小諸城

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小諸城(こもろじょう)は、長野県小諸市にある跡。別名、酔月城穴城白鶴城

概要

長享元年(1487年)に大井光忠によって築城されたと考えられている[1]戦国時代武田信玄の東信州経営のために現在の縄張りとされた。現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、根拠となる史料はない。

安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃に建てられたものであった[2]。天守には桐紋の金箔押瓦が用いられていたが寛永3年(1626年)に落雷によって焼失している。

城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある。また、浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御として利用されている。

歴史・沿革

天文23年(1554年)に竣工し、武田信豊が入城したとされるが、誤りであることが指摘される[3]勝頼期には御一門衆の下曾根浄喜が城代を務めており、天正10年(1582年)の織田・徳川連合軍の甲斐侵攻に際しては小諸城に逃れてきた信豊を浄喜が打ち取り首を織田信長に進上したが、浄喜も誅殺されたという。

武田氏が滅んだ後は滝川一益、ついで北条氏が所領し、後に徳川氏に引き渡された。その後小田原征伐での功労が認められ5万石で大名に再び列せられた仙石秀久が天正18年(1590年)に入城した。秀久は関ヶ原の戦いでは東軍についたが、その後も元和8年(1622年)に2代忠政上田城へ転封となるまで居城した。

江戸時代には小諸藩の藩庁が置かれ、その後は松平氏青山氏酒井氏などが封じられたが、元禄15年(1702年)に牧野康重が移封された後は国替えは行われず、牧野氏10代康済の時に明治を迎えた。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(28番)に選定された。

遺構

現在は、当時の建造物は石垣と現在の懐古園の入り口の三の門、市街地に存在する大手門のみが現存している。これら2つの門は共に国の重要文化財に指定されている。その他、天守台、石垣などが現存する。

現存する三の門は1615年に建てられたが、1742年に起きた洪水によって崩壊し、現在のものは1765年に再建されたものである。大手門は近年まで民家として利用されていたが、平成20年(2008年)に再び門として修復、復元された。

移築現存する建物としては、足柄門が市内光岳寺山門として、黒門が市内正眼院山門として、旧北御牧村(現:東御市)の民家に本丸御殿の書院といわれるものが移築されている。

侍屋敷

侍屋敷は、特に保存されていない。しかし、三の門を向かって左手方向の旧馬場町、旧足柄町(いずれも住居表示は小諸市古城)一帯には、旧藩時代の直系子孫が現在も居住して、かつての面影を若干残していることがある。

懐古園

城跡は、市営公園小諸城址懐古園(こもろじょうし かいこえん)として整備、公開されており、入場は有料である。園内には小諸市動物園をはじめ小諸市児童遊園地、小諸市立小山敬三美術館小諸市立郷土博物館(かつては小諸市立火山博物館だったが展示物は高峰高原に移転)、小諸市立藤村記念館懐古神社徴古館があり、また園に隣接して小諸寅さん記念館鹿嶋神社小諸義塾記念館などの施設がある。

旧城郭の馬場跡を中心にソメイヨシノが多数植樹されており、日本さくら名所100選に選定されている。4月下旬の桜の開花時期には多くの花見客でにぎわう。また紅葉の名所としても有名であり、こちらも春に負けないほどの多く観光客でにぎわう。

懐古園の入り口は、旧小諸城三の門を利用しており、徳川家達の筆による『懐古園』の扁額が掲げられている。この三の門は小諸市のシンボルとしてフジテレビのアニメーション『サザエさん』の旅行編やオープニングにも複数回登場している。

文学碑

懐古園内の千曲川を望む展望台近くには島崎藤村の『千曲川旅情のうた』の歌碑が建てられ、二の丸の城石には若山牧水の短歌も刻まれるなど、懐古園という名の通り昔をしのばせ、文学の香り漂う風景を織り成している。

若山牧水の短歌(「かたわらに秋草の花語るらくほろびしものはなつかしきかな」)を刻んだ石垣については、種田山頭火佐久市岩村田を訪れた際にこの歌碑に触れた文や俳句を残しおり、両文人の愛好者が訪れる名所となっている。

現地情報

所在地
  • 〒384-0804 長野県小諸市丁311
交通アクセス

脚注

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参考文献 

  • 『小諸城全図 附 沿革』(懐古園内 徴古館発行)内の『小諸城の沿革』(城北庵季典士誌)

関連項目

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外部リンク

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  1. 村田修三監修『ビジュアル・ワイド 日本の名城百選』小学館 2008年
  2. 加藤理文ほか執筆『【決定版】図説 よみがえる名城 漆黒の要塞 豊臣の城』学習研究社 2008年
  3. 黒田基樹「親族衆武田信豊の研究」