった。

戦前・戦中期

太平洋戦争前は帝国海軍の退役将官が校長を歴任し、学年を「中隊」・学級を「小隊」と改称したり、「振武隊」と称する楽隊(現在の吹奏楽部)を作って軍艦行進曲を演奏させるなど、校風はきわめて軍隊調となっていった。これらの海軍寄りの校風から卒業後の進路として海軍兵学校を志す者も多く、終戦を迎えるまで逗子開成は半ば海軍兵学校の予備校のようになっていた。

戦後

戦後は帝国海軍の消滅に伴ってエリート校としての地位を失う。経営側と教職員組合との間で労働争議が勃発したり、学校の経営方針に不満を抱く生徒会が同盟休校を敢行したり、校内の風紀は次第に荒廃してゆく。1973年には志願者減少のため中等部の募集を停止した。

八方尾根遭難事故

1980年の12月、冬休みを利用して長野県白馬村の八方尾根に登山に向かった山岳部の生徒5名と引率の顧問教師が豪雪の中で消息を絶ち、翌年5月に全員が遺体で発見されるという遭難事故が発生した。メンバーこそ学校の山岳部員と顧問教師であったものの、顧問教師はこの登山旅行の許可を学校側から得ていなかったため、学校側はこれを「私的な旅行」と主張として管理責任を否認し、生徒遺族の賠償要求を拒絶した。これに憤慨した遺族側は学校を相手取って民事訴訟を起こし、学校との間で法廷闘争に発展した。

裁判を巡って経営陣や教職員も含め校内の意見は二分し、1980年代初頭には学校運営が大きく傾きかけた。しかし、卒業生でもある徳間書店社長・徳間康快が、事態収拾と母校再建のため経営に参入。徳間書店の財力を背景に理事会での主導権を握ると、八方尾根問題の早期解決を主張して積極的行動をとった。これにより理事会は裁判所からの和解勧告の受け入れを決定し、学校側の管理責任を認め遺族と和解した。

近年

その後、旧経営陣を一掃し自ら理事長兼校長となった徳間の下で種々の改革が行われた。その中軸となったのが中等部再設置である。1985年の募集再開から、徐々に中高6か年コース生徒の割合を増やして一貫教育によるエリート化が図られ、2003年からは高校3か年コースの募集が廃止された。これにより、横浜南部から湘南三浦半島にかけた地区において有数の進学校へ成長を遂げた。徳間はこの他にも、後述のような立地を活かした「海洋教育」や、名作映画による情操育成を目的とする「映像教育」[6]などを推進した。

2003年に創立百周年を迎えるのに際して、1990年代末から大規模な校内の改装工事が行われ、校舎リニューアル・新プール建設・全館冷暖房設置・敷地周囲の塀撤去など、施設の充実が図られた。

