宇都宮競馬場

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宇都宮競馬場(うつのみやけいばじょう)は栃木県宇都宮市西川田二丁目にあった地方競馬競馬場。廃止時点では栃木県の主催による競馬が開催されていた(廃止直前までD-Net加盟)。2001年度まで宇都宮市が主催者となる競馬も実施されていた。

概要

  • コースは1周ダート1200メートルの右回りで、第4コーナーからゴールまでの直線の距離が200メートル[1]
  • レース施行距離 800m、1300m、1400m、1500m、1600m、1900m、2000m、2600m[1][2]

また厩舎は競馬場内ではなく周辺に点在(敷地内に8厩舎、周辺に27厩舎ほど)していたことから、調教やレース出走の前後には馬が厩務員に引かれて公道を歩くという光景も見られた。地方競馬開始時の馬場は、国土地理院ホームページ「地図・空中写真閲覧サービス」の航空写真 (USA-R389-128) 。

北関東菊花賞を制し、最初で最後の北関東三冠馬となったフジエスミリオーネは宇都宮所属だった。

ベラミロードなど全国レベルのレースでの活躍馬も出していたが、末期には赤字経営が続いて売り上げ好転の兆しも見られず、また北関東ブロックを構成していた足利競馬場高崎競馬場が経営難・自治体財政などの問題から相次いで廃止となると、競馬場はもとより宇都宮と足利の厩舎を抱えた1場単独での興行は極めて困難を極めた。さらには競馬事業関係の基金の払底という悪条件までもが重なったため、宇都宮競馬場も廃止のやむなきに至り、2005年(平成17年)3月14日の平成16年度とちぎ大賞典が最後のレースとなった(勝ち馬はフジエスミリオーネ)。2005年(平成17年)12月まで南関東公営競馬の場外発売が行われ、2006年(平成18年)3月末をもって閉場、廃止となった。最後の騎手会長は小野三夫

これにより北関東の地方競馬は約80年続いた歴史に幕が降ろされることになり、栃木県内からは馬券発売の灯も消えた。場外勝馬投票券発売所が無く、長らく宇都宮と足利の2場間での場間場外のみが行われていたという事情もあるが、平成期の競馬場廃止により関連施設も含めて都道府県単位で競馬場の廃場と同時に馬券発売が全廃になったのは全国を見渡しても栃木県のみである[3]

なお、1990年代、栃木県は壬生町内に県営馬事公苑を含む新競馬場計画を立ち上げ、土地買収と厩舎地区の先行整備を開始したものの、1990年代末になると景気低迷と競馬開催の急激な不振から一気に競馬の存続自体の雲行きが怪しくなり、程なく計画は休止状態となり県営馬事公苑の計画自体も含めて最終的に頓挫した。しかし、実はこの計画の原資の大半が競馬事業関係の基金であり、その浪費と混乱が競馬事業関係基金の払底を早め、ひいては競馬場運営の終焉を早める一因にもなっている。

廃止後、厩舎の跡地や周辺に点在した競馬場来場者向けの民間駐車場の一部は関東自動車の車庫(西川田東バス停)やマンション用地へと転用されている。ただし、競馬場の跡地利用については未定で、栃木サッカークラブのスタジアムや陸上競技場の建設など、平成期に廃止された公営競技場の例に違わずここでも広大な土地に大規模な建設や巨額の公共事業を伴う施設の整備が提案されている。

発売していた馬券の種類

宇都宮競馬場開催時

○…発売 ×…発売なし

単勝 複勝 枠番連複 枠番連単 馬番連複 馬番連単 ワイド 3連複 3連単
× × ×

重賞競走

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主な活躍馬

関連項目

出典

  1. 1.0 1.1 大泉書店編 『地方競馬めぐり』 大泉書店、2004年、 ISBN 4-278-04557-3
  2. 地方競馬情報サイト
  3. 大混乱の中で廃止された中津競馬場でさえ、市内のショッピングセンターの中にあった「ドリームなかつ」が佐賀競馬場の場外として存続している。

外部リンク

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