帷子川

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テンプレート:Infobox 河川 帷子川(かたびらがわ)は、神奈川県横浜市を流れる二級河川。工業用水三級。現在の横浜市保土ケ谷区天王町一帯は片方が山で、片方が田畑であったため、昔『かたひら』と呼ばれていた。その地を流れていたので『かたびらかわ』と呼んだのが名の由来だとされているが、諸説ある。

地理

帷子川本流の全域が神奈川県横浜市内を流れている。旭区若葉台近辺の湧水に源を発し、保土ケ谷区を南東に流れ、西区みなとみらい地区神奈川区ポートサイド地区にまたがる場所で横浜港に注ぐ。

もともとは蛇行の激しい暴れ川で水害の多い川であったが、多くの地点で連綿と河川改良が進められた。近年、川の直線化や護岸工事など大規模な改修が進められ、西谷から横浜駅付近に流す地下分水路や、親水公園、川辺公園などが造られた。

保土ケ谷区上星川付近には、かつて捺染業が多く存在した。この染色・捺染の染料を流すこと(生地を水に晒す工程)や周辺の生活排水や工場廃水などが増え始め、一時期は汚染が進んだ。また、上流域の旭区にゴミ処理場があり、その影響も心配された。しかし、近年の環境問題に社会の関心が向いたことにより下水道の普及など状況は改善されつつあることや魚の放流などもなされた結果、自然が戻りつつあり、アユや神奈川県でも珍しいギバチも確認されている[1][2]

流域の自治体

神奈川県

歴史

  • 平安時代:袖ヶ浦と呼ばれた入り海が、現在の横浜市保土ケ谷区東端部まで湾入しており、現天王町付近の河口は帷子湊(かたひらみなと)と呼ばれ、橘樹神社付近は「かたひらの宿」「かたひらの里」として栄えた。
  • 江戸時代:河口に河岸があり、薪炭などの物流の地として栄えた。
  • 1707年宝永4年):富士山の大噴火による降灰で川筋が埋まり、河口も下流へ移動。現浅間町付近に新河岸が成立、旧河岸と対立を深める。
  • 1732年享保16年):川幅と河身の改修工事が行われる。こののち、明治時代にかけて袖ヶ浦の埋め立てが進み、平沼等が成立。埋め立て地に帷子川本流と新田間川・派新田間川・石崎川・幸川が残され、さらに一部はその後埋め立てられた。
  • 明治時代:スカーフの輸出増大を受けて、染色・捺染工場が集まる。八王子からの「絹の道」が通り、天王町が栄えた。
  • 1923年大正12年)9月 関東大震災後:国の復興事業として改修工事が行われる。
  • 1958年昭和33年):台風22号(狩野川台風)による水害
  • 1970年度(昭和45年度):都市基盤河川改修事業による改修工事が行われる。
  • 1982年度(昭和56年度)〜1996年度(平成8年度):地下トンネルと帷子川分水路が整備される(神奈川県・横浜市の事業)。
  • 2004年(平成16年)10月:台風22号により、横浜駅西口付近で氾濫。飲食店街地下部分が水没した。

並行する交通

鉄道

道路

観光

公園・散歩道・その他スポット
その他

支川・派川

支川
  • 二俣川
  • 中掘川
  • 新井川
  • くぬぎ台川
  • 市沢川 - 市沢谷戸から陣ヶ下渓谷を形成する。
  • 矢指川
  • 今井川
派川
  • 帷子川分水路 - 上流の旭区白根町付近から分水し、下流の神奈川区で派新田間川に合流する分水路(地下トンネル)。
  • 石崎川
  • 新田間川
    • 派新田間川(新田間川の派川)
    • 幸川(新田間川下流と帷子川を結ぶ)

生物

テンプレート:出典の明記

魚類
鳥類
植物
その他

関連・参考文献

  • 『廻国雑記』1486年(文明18年)1487年(文明19年) - 聖護院道興准后(しょうごいんみちおきじゅごう)が東国を回遊したときの記録。解説書に『廻国雑記 旅と歌』(栗原仲道 編 名著出版 2006年1月 ISBN 4-626-01701-0)がある。
  • 相鉄瓦版 第119号 2003年(平成15年)7月1日 連載「相鉄沿線時代物語 第16回 星川の巻」

脚注

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  1. 絶滅危惧種「ギバチ」生息タウンニュース
  2. 帷子川かたびらがわでアユが誕生 〜よこはまで初確認!〜横浜市環境創造局

外部リンク