年表

  • 1903年(明治36) - 私立東京開成中学校の分校として、第二開成学校を開校(4月)。現在地に移転(9月)。 
  • 1904年(明治37) - 中学校として正式認可を受ける(5月)。
  • 1907年(明治40) - 東京開成中学校から独立、私立逗子開成中学校と改称(7月)。
  • 1910年(明治43) - 七里ヶ浜沖ボート遭難事故(1月)。追悼法会で鎌倉女学校生徒により「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の嶺)」が歌われる(2月)。
  • 1916年(大正5) - 校歌(作詞:井上司朗、作曲:弘田龍太郎)制定(10月)[7]
  • 1928年(昭和3) - 校章のペン・剣の交叉の上の「二」を「桜花」に改める(4月)。
  • 1931年(昭和6) - 学校を財団法人化(12月)。
  • 1932年(昭和7) - 創立30周年記念式典(5月)
  • 1947年(昭和22) - 財団法人逗子開成学園と改称し、新制逗子開成中学校設置(4月)。校舎連続放火事件発生(4月・6月・7月)。
  • 1948年(昭和23) - 新制逗子開成高等学校設置(4月)
  • 1951年(昭和26) - 財団法人から学校法人へと改組 (3月)。
  • 1953年(昭和28) - 定時制高等学校を新設(2月)。創立50周年記念式典(10月)。
  • 1961年(昭和36) - 教職員の解雇を巡り、教職員組合と学校側が紛争状態に陥る(3月)。学校運営への不満により、生徒会が同盟休校(ストライキ)を決行(6月)。
  • 1963年(昭和38) - 創立60周年記念式典(11月)
  • 1967年(昭和42) - 定時制高等学校廃止
  • 1973年(昭和48) - 中学校生徒の募集中止決定(1月)。創立70周年記念式典(11月)。
  • 1980年(昭和55) - 山岳部部員5名と顧問教諭1名、北アルプス八方尾根で遭難(12月)。
  • 1981年(昭和56) - 八方尾根遭難者が全員遺体で発見(5月)。
  • 1982年(昭和57) - 八方尾根事故の責任所在を巡って生徒遺族と学校との交渉が決裂、遺族側が学校へ総額4億1千3百万円の損害賠償を求める民事訴訟を横浜地方裁判所に提起(5月)。
  • 1984年(昭和59) - 八方尾根事故裁判で遺族と和解成立(1月)。八方尾根遭難者の合同慰霊祭(4月)。
  • 1986年(昭和61) - 中学校再開 中学・高校の校章を「ペンと剣と桜花」に統一(4月)。
  • 1989年(平成元) - 三学期制を二学期制に変更(4月)。
  • 1993年(平成5) - 創立90周年記念式典(4月)
  • 1998年(平成10) - 週5日制実施(4月)
  • 2003年(平成15) - 高等学校入学者募集廃止(3月)。創立100周年記念式(4月)。第1回アメリカ合衆国長期留学開始(8月)。
  • 2006年(平成18) - 専門科目校舎3棟(理科棟・芸術棟・K++棟)を改修。旧理科棟がメディア棟に、旧芸術棟が理科棟に、旧K++棟が芸術棟にそれぞれ転用された。
  • 2009年(平成21) - 徳間記念ホール隣の早稲田大学研修センターを購入し逗子開成研修センターと改称。本館1階の自習室を研修センター1階に移動、2階は宿泊施設となった。

特徴

中等部再開から1990年代半ばくらいまでは、卒業後に専門学校短期大学へ進む者、進学せず就職する者なども見られたが、大学進学を第一目標に掲げて中高完全一貫化を達成したことにより、現在では生徒のほぼ全員が4年制大学への進学を志望し、早慶上智などの難関私大や国公立大学の合格率も年々増え続けている。

正規授業の枠内では海に近接した立地を生かしておよそ1.5kmの遠泳[8]やヨット実習(中学校のみ)などを行う「海洋教育」、校内に設けられた本格的な映写施設(徳間記念ホール)を用いて世界の映画を年数回鑑賞する「映像教育」などの特徴的な教育活動を行っている。

また、中学3年次にニュージーランド、高校2年次には日本国内を含む東アジア各国(生徒が選択する)への研修旅行が実施される(いずれもホームステイ形式)。国際交流が主な目的となっているが、現地観光も行うなど修学旅行としての側面もある。さらに、希望者は夏休みを利用した海外研修や1年間のアメリカ合衆国長期留学が可能である。

交通

主な出身者

関連学校

姉妹校

かつての系列校

[10]

脚注および参照

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 逗子開成中学校の学校情報(中学受験パスナビ)(旺文社)の冒頭には「※系列高校での募集はない。」と掲載されている。
  2. 海軍の町 横須賀『有鄰』第402号、平成13年5月10日
  3. 橋本龍太郎の父・橋本龍伍なども小児麻痺で病弱だったため、本校に通いながら、体の調子が悪くなると分校に通うという生活を続けていた。
  4. このボートは爆発沈没事故を起こした帝国海軍の巡洋艦松島 (防護巡洋艦)の払い下げ品であった(無償)。
  5. 定員オーバーが事故の原因だったといわれている。
  6. 徳間自身もスタジオジブリ作品などの映画制作に数多く関与している。
  7. 校歌 - 逗子開成中学校・高等学校
  8. 中学3年次に原則全員参加の大会が催される。
  9. 交通アクセス
  10. 現在では経営資本が異なるため公式交流は途絶えているが、100周年式典の際には旧姉妹校として鎌倉女学院と合同合唱などを行った。

関連項目

外部リンク