尺別駅

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ファイル:Shakubetsu eki.jpg
1977年の尺別駅と周囲約750m範囲。右上が根室方面。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

尺別駅(しゃくべつえき)は、北海道釧路市音別町尺別にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線駅番号K44電報略号ヤク

1970年昭和45年)の雄別炭鉱(尺別炭鉱)自主閉山までは、雄別炭鉱尺別線始発駅として栄えた過去を持つが、現在はいわゆる秘境駅のひとつとされる。

駅構造

相対式2面2線のホームを持つ地上駅留置線を有し、ホーム間は跨線橋を利用する。

のりば
1 テンプレート:Color根室本線 (上り) 帯広新得滝川方面
2 テンプレート:Color根室本線 (下り) 釧路方面

音別駅管理の無人駅である。


雄別炭鉱尺別線が運用されていた頃の構造は、中線を有する相対式ホーム2面2線で、駅舎直別側に貨物ホームと引込線、本線駅裏側に雄別炭鉱用の留置・仕訳用側線5本及び機回し線1本が釧路側から分岐、機回し線の(社)尺別駅寄りに転車台を有した。

駅名の由来

北海道旅客鉄道釧路支社に因ると、アイヌ語の「サッ・ペッ(かれた川)」に因るものだという。

駅周辺

民家が数軒あるが、ここから尺別鉄道で内陸に8キロほど入ったあたりには、かつて数千人が暮らした大きな市街地があったが閉山により消滅。わずかに街路の跡と崩れた屋根が残るのみ。

1966年(昭和41年)3月10日に駅前に簡易郵便局が設置されたが、1971年(昭和46年)3月1日に廃止されている[1]

テンプレート:要出典範囲

歴史

北日本鉱業が、尺別炭礦運炭軌道向け分岐線(車扱貨物積込線)設置予定地点に、1919年(大正8年)7月13日付で信号所設置を願い出たことにより当駅が開設された。

  • 1920年大正9年)
  • 1925年(大正14年)2月1日 - 一般貨物の取扱い開始[1]
  • 1930年昭和5年)4月1日 - 旅客・荷物取扱い開始[1]一般駅となる[1]
  • 1941年(昭和16年) - 雄別炭礦尺別炭礦運炭軌道の別線として軌間1067mmの専用鉄道「尺別炭礦鉄道」敷設工事開始に伴い当駅構内側線等改造。
  • 1942年(昭和17年)11月3日 - 軽便運炭軌道を廃止して専用鉄道の雄別炭礦尺別炭礦鉄道運転開始[1]。(社)尺別駅が当駅との旅客(ただし一般客を除く炭礦関係者の)連絡駅となる。
  • 1945年(昭和20年) - 尺別炭礦休山により側線及び転車台が遊休施設となったため、転車台を滝川機関区へ移設[4]
  • 1961年(昭和36年)6月3日 - 尺別炭礦鉄道が専用鉄道から地方鉄道の尺別鉄道となり[1]、一般旅客扱い及び国鉄との貨物連帯輸送開始。
  • 1970年(昭和45年)4月16日 - 雄別炭礦尺別鉄道廃止[1]
  • 1971年(昭和46年)
    • - 跨線橋設置。
    • 10月2日 - 貨物・荷物取扱い廃止。無人化。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
  • 時期不詳 - 簡易委託廃止
  • 2000年平成12年)7月14日 - 横取り装置取り外し忘れによる気動車5両編成脱線事故発生。

脚注

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隣の駅

北海道旅客鉄道
根室本線
直別駅 (K43) - 尺別駅 (K44) - 音別駅 (K45)

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク

テンプレート:根室本線2

テンプレート:雄別炭礦尺別鉄道線
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 釧路市地域史研究会 『釧路市統合年表:釧路市・阿寒町・音別町合併1周年記念』 釧路市 、2006年10月。
  2. 本線横に敷かれた側線の外側(駅裏側)に細長い貯炭場を間に挟んで尺別炭礦の運炭軌道が並行して敷かれ、軌道側の貨車から国鉄側の貨車へ積み替え作業を行った。このため200人以上がこの作業に従事し、当時の当駅は大変に賑やかであった。
  3. 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB出版。
  4. 側線と転車台は尺別炭礦側の財産であったが、国鉄側に譲った形になっている。元々この転車台を必要としていたのは国鉄側の機関車であった